ハルナツアキフユ 

転移性悪性黒色腫(メラノーマ)と診断された夫のことや
巡る季節の中で思うことを綴っていきます。

カンボジアの旅で

2014年03月03日 | 悪性黒色腫(メラノーマ)


2月中旬、カンボジアに行ってきました。
夫が首都プノンペンで開催される学会に出席するので
それに合わせて一緒にアンコールワットなども
廻ってきました。



カンボジアは一度は行ってみたい国でしたが
ポルポト政権下での大虐殺からまだ数十年しかたっていない国に
観光目的で行くのは不謹慎だという思いが強くありました。
でもせっかくのチャンスなのでただ観るだけでなく
いろいろ学んでこようという気持ちで行くことにしました。



いざ行くことになって一番大きな心配は・・・
「あちらでひどい痙攣が起きたらどうすればいいか。」ということでした。
N先生は「いまどきどこの国でもジアゼパム(抗けいれん薬)を知らない医者はいないから大丈夫でしょう。」と。
I先生にも「くれぐれも無理をしないように、何かあったらすぐ病院に行くように。」と言われました。
夫の体調もベストとはいえないまでも痙攣もまったく起きていないし、特に他の症状も出ていないので
「えいやっ!」と二人で飛行機に飛び乗ってしまいました。



行きの飛行機の中で読んだ雑誌に
写真家の井津建郎氏による病院設立のための活動のことが書かれていて
大変興味深く読みました。
シェムリアップのホテルからアンコールワットに行く途中に
その彼が設立したアンコール小児病院があり、
朝早くにも関わらず多くの子ども連れが入口で待っていました。
カンボジア人のガイドが
「ここは日本人が設立した病院だよ!子供は無料で診てもらえるんだ。」
と話すのを聞いて嬉しく思いました。



ポルポト政権の下
1975年から1978年の4年間に
800万人の国民のうち
100万とも200万人ともいわれる人々が虐殺されました。
教師、医者、公務員、資本家、芸術家、宗教関係者
その他良識ある国民のほとんどが殺されてしまったのです。



その傷跡が深く残るカンボジアの
現在の人口は約1,500万人
平均年齢は21.7歳(日本は43.8歳)
国民の平均年収は830ドルで
国民の半数が1日2ドル未満で暮らす貧困層です。
日本のような国民健康保険制度もありません。



そんな発展がまだまだこれからの国を旅するのですから
何かあって最善の治療が受けられなくても
大きな声で文句は言えないと思いました。
この国にも数は少なくともメラノーマの患者はいるのでしょうが
どんな治療を受けられるのだろうかと思いました。
運良く裕福なら最高の治療を受けられるのでしょうが
そうでなければ・・・と考えると
日本にいて当然のように質の高い医療が保険で享受できる私たちは
恵まれていると強く感じました。

滞在中は常に夫に対して「無理をせず、ケチらず!頑張りすぎず!」といい続けました。
以前インドを廻った時は、しつこい客引きに腹を立てたり値引き交渉でかなりストレスになったものです。
気持ちにある程度余裕を持って数ドルの違いにムキにならなければ
ストレスを減らしてゆったり過ごせるものだと私は思います。
とはいえ、私のようないいカモばかりでは足元を見られてしまうのでしょうけれど。



シェムリアップに4日間、プノンペンに3日間の駆け足の旅ではありましたが
アンコールワットやアンコールトム、キリングフィールド、多くの寺や博物館
トゥール・スレン虐殺犯罪博物館(S21と呼ばれるポルポト時代クメール・ルージュにおいて設けられていた政治犯収容所)
などを廻りました。
夫は学会の他にもカンボジアの観光省にも縁あって招かれ
これからのカンボジアを作っていく若い役人たちと
今後日本とカンボジア間で教育を通してタイアップできる可能性などについて話してきました。



カンボジアの旅では、人の「命」についてずっと考えさせられました。
このことはまた後日、改めて書きたいと思います。

そして旅の途中、悲しい知らせを受け取りました。
メラノーマ患者会の交流会に来られた方からで
奥様がメラノーマで闘病中だったのですが
「亡くなりました・・・。」とのことでした。
若くして、幼い子どもを残して、さぞ無念だったことでしょう。
そして、妻に先立たれてしまったご主人の哀しみは計り知れません。
遠いカンボジアの空からご家族のことを思い祈りました。



人間、いつかはさよならをするときが来ますが
早すぎるさよならは切ないものです。
いつ自分も同じ境遇になるのだろうかという思いがよぎりましたが
どうなるかわからないことを考えるのはやめようと思います。

とにかく
何事もなく無事に帰ってこれたことに感謝して
元気に仕事に出かける夫の後姿にホッとしながら
忙しくなる怒涛の3月を乗り切りたいと思っています。

そして、またいつか二人でカンボジアに行きたいと思います。