春が近づくにつれて無性に着たくなったピンクの街着他を、先月日本に出張した夫がスーツケースに詰めて運んでくれました。帯は、花の意匠のろうけつ染め塩瀬(4月8日は花祭りでもあります)。今日は久しぶりにお稽古関係ではないアメリカ人中心の社交の場、ということもあり、何か面白くしたくて、帯揚を袖からこぼれる赤と合わせ、紫の帯締をしてみました。髪には鼈甲の簪。
改めて思ったのは、着物を着るという行為は、自分は日本人だと主張するのと等しい、ということです。コンサート(詳しくはこちら)の会場では、「日本のどこから来たの?40年前、僕は六本木に住んで丸の内に通ってたんだよ」と会話の糸口になったり、「12月のホリディパーティにも来ていたわね」と思い出してもらったり、言葉のハンディがある私にとっては、着物はありがたい味方です。帰り道にスターバックスに立ち寄ったときも、車から降りてほんのちょっぴり歩くだけでかなり注目されていて、見知らぬ人から「素敵ね」と話しかけられたり。
もちろん、中国の衣装と区別がつかない、という人たちも少なくはないでしょうが、興味のある方は目に留めてくださいますし、そこから何かしらの交流ができると嬉しいものです。
改めて思ったのは、着物を着るという行為は、自分は日本人だと主張するのと等しい、ということです。コンサート(詳しくはこちら)の会場では、「日本のどこから来たの?40年前、僕は六本木に住んで丸の内に通ってたんだよ」と会話の糸口になったり、「12月のホリディパーティにも来ていたわね」と思い出してもらったり、言葉のハンディがある私にとっては、着物はありがたい味方です。帰り道にスターバックスに立ち寄ったときも、車から降りてほんのちょっぴり歩くだけでかなり注目されていて、見知らぬ人から「素敵ね」と話しかけられたり。
もちろん、中国の衣装と区別がつかない、という人たちも少なくはないでしょうが、興味のある方は目に留めてくださいますし、そこから何かしらの交流ができると嬉しいものです。