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60代、何が目出度い!

人生100年時代に備え、貯金も貯筋も大事!
そんな60代の日常を綴ります。

懲り懲りな、コンサート。

2024-03-14 06:05:37 | 日記
昨日は、父親のお供で、NHKホールまで。
五木ひろし、三山ひろし、市川由紀乃による「三波春夫生誕100年コンサート」に。

義母の生死があったので、正直行けるかどうか?だったけど、無事に行けて良かった。
だけど、NHKホール…音響は素晴らしいし、悪い席からでも良く見えるけど。。
アクセスが悪すぎる。特に高齢者には辛い場所にある。
我が家だと渋谷駅or副都心線の地下鉄、明治神宮前駅となるが、なんせ、年寄りにはどちらも遠い、遠い。
渋谷駅より少し歩かない、明治神宮駅を選んだけど。。
父親の足だと、明治神宮前駅の改札から、地上に上がるまでが10分、地上からホールまで、20分。
14時会場、15時開演で、家を出てから1時間ほど掛かってしまって、14時半過ぎに会場に入った。
正面玄関には長い列、それも年寄りばかりだから、動作が鈍い。
運良く?父親が杖を付いていたから、特別の入り口から入れたんだけど、ね。

そして、席に着くまでに、2階席の上だから、また10分。
その上、女子トイレには長蛇の列。男子トイレもそれなりに並んでいて。
やっと落ち着いて席に着いたのは、開演10分前。(やれやれ)
父親と一緒の時は、余裕持って時間を見ない、と。それだけ、父親も足腰が弱ったと言うこと。

三波春夫は、私にとっては、本当に興味のない歌手。
昨日は正直、三波春夫の知らない曲(浪曲)は、ウトウトしてしまっていた。
演歌歌手の持ち歌の時は、それなりに歌が上手いから、楽しかったけど。。
これが、矢沢だったり、ストーンズだったり、自分の好きなアーチストだったら、NHKホールだろうが、席が悪いだろうが、喜んで行くし、その時間は本当に楽しい。
昨日のお年寄りたちは、楽しかったようで。。父親も楽しかった、と。
杖をついても、歩行器に引かれながらも、足を運ぶんだものね。
父親も私に気を遣ってくれて、最後の曲の前にホールを後にしたので、スムーズに帰れたけど。。
トイレ休憩を挟んで、3時間のコンサート。年寄りには、長いわー。
父親の駅に着いた時は、すでに午後7時前。。。こりぁ、疲れるわけだ。。昨夜は爆睡だった。(苦笑)

さて、私は、父親の年(93歳)になっても、好きなアーチストのコンサートに行くのかなぁ。。と。
昨日の人混みを考えると、年を取ってのコンサートも考えもんだなぁ、と。
この年でも、普段から人混みが苦手になってるし、って。

おっと!今日は、久々に近所のジムに行く。やっと行ける。
午後には、1ヶ月ぶりのTインストラクターとのプライベート♪
M先生の方は、人気で枠が取れない。。月末まで、M先生に会えない。。(泣)
まずは、チョ●ザップでの1ヶ月のリフォーマーマシンの自重の結果が出てるかな?

さて、これから朝ピラの支度をして行って来よう♪
そうそう、朝ピラも15分、スタートが早くなったので、出勤前の人が増えて。。
反対に減るのか、と思ったら、増えた。
特に男性会員さんが、出るようになった。。
まずは、今日もピラティスが出来る事に感謝♪

バックシャン。

2024-03-13 05:57:39 | 健康
やっと義母の事で、解放されつつある今日この頃。
一時は、寝れない日もあったり、食べても太れない?で、いや、そんなに食べていなかったのかも?
普段は47キロ台だったのが、体重も45キロ台まで落ちた…今は、46キロ台の前半に。。
年を取って、痩せてしまうと、老けてしまうし、病気じゃない限りは、ちょっと肉がついていた方が良い。
今の体重は…これ位が、自分にはベストなのかも?と。まずは現状維持しない、と。
乳がんの時は、53キロはあったものね。。(苦笑)
当時は、脂肪ばかりの身体で、プヨプヨしていたなぁ。。病気になるわけだ。。(反省)

さて、昨日の葬儀、家族葬で、親戚以外では父親と私だけがお声が掛かった形だった。
義母の時と同じで、おばさんの雰囲気のピンクと白の花が中心の花壇だった。(義母の時は、紫&白が中心)
今は、白木壇より花壇が人気なのかも。。特に家族葬や女性には、良いと思う。
葬儀も時代と共に、変わって行くなぁ、と。

今年、3度目の喪服(黒のパンツスーツ)を私は着たわけだけど。
昨日が一番、ウエストあたりがユルユルだった。
それは、今年に入って、ピラティスのエクササイズ、リフォーマーに乗る時に、鳩尾を意識してたからだと。
あとは、背中を広く、と。
鳩尾のパカーンがなくなると、くびれが出来るし、同時に反り腰も治る。腰痛知らずの身体になる。
この鳩尾の締めるのがなかなか、難しいんだよね。呼吸で締めて行くのだけど。。
そんなのもあって、父親から昨日は、「お前は黒のスーツを着るとシュッとして、バックシャン(懐かしい言葉?)だなぁ!」と褒められた。(苦笑)

葬儀で久々に会うだけに、周りを見渡すと、加齢と共に…背は縮んで、背中の幅が狭くなってるんだよね。。
背中を広く…の意識がないと、網焼きの上のイカみたいに、首から肩から前に前にと、ドンドン丸くなって背中が狭くなってしまう。。それだけでも「年を取った」と言う雰囲気になるから、背中の意識は大事だよなぁ。。

おっと!今日は、朝一番でチョ●ザップでリフォーマーに乗りに行く。
その後に、近くのスタジオのピラティスのレッスンに入る。
リフォーマーマシンは、身体を伸ばすし、寝て使うから、背中の意識が持てる。
やっぱり、週1回は乗らないと、骨が正しい位置に持って行けないかなぁ、と思う今日この頃。
だって、リフォーマーのおかげで?(ピラティスも)身体にどこも痛みないし。。
先日の父親とのエスカレーターでのアクシデントも、あれだけ身体に力を入れたのに、どこも身体に痛みが出なかったし、って。
今思うと、あれは即!腹筋を使ったから、良かった。
腕や足に力を入れたら、そこに痛みが出ていた、と。

まずは、正しい骨の位置を目指して、痛み知らずの身体を現状維持しよう。
今日もピラティスが出来る事!リフォーマーに乗れる事に、感謝しよう♪

2度ある事は、3度ある。

2024-03-12 06:11:54 | 日記
今日は、実家近所の…子供の頃から可愛がってくれたおばさま(95歳だからおばぁさま?)の葬儀に出席する。
子供の頃からの私のお金の師匠。
おバカだった私に、お金に対するイロハを教えてくださった。
このおばさまに出会わなければ、私の金銭感覚は、違っていたと思う。
義母や義兄のように、入って来たら、あるだけ?使っていたかも?と。
何故か?うちの夫だけは、結婚する前から、金銭感覚はしっかりしていた。
身の丈の暮らし、と言うヤツ。

さて、義母が亡くなった時に、ジムの仲の良いWさんが、「葬儀が2度続くと、3度目があるよ。」と。
すわ!3度目は父親か…と頭を駆け巡ったけど。。。
おばさまには、申し訳ないが、ホッとした。

その父親と、数日前に浅草寺にお参りに行ったのだけど。。
駅のエスカレーターで、手袋をはめようとした父親がバランスを崩して、雪崩のように、後ろにいた私に覆い被さってきた。
私の体重以上の56キロの父親の身体が私に…、私も一瞬、雪崩落ちそうになったけど、思わず腹筋が入って、父親のお尻のところに右膝を入れて、持ち上げた。(我ながら、ナイスプレイ!)
私の後ろに人がいなかったのが、幸いした。。
父親も私もかすり傷ひとつなく、そして父親の身体を垂直に戻せた。。
あれで、私に腹筋がなかったら、そのまま二人共倒れて、頭を打っていたと思う。
最悪、打ち所が悪ければ、寝たきりになっていた、と。

う〜ん、すごい!
普段のピラティスのインナーマッスルのおかげだ!と改めて。
だから、やっぱり身体はいつでも動かせるように、鍛えておかなきゃね。
チョコザップでもらった体組成計だと、私の体内年齢は「39歳から41歳」となってるし、って。(笑)

さてさて、昨日は、プロレスラーの吉江豊さんの訃報を知って。。まだ50歳。。
当時、東スポの広告代理店として仕事をしていたので、プロレス好きの男友達に吉江さんを紹介してもらった事があった。
奥様も綺麗な方で。。吉江さん自体も気さくで素敵な方だった。
その男友達から紹介して貰った、プロレスラーの何人かも身体を壊されて、現在、寝たきりになっていたり、で。。
余談だけど、その男友達のおかげで、当時の東スポのプロレス大賞のパーティで、いろんなレスラーさんと顔見知りになって会話をしてる私は、周りの人たちから、「何で知ってるの?」と目を丸くされたことが。。良い思い出?となってるけど。。

やっぱり、身体は一つ。
大事に使わないと、、、。

吉江豊選手のご冥福をお祈りします。

ひと段落。

2024-03-03 08:00:27 | 日記
この1週間は、怒涛の1週間だった。

先週の日曜日の夜、サザエさんを観ながら、夕飯を…と言うところで、電話が鳴った。
施設から…義母が息を引き取った、と。

その後、夕飯の味も、何を食べてるのかもわからず、着替えて、義母がいる施設に。
雨も降っていて、風の強い、寒い夜だった。

夜勤となった施設の担当者の方が、明るい方だったのが私たちには救いで。。
義母は一人で、施設の人が目を離した隙に、三途の川を渡ってしまったようだったが、顔は穏やかだった。
お疲れ様、お義母さん。

あと5日で、昨日で94歳だった。

翌日は、朝から葬儀社との打ち合わせ。
先月頭に容態が悪くなったと、義姉の方に担当医から電話があり、義姉から私の方に連絡があった。
そこから、葬儀社との最悪な場合を踏まえての…見積もりを取っていたので、ある程度の数字は出していた。
後は、焼き場が混んでると聞いていたので、広告代理店と同様に新聞雑誌ではなく?炉の枠取りしかない、なぁ。。と。
一般の人が好む時間帯を外せば、早く葬儀が出来るのでは?と、その旨を葬儀社に伝えた。
とにかく、義母のお金が無いだけに、1日でも早く葬儀をすればドライアイス、安置代が浮くと。

運よく、1日の金曜日の朝10時の枠が空いていたので、そこを取ってもらった。
当日は、その前の8時半から斎場の式で、お坊さんにお経を挙げてもらった。
コンパクトな花壇の式だったけど、可愛らしい義母らしい祭壇となった。
大きな遺影写真は私たちの方で、拒否したので、大きなフィルムが光を浴びて、祭壇の義母の顔は綺麗だった。
今回、生前整理で義母の家にあった、義父の大きな遺影写真の処分に困ったので。
これは、正解だった。小さい写真だけで、充分だと。
実家に飾ってある、先祖代々の人たちの遺影の処分を考えると、本当に頭が痛い。

午前中で、骨上げも終わり、そこからタクシーで移動して、皆で食事をして、解散。
お金は無かったが、葬儀社が互助会だったのもあり、義父が残してくれたのも幸いした。
コンパクトで義母らしい良い式だった、と。
義母のお骨は我が家に。。

で、翌日の昨日は、団地の家財道具の搬出。
私たちが約2ヶ月、出せるものは、ゴミとして出していたので、業者さんも助かった、と。
6人の若い身体の大きい男性ばかりもあって、予定通り、2時間で終了。
あっと言う間に、部屋の家財道具もガラクタばかりのベランダのものも、全て無くなった。

いつも私たちが帰る時に、ベランダから手を振ってくれていた義母…それも、40年以上。。
義母の目に映った景色は、こうだったんだ、と。。初めて、義母との別れの涙が出た。

葬儀の後の食事の時に、義姉からは、今回のことで、色々と感謝され、そしてお金の事も考えてくれていた。
私は、義姉は、「死後離婚」をしてると思っていたが、義姉は義姉なりに、(義兄が亡くなった後でも)義理の両親の事を考えてくれていた。
やはり、男兄弟は素っ気ないだけに、私たち嫁同士のコミュニケーション不足だった、と。
これからは、四十九日に向かい、お互いに連絡し合おう、と義姉と。
私も義姉に対して、あの人は…と、決めつけばかりで、反省しきり。。

この怒涛の2ヶ月、夫の腰も痛みが出ず、(夫は)花粉症持ちで、そんなに今のところ酷い状態ではない。
そして夫婦共々、風邪も引かずで、ここまで乗り切れた。
私はピラティスも隙間時間を見つけては、やっていたのもあるから、元気そのもの!葬儀の後も戻ってレッスンに出ていた。。(爆)

まずは四十九日が終われば、一応、肩の荷が降りる。あと少し。。