はたしょう日誌

しぶたに学園 池田市立秦野小学校の
“今”をお伝えしています。

秦野の歴史と民俗2~狐と人間

2017年08月08日 | 日記

教室から元気な声が聞こえてきたので「何してるん?」と尋ねると、「新聞作った!」という元気な声が。夏休み学校に勉強に来ているある男子の作品です。臨海での生活がよくわかる素敵な新聞です。

3日の記事で少し紹介した狐と人間の交流ですが、池田にもいろいろな伝承があります。『新修池田市史5 民俗編』によると「昭和初期の池田の稲荷施行は、冬の間は狐も餌がなかろうと荒木町(現・大和町の東)・城山町では、毎年大寒の入りに町内で当番を決めて、餅つき用の大釜を道路に出して赤飯を炊く。豆腐屋で特別の油アゲを三〇〇枚作り、城山町の竹の皮に油揚を乗せた大きな赤飯のおにぎりを二つ包む。これを狐のいそうな場所に持っていって、食べやすいように開いて、みんなで大きな声で「せんぎょ、せんぎょ、稲荷せんぎょ」といいながら置いて帰る。荒木町では、午後七時に出発して、<町内→鎮山(現・市立図書館)→池田山峠茶屋→接待池(現・市立五月丘小学校)→おんばのほところ→城山町→ひょうたん山(現・ダイハツ池田工場)→帰町>と回り、午後十時ごろに帰る(『昭和初期の池田』)。鎮山は別名稲荷山とよばれ、五月丘団地が開発されるとき、その根元に土器が多く埋もれていた(『池田・昔ばなしと年中行事』)。」とされてます。この狐への感謝の施しの行事は秦野でもあり、「西畑では、狐への恩返しといって、寒に油アゲ・ご飯・野菜のテンプラを竹の皮に包んで、十三軒の家が回っている((『池田・昔ばなしと年中行事』)。」と伝えられています。狐は人間を化かすと悪い言い伝えもある反面、稲の神様(稲荷)の使いや稲の神様自身とも考えられてたたえられてる両義性のある動物です。小学校四年生の国語で学ぶ「ごんぎつね」もその両義性のゆえの悲劇だったのかもしれません。