ロサンゼルスで、着物暮らし

太陽燦燦のロサンゼルス近郊で接する和なあれこれ。
LAに帰って来ました。肌寒い日が続いています。

きものがたり

2006年04月26日 | ほん
作家の宮尾登美子さんがたんすの中身を大公開されています。フルカラーで次々と紹介される着物や帯、羽織などの何と華やかなこと。戦争を経験し、満州からの辛い引き揚げを経験されたとはいえ(だからこそ?)、高知の裕福なおうちでの生まれ育ちや、あの宇野千代さんともご交流があるということも関係あるのでしょうか。1月から12月まで、礼装、羽織、訪問着から絞りまでテーマ別にまとめられ、これでもか、と目の保養をさせていただきました。ご職業柄か絵羽ものが多く、その美しさにうっとり。
大正のお生まれのならでは、の昔の風習のお話なども織り交ぜ、小説とはまた違った語り口は恥らうようでもあり、70余年を生き抜いてきたという気概に満ち満ちているようにも思いました。調べますと、先日の4月13日でめでたく満80歳になられたようで、そんなにご高齢であったか、と驚き、改めて、掲載されている月毎のポートレイトの若々しいことに、目がまん丸になりました。ン十年後、かくありたいものです。

行躰さんの白足袋

2006年04月23日 | こもの
随分前に仕事上、秋になると「にっぽんと遊ぼう」というイベントの手伝いをしていました。ドン・○リニオンなどが協賛して、二尊院に始まり永観堂、高台寺、大覚寺、仁和寺、平安神宮など錚々たる寺社を会場に日本独自の美を感じていただこうというもので、全国からいろいろな方が集まってこられました。確かドンちゃん飲み放題、という今から思うとバブル崩壊後とは思えない企画(笑)。当時大人気だったサッカー選手が美しい奥さま連れでいらして、別の意味で目の保養をさせていただいたこともありました。
さて、二条城で和魂洋才をテーマに催しがあった年のこと、庭園「清流園」でお茶席を設け、当日の一切は某千家の行躰さん(お家元の高弟)が面倒を見てくださることに。案内係を務める予定だった私も、担当者と行躰さんとの現地下見にご一緒させていだきました。いろいろな細かい打ち合わせが進む中、本筋に関係のない供は、目をあちこちに走らせ、ふと行躰さんの足袋の表面がでこぼこしているのに気づき、はっとしたのです。ハレの席にはきちんとしたものをお履きの方も、ケのときはこうやって始末してはるんやなぁ、毎日お着物で過ごす方はこういうことをしはるんかぁ、と。
後にも先にもあんなにしっかり綴った足袋を見たことはなく、何かの折にはその行躰さんのお顔は覚えていないのに、あのつま先を思い出すのです。だからといって、茶の道も着物の道も究めるではない私は、あれから一度も足袋を破れるまで履いたことがなければ、綴ることもない、という暢気なこと。どちらかというと足袋の手入れが大の苦手で、ネットに入れて洗濯機ということもする始末で、我ながら困ったものです。そうそう、どこかで読んだことがある「京都の町で白足袋にはかなわない」というような言葉、何やら言い得て妙だと思いませんか。

繻子の名古屋帯

2006年04月13日 | おび
三月の日本出張時に夫が持って帰ってきてくれたうちの一筋、繻子の名古屋帯。これも春らしい色で、松竹梅に流水、楓や花などの意匠が絞りで描かれています。白地小紋には、肉眼で分かる程度に薄いピンクの染めもあり、八掛も薄色なので、帯と一体感を持たせられたらなあ、と思ったのですが、写真ではわかりにくいですね。サーモンピンク&金茶の帯揚、同系色の帯締と合わせて。帯揚は呉服屋さんに勤めていた友人がデザインしたもの、それ以外はM伯母からいただきました。
帯が派手かしら、と気に病みつつ身に付けたところ、芦屋で、きもの暮らしの真美さまが「帯に派手なし!」という言葉を教えてくださいました。これからちょっと自信を持って着ることができるような気がします。
花月のお稽古にはほぼ全員が着物で集まり、アメリカとはとても思えませんでした。

アットホームコンサートへ

2006年04月08日 | あわせ
春が近づくにつれて無性に着たくなったピンクの街着他を、先月日本に出張した夫がスーツケースに詰めて運んでくれました。帯は、花の意匠のろうけつ染め塩瀬(4月8日は花祭りでもあります)。今日は久しぶりにお稽古関係ではないアメリカ人中心の社交の場、ということもあり、何か面白くしたくて、帯揚を袖からこぼれる赤と合わせ、紫の帯締をしてみました。髪には鼈甲の簪。
改めて思ったのは、着物を着るという行為は、自分は日本人だと主張するのと等しい、ということです。コンサート(詳しくはこちら)の会場では、「日本のどこから来たの?40年前、僕は六本木に住んで丸の内に通ってたんだよ」と会話の糸口になったり、「12月のホリディパーティにも来ていたわね」と思い出してもらったり、言葉のハンディがある私にとっては、着物はありがたい味方です。帰り道にスターバックスに立ち寄ったときも、車から降りてほんのちょっぴり歩くだけでかなり注目されていて、見知らぬ人から「素敵ね」と話しかけられたり。
もちろん、中国の衣装と区別がつかない、という人たちも少なくはないでしょうが、興味のある方は目に留めてくださいますし、そこから何かしらの交流ができると嬉しいものです。

結納の思い出

2006年04月04日 | あわせ
最近、全く着物を着ていないもので随分と更新が滞っています。
今日ひょんなところから、一年半近く前の結納の日の写真データが出てきました。形式的な結納といっても、母親同士の初顔合わせの場でもあり、随分緊張した覚えがあります。会場に選んだのは夫にも私にもゆかりのある京都市内のあるお店で、その日の朝に東京を発った方たちをお迎えする、といったことでした。
何を着ようか迷った末に、一月下旬のおめでたい席でもあるし、と母が若い頃に作ってもらったという薄桃色の色無地に、銀と薄桃色の帯を合わせました。それに同系色の鹿の子の帯揚と帯締。分かりにくいですが、半襟もちょっと細工のあるものを付けました。
結局、これがこの色無地の最後の出番となりました。私が結婚することにより、さすがにこの色を着る女系は誰もいなくなって、染め替えに出されたのです。先日、仕立てあがってきていると母から連絡がありました。五月に帰国の折には、生まれ変わった着物に袖を通すのを楽しみにしています。