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ロサンゼルスで、着物暮らし

太陽燦燦のロサンゼルス近郊で接する和なあれこれ。
LAに帰って来ました。肌寒い日が続いています。

アットホームコンサートへ

2006年04月08日 | あわせ
春が近づくにつれて無性に着たくなったピンクの街着他を、先月日本に出張した夫がスーツケースに詰めて運んでくれました。帯は、花の意匠のろうけつ染め塩瀬(4月8日は花祭りでもあります)。今日は久しぶりにお稽古関係ではないアメリカ人中心の社交の場、ということもあり、何か面白くしたくて、帯揚を袖からこぼれる赤と合わせ、紫の帯締をしてみました。髪には鼈甲の簪。
改めて思ったのは、着物を着るという行為は、自分は日本人だと主張するのと等しい、ということです。コンサート(詳しくはこちら)の会場では、「日本のどこから来たの?40年前、僕は六本木に住んで丸の内に通ってたんだよ」と会話の糸口になったり、「12月のホリディパーティにも来ていたわね」と思い出してもらったり、言葉のハンディがある私にとっては、着物はありがたい味方です。帰り道にスターバックスに立ち寄ったときも、車から降りてほんのちょっぴり歩くだけでかなり注目されていて、見知らぬ人から「素敵ね」と話しかけられたり。
もちろん、中国の衣装と区別がつかない、という人たちも少なくはないでしょうが、興味のある方は目に留めてくださいますし、そこから何かしらの交流ができると嬉しいものです。

結納の思い出

2006年04月04日 | あわせ
最近、全く着物を着ていないもので随分と更新が滞っています。
今日ひょんなところから、一年半近く前の結納の日の写真データが出てきました。形式的な結納といっても、母親同士の初顔合わせの場でもあり、随分緊張した覚えがあります。会場に選んだのは夫にも私にもゆかりのある京都市内のあるお店で、その日の朝に東京を発った方たちをお迎えする、といったことでした。
何を着ようか迷った末に、一月下旬のおめでたい席でもあるし、と母が若い頃に作ってもらったという薄桃色の色無地に、銀と薄桃色の帯を合わせました。それに同系色の鹿の子の帯揚と帯締。分かりにくいですが、半襟もちょっと細工のあるものを付けました。
結局、これがこの色無地の最後の出番となりました。私が結婚することにより、さすがにこの色を着る女系は誰もいなくなって、染め替えに出されたのです。先日、仕立てあがってきていると母から連絡がありました。五月に帰国の折には、生まれ変わった着物に袖を通すのを楽しみにしています。

着物についてお喋りする会 第二弾

2006年03月21日 | あわせ
 日本行きがなくなったため、前回から一週間とおかずに急遽第二弾が開催されました。Yokさん、いろいろとありがとうございます。
 今日のメインイベントは、前回途中退出してWBC観戦に行かれた鎌倉ご出身のYumさんが初めて一人で着付けてみる、ということでした。お茶歴がお長いのに?と思っていましたら、ご実家ではお茶会など着物を着るときは毎回お着付けしてもらっていらしたとか。まずは一旦私が説明をしながら着てみせて、次にYumさんが実際に着てみます。長襦袢、着物、ときて次は帯。すっかり気に入ってしまった前回のMakさんの「わさが首近」技を伝授しました。
 ややこしいところは、適度な幅のある布や紙を体に模した円筒に巻きつけて説明すると、頭に入りやすいようです。私も、水屋で懐紙を指に巻きつけて教えていただいたことがあったりなんかして。感心にも、もう一度帯結びの練習をなさるときは、Yokさんの秘密兵器「ヒコウキ」が登場、帯枕の位置が固定されるいいお道具でした。
 初めてご自分で着付をなさったYumさんはニコニコしていらして、何だかこちらも嬉しくなりました。自分で着始めた時のことを思い出しました。着付というのは慣れですから、回数がものをいいます。復習を是非に、とお願いして、次のお稽古のときはお着物での登場が待たれます!

以下、「わさが首近」技の写真を撮ってもらいました。
①肩にかかる手先は首に近い方がわさ
②帯を二巻きしたら、手先を下ろします
③二巻きした方を90度折り上げて、仮紐をします
④手先を前にやり、仮留めします。写真は右からですが、どちらからでもいいようです。後は普段どおりにお太鼓を作っていきます。

利休忌の着物

2006年03月19日 | あわせ
利休忌に参りました。できるだけ地味なつくりで来るように、と先生からお言葉があったので、社中の方にも相談した結果こういうことになりました。地味目、金糸の入った帯を避ける、となると染めの北川のこの塩瀬。もう何度目の登場になるでしょう。帯締も地味に地味にと若葉色にはした色が混ざったものとしました。
いざ参りますと、教授クラスの先生方はやはり色無地に黒や灰色、抑えた色目の帯、という感じで、一番偉い先生は地味目の組み合わせに黒の帯締をなさっていました。いらした方々は春らしい色目の小紋なども見え結構さまざま。
帰ってからお家元のホームページを拝見しますと、利休忌に当たられる方々、特にお家元など血の繋がっておられる方々はきちんと回向の装いをなさっているようにお見受けし、その後の茶会に参加する方々はそれこそいろいろ。にしましても、来年のために黒地の袋帯を日本から取り寄せよう、と強く思ったことでした。

白地に緋色訪問着

2006年03月13日 | あわせ
コントラストが鮮やかな訪問着はM伯母からのものです。特に上前から裾にかけて模様がはっきりした色づかいなので、コンサートやパーティなどにどうかしら、と思っていたところ、格好のシチュエーションが到来。UCLA芸術建築学科デザインメディア芸術専攻の修了展覧会のパーティです。写真は友人の作品の中に入り込んで撮った一枚。後ろのスクリーンにも着物が映りこんでいるの、わかりますか。
こちらに持ってきている袋帯はどれも金糸が入っていてその場には光りすぎるということで、またしても訪問着に塩瀬帯という掟破り(?)をしてしまいました。このピンク地にろうけつ染めの帯もM伯母からのもの、帯締は帯から一色を取ってK祖母のたんすから出てきた未使用の紫色。帯揚は上七軒の「弓月」にて珍しく自分で手配したもので、桜色と薄い卵色がぼかしになった西陣お召。帯ときものを繋げる配色を意識しました。
春らしい装いを、と思って出かけましたら、ぴゅーぴゅー吹く風が冷たい宵でした。

K祖母の形見

2006年03月05日 | あわせ
仕立てあがった着物に袖を通す前にしつけ糸を抜いていると、何ともなくこれまでの経緯に思いを馳せるものです。今年になってから、亡き義父のものを義母が仕立て直してくれた夫の大島や、着付けを手伝った方の白生地から選んで染めに出された色無地のしつけ糸をとらせていただき、えもいわれぬ感慨を味わわせていただきました。
昨年世を去った父方のK祖母のたんすから出てきたこの着物は、年始の帰洛時に、お稽古着に丁度よい色合いの小紋だと船便に載せたものです。届いてから改めてみましたら、蜀江文に鳳凰や松が意匠された大きい柄行の江戸小紋とも思える地の部分に、麻の葉や更紗様の絵羽柄が思い切りよく染められていて、共八掛。そしてまだしつけが付いていました。
着物姿の祖母の記憶が殆どないほど普段は洋装の人でした。一体どのような帯を考えていたのやら見当もつかないまま、軽いかもしれませんけれど、手持ちの少ない中から白の塩瀬を合わせてみることにしました。この塩瀬はakeさまが、地味目を好む私に年齢相応のものを、と選んでくださったもので、大変重宝しています。帯揚は宝尽くし、帯締は朱色、ともにゑり善製。「お茶のデモンストレーション」のお正客役を務めさせていただきました。

今度は黒の名古屋帯で

2006年02月23日 | あわせ
お茶のデモンストレーションで舞台に上がるということで、他の方と相談の結果、一月に着た小紋になりました。会場が椿の盛りということで帯は母から譲り受けた椿の意匠のもの、帯揚は先日初釜のお土産にいただいた赤の縮緬、帯締はちょっと引いて薄い桃色を選びました。
私の実年齢をご存知の方にはちょっと過激な色合わせでしょうけれど、この乾いた砂漠気候の土地では燦燦と降り注ぐ陽光に映える鮮やかな配色。イギリスに暮らしたことのある母から、外国の方にとって日本の色とは赤と黒よ、といわれたこともあって、今日の観客はアメリカ人でもある、と思い切りました。画家の三橋節子さんが「水蒸気の国」と評した日本、特に京都では怯むでしょうね。異国ならではの取り合わせです。なお、黒い帯に薄い色の帯締は京都の先生がよくなさるので、いつか真似したい、と思っていたのを実現しました。

紅型小紋と白塩瀬

2006年02月22日 | あわせ
明日に着る予定の組み合わせに先駆けて、先月の初稽古の時に着たものをアップします。
このきものは母の従姉であるM伯母からいただいたものです。浜松在住の伯母はご自分に女の子がいらっしゃらないことから、遠縁の私に若い頃に母上に見立ててもらったいくつかを分けてくださりました。私は祖父の姉にあたる福島在であった大伯母とは子供の時分に二回会っただけですが、何とも優しい聡明そうな方だったと記憶しています。既に世を去られたその方の目が入っていると思うと、なお一層愛しいものに思えるものです。
この紅型小紋には北川の塩瀬を合わせました。日本ではちょっと派手かとも思える組み合わせに、Eguちゃんデザインの帯揚と帯と合わせて買った帯締です。

初めて買ったきもの

2006年02月19日 | あわせ
初めて自分で買ったといっても、後が続いていないのですから、今のところ、唯一という方が正しいのでしょうね。何年か欲しいと思っていたこのきものを縁あって二年ほど前に手に入れました。山岸艶子さんのほたる絞りです。その当時、お店の方が教えてくださるに、この方はもう随分なご高齢で後継者もいらっしゃらないので、このままだと作家さん独自の技術が途絶えてしまうのですよ、と。袖を通すたびに、その後、引き継ぐ方は現れたのかしら、ということが頭をよぎります。美しいものを作ることは並大抵のことではないでしょうが、何とか次の世代に引き継がれることを祈らずにおれません。
ゆっくりめの初釜に合わせた帯は、大学卒業祝いに父方のK祖母からいただいたとみや帯です。孔雀に花紋の袋帯の一色をとったブルーの帯締で少し爽やかに。