子供たちは張り切って各交流クラスのお見せで張り切っています。そのお店の一つからこんな声が「先生、手品見て!」
「いいよ。」「なんの変哲もない紙コップです。種も仕掛けもありません。」「そやね。」
「これにアルミを被せます。」「ふむふむ。何も仕掛けありませんね。」
「ここでアルミをばさっとつぶす・・・」「何!?」
「コップが机を突き破って落ちます!」「ええっ、どうなってるの?」「それはね・・・」とタネを教えてくれました。「なるほど!!」
ここからは、はたしょうフェスタ写真館です。お楽しみください。
子供たちも大人も思いっきり楽しんだ、いい時間でした。
秦小の異学年交流の大きな行事「はたしょうフェスタ」。これまでは、高学年がアイデアを出して合同でお店を出すというスタイルでしたが、今年、特別活動に全校で取り組んでいくにあたって、児童会ユニットから「異学年の交流クラスで合同で学級会をやって、はたしょうフェスタの目当てを共有したうえで、合同で話し合いをしてお店を決めたい。」という提案がありました。1年と6年が合同で学級会ができるのかと当初心配しましたが、なのその。1年生は6年生の真似をして堂々と司会をし、6年生は1年生のことをよく考えてふだんより丁寧に意見を表明したり交流したり・・・互いの成長がみられました。背伸びとケアという感じです。今日は9時から11時までがフェスタ。11時から11時30分までが片付け。そして、4時間目。そんなスケジュールの中、5年と3年のある交流クラスは「いっしょに活動した後こそ交流が大切!」と考え、4時間目は合同ドッジボール大会を行いました(というか、今やっています)。異学年交流は、ひいては小中一貫教育のベースとなる考え方です。たとえば、あいさつ運動でも年間に何回か渋中生が来てくれる機会があります。高学年の計画委員の子供たちは来てくれるお兄さん・お姉さんをまぶしそうに見ています。渋中生もしっかりした姿を後輩たちに見せようとしてよりしっかり行動します。同学年が基本の日本の学校に、ちょっと異なる存在の風を吹き込み上も下も成長させる仕掛けが今私たちがチャレンジしている取り組みなのです。昔は、地域で異年齢で遊んだり、行事をすることが日常でした。例えば、秦野でも1月15日に正月のしめ飾りを焼き、正月に来訪してくださった歳神様を山へお送りするトンドがありましたが、これは子供たちだけで行う行事でした。トンド前夜の14日、青年団の先輩たちに助けてもらいながら6年生がリーダーとなり、地区ごとに家々を回って正月飾りを集め、トンドを組みます。小さい子から6年生までが力を合わせトンドに取り組みます。東畑では田んぼにトンドを組んだ後、家々で子供たちが集まり、ご飯を食べて徹夜をしました。西畑ではトンドを天満宮の下にあった池のほとりで組みますが、その後、子供たちは天満宮の裏から西福寺へ向かう山道で肝試しをして楽しみました。そして、それが終わるとグループで家や小屋に集まり子供たちだけでご飯を食べて徹夜したそうです。上渋谷では原池(現・渋中)のほとりにトンドを組んでその後小屋を立ててそこでご飯を食べ夜通し過ごしました。下渋谷でも穴織神社の境内でトンドを組み、子供たちは小屋の中で徹夜をしたそうです。神様をお送りする前夜の神様と子供たちとが食を共にする神人供食でヨルネン講といました(食事はすき焼きや巻きずしといったご馳走でした)。ヨルネンは「夜寝ん」といわれますが、下渋谷では「幼年(ヨウネン)」講といわれ、ずばり子供集団を意味する名称でした。いずれにしても、もともと神に近い存在である子供が神が山に帰る前夜に一晩過ごすための行事だったと考えられます。そこにいる子供たちは当然異年齢です。異年齢の交流の中で子供たちは大人になり社会人になっていったのが日本社会の伝統でした。こうした日本社会の伝統的なスタイルが消滅してきた今、意図的にそうした知恵を生かすのが異学年交流であり、小中一貫教育のねらいです。はたしょうフェスタも実は秦野の伝統を今に生かす取り組みなのです。