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世相見聞録

世間の出来事や自分自身が体験したり見聞きしたことなどを、論評や感想を加えて書きつづっていきます。

ペットの死

2007年12月26日 | 

14年前に、川原に捨てられていた握りこぶしほどの子猫。
拾ってきたときには目も見えず衰弱しきっていたが、娘たちの懸命の世話で元気になり、『ハナ』 と名づけられた。

非常にわがままで気位の高い猫であったが、それなりに家族に溶け込んでいたので、先月衰弱して死んだときには、やはり悲しい思いが走った。

この写真は、死ぬ1ヶ月ほど前に撮った最後の写真である。
最後まで、おすましの姿勢を崩さずそっぽを向く態度は、いかにもこの猫らしい。

内部告発と密告社会

2007年12月22日 | 社会問題
最近多発している食品偽装、建築業界の手抜き工事、役所の裏金作りなど、企業や役所などにおける一連の不祥事は、その多くが内部告発によって発覚している。

これによって、それまで陰で行われていた不正が暴かれ、被害の拡大がそこで食い止められることになるわけで、内部告発の社会的な意義は極めて大きい。

内部告発は、決して組織を裏切るものでもなく、あくまでも不正義を正すために行われるものであり、それによって告発者が迫害されるようなことはあってはならない。

それは十分にわかっている。

しかし、この内部告発の行き着く先が、職場の同僚や上司・部下などが、さらには日常生活を過ごす地域社会までもが、お互いに監視し合い密告し合うようになってしまうのではないか、と心配するのは心配しすぎだろうか。

別に悪いことをしてなくても、いつも誰かに見られている、些細なことで誰かに密告されるかもしれない、不用意な会話が曲解されて告発されるのでは・・・・などとお互いに疑心暗鬼、戦々恐々と暮らさなければならない密告社会はイヤである。

内部告発制度が、昔の軍国日本において国家により奨励され悪用された密告制度のようにならないことを切に願う。

聖人君子になれとは言わないが・・・・・・

2007年12月21日 | 社会問題
人間は誰しも失敗もするし欠点はあるもの、聖人君子のような完璧な人間などいるはずもない。

しかしそうは言うものの、以下のリストをご覧いただきたい。
ここ1ヶ月の間に報道された警察官による不祥事である。

警察組織の隠蔽体質を考えれば、これでも氷山の一角、隠されている不祥事はさらに多いだろうということは容易に想像できる。

完璧な人間などいないと言っても、これではあまりにも酷すぎるのではないだろうか。

法を守り市民を守る義務を負っているはずの警察官がこれでは、笑うに笑えない。
そのとばっちりは市民が受けることになるのである。

組織というものは、上が腐れば下まで腐る。
腐らせる原因が必ずあるはずである。

これは明らかに異常事態であるということを、警察トップは認識してほしい。
そして、各々の警察官は、上を見て仕事をするのはやめて、市民のために働いてもらいたい。

しかしこの市民感覚から隔絶した警察組織は、こういう事態になっても単に管理強化を強調するのみで、警察官にGPSを持たせて行動を監視します・・・と、どこかの警察署がやったような、ピント外れの小手先だけの対策で済ましてしまうんだろうなぁ・・・・


<最近1ヶ月間の警察不祥事>(日付は報道日)

12月20日〔神奈川県警〕 警視(51歳)が霊感商法に関与(詐欺)

12月19日〔警視庁〕  巡査部長(32歳)が交番で拳銃自殺

12月18日〔群馬県警〕 警部補(40歳代)が酒気帯び運転

12月13日〔兵庫県警〕 警部補(54歳)がJR車内で痴漢

12月13日〔栃木県警〕 巡査(23歳)が交番で拳銃自殺

12月10日〔静岡県警〕 巡査部長(57歳)が酒気帯び運転

12月07日〔千葉県警〕 巡査長(26歳)が留置場内で女性被告にわいせつ行為

12月07日〔北海道警〕 巡査部長(35歳)が覚せい剤を常用

12月06日〔埼玉県警〕 巡査(21歳)が交通反則切符を偽造

11月30日〔埼玉県警〕 巡査部長(31歳)が女子高生スカート内を盗撮

11月23日〔埼玉県警〕 巡査部長2人(いずれも53歳)が捜査書類を自宅に放置

11月20日〔茨城県警〕 巡査部長(27歳)が交通事故被害女性に迷惑行為(ストーカ類似行為)

期末試験

2007年12月15日 | 学校
やっと終わった。

連日の、午前3時・4時までの勉強は体に悪いとわかっているのに・・・
普段から計画的に勉強してれば何の苦労もないのに・・・

追い込まれないと動かない性格は、子供のころから変わってない。

反省・・・・します・・・ウゥ・・

口だけの反省ならサルでもできるって? ふん、わかってますよ!

恥じらいの夫婦大根

2007年12月12日 | 日々の戯言
               人間の男女のような形の「夫婦大根」

この写真、朝日新聞からの盗用です。
あまりにも笑える写真だったので、ついつい拝借してしまいました。


<関連ニュース記事>
「曲線に恥じらい」 男女の形した大根評判に 秋田(朝日新聞)

火事場の行動、批判するのは結果論

2007年12月06日 | 事件・事故
岐阜県・県営住宅の5階が火事になり、4階に住む26歳の母親が2歳の長女をベランダから投げ落としたが、付近の住民が受け止められず、その長女はアスファルトに頭を打って重体に陥ったという。

この事故については、子供を投げ落とした母親に対して、無謀だ、軽率だ、テレビの見すぎだ、などの批判が数多く寄せられている。

確かに、その母親本人は夫や5歳の長男などとともに無事に脱出できたので、子供を抱いて逃げられたはずだ、ということだろう。

しかしパニック状態に陥った母親が子供を必死で助けようとして、結果として失敗したことについて、結果論でただその行為を責めるだけというのは酷である。

外から眺めていれば5階だけ燃えていて4階は大丈夫というように見えても、4階にいる当事者にとってはどこが燃えているのか皆目わからず、火に囲まれていると錯覚してもおかしくはない。

私はむしろ、テレビなどのマスコミこそ批判されるべきだと思う。

先日も、同じような状況でベランダから投げ落とされた子供が下の人に無事に受け止められたという場面がテレビで放映されていた。

この番組では、子供を投げ落とした母親を、勇気ある行動、正しい判断、子供を助けたい一心が奇跡を生んだ、などともてはやしていた。

こうしたマスコミによる興味本位の番組が、咄嗟の場面で頭をよぎり、危険な行動を誘発することになるのである。

そのような番組を一切無くせとは言わないが、たまたま運よく成功したことばかりを強調するだけではなく、危険な面も合わせて認識できるよう、十分配慮された番組を制作してもらいたい。


<関連ニュース記事>
5階火事、4階住民が2歳女児落とす…キャッチ失敗重体(読売新聞) - goo ニュース

全裸で雷の発生を確認?

2007年11月30日 | 海外の話題
全裸で雷の調査をするとは、なんて勇気ある人なんだ!

怖くないかい?

と思ってよく見たら、『金星』 を 『全裸』 と間違って読んでいた。

どうしてこんな読み間違いをしたんだろう・・・(汗)

あ~恥ずかしい・・・・・


<関連ニュース記事>
金星で雷の発生を確認 欧州宇宙機関探査機(共同ニュース)・・・gooニュース

臓器移植

2007年11月27日 | 医療・健康
以前より、臓器移植や臓器売買について不条理さを感じていたので、今回思うところをまとめてみました。興味のある方はご覧ください。


<臓器の提供を受ける人、提供する人>

近年の著しい医学の発展は、あたかも故障した機械の部品を取り替えるかのように、機能が回復不能となった人間の臓器を他人の健康な臓器に置き換えることも当たり前にできるようになってきた。そのおかげで、例えば重い心臓病を患ってただ死を待つしかなかった患者も、脳死した他人の心臓を移植することによって健康を回復することも可能になった。これによって命が救われた患者本人や家族の喜びはこの上もないものだろう。

しかし臓器移植によって命が助かる人がいるその裏側には、臓器の提供者(ドナー)の存在が必ずあることを忘れてはならない。日本では、1997年に制定された「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)により、移植を目的とした脳死者からの臓器摘出に関すること、臓器の売買を禁止することなどが厳しく規制されている。脳死者の生前における臓器提供意思の認定なども諸外国に比して極めて厳格なものである。このため日本ではドナーとなる人が非常に少なく、国内における臓器移植の件数が極端に低い移植医療後進国に位置づけられているというのが現状である。

臓器移植は、移植を受ける側の命を救うという面ばかりが強調され、善意によって無償で臓器を提供する側にも、死に直面した肉親に対して悲嘆する家族がいるという側面が忘れられがちである。ここでは、臓器移植によって何も得るものもなく、ただ心理的悲嘆が大きくなるだけに見えるドナー家族が、その代償として少なくとも金銭的な見返りくらい受け取ることも許されないことなのか、という素朴な疑問を考えてみたい。

(参考)年間脳死移植件数 (出典:小学館OYAKOほっとネット
    ・日本:9件(2005年)
    ・米国:2500件(概数)
    ・韓国:100件以上(概数)
    ・台湾:300件以上(概数)


<海外にドナーを求める日本人>

ドナーの数が極めて少ない日本においても移植を希望する患者は増加する一方であり、移植を受けられず死亡してしまうケースも多々あるという。特に臓器移植法により国内で移植を受けられない15歳未満の子供にとっては、より深刻な問題となっている。

このような状況にあっては、国内での移植に絶望した患者が海外にドナーを求めることは必然の成り行きである。しかし海外での移植は数千万円という莫大な費用がかかる上に、ドナーの出所も不明確な場合が多く、中には臓器売買の疑いがあるものもあり問題が多い。また、金にものを言わせて海外で臓器を買いあさる日本人に対して、自国の患者は自国で治療すべきという大原則を逸脱しているとする国際批判も高まっている。海外においてもドナーの数が不足していることに変わりはなく、日本人用に特別にドナーを確保することに対する批判は当然のことといえよう。


<中国では死刑囚から移植用臓器を採取している>

ところで中国では、年間8千人ともいわれる処刑者から強制摘出した臓器による移植が多数行われている上に、臓器売買や仲介ビジネスが横行し、外国からの移植希望患者を多数受け入れているとされている。北京オリンピックを控えた中国政府は、国際批判をかわす狙いで今年5月にドナーの意思尊重や臓器売買の禁止などを盛り込んだ「人体器官移植条例」を施行し、死刑囚からの臓器摘出や不透明な手続きを一掃する方針を打ち出している。

その一環として今年9月には、臓器仲介ビジネスに関わったとして日本人男性が中国の瀋陽市公安局に拘束されたことが明らかにされたが、これも臓器移植問題に厳しく対処していることを国際社会にアピールする狙いがあるとみられている。しかし、別件で日本人4人が中国において今年8月から9月にかけ腎臓移植を受けたことも明らかになっており、旅行目的で入国した外国人への臓器移植を禁じた中国衛生省通達にも抜け道があることが判明している。

また通常なら移植希望者に適合するドナーが現れるまで短くて数ヶ月、長ければ何年も待たなければならないが、中国ではほとんどのケースで1週間以内にドナーが見つかるという。これは1万人以上拘禁されているとされる死刑囚の中から適合者を抽出して、臓器摘出の必要に応じて処刑しているからではないかという疑いも持たれている。

さらに日本でも各地で開催された「人体の不思議展」に陳列された人体解剖標本も、その多くが中国人死刑囚のものであることが疑われている。中国では死刑囚の身体や臓器が大きな外貨獲得手段になっているともいわれており、日本人はその需要の多くを発生させることで、そうした非人道行為に加担しているといえるのではないだろうか。


<フィリピンでは臓器売買合法化の動き>

一方、フィリピンにおいては臓器売買合法化の動きがあるという。フィリピン政府が今年に入って検討している生体腎移植新制度案は、腎臓移植を希望する外国人に対し、生体腎ドナーへの生活支援費、および別のフィリピン人患者一人分の移植手術代を支払う、などの条件を満たせば腎臓移植を認めるというものである。

この背景には闇で横行する臓器売買にからむ貧困層ドナーの悲惨な現実がある。この新制度案は貧困層ドナーが闇取引で腎臓を安く買い叩かれた上、身体も壊して生活も成り立たなくなる、といった悲劇を防ぐ狙いがあるという。しかしこれは実質的に臓器売買を公認するもので倫理面の問題もあり、実際に導入されると日本人患者がフィリピンに殺到することも懸念される。

貧困層にとっては、生活のために臓器を売ることはあっても、自分が臓器不全によって命の危機にさらされた場合は決して臓器を提供してもらうことを期待できないのである。金次第で命が左右される現実には矛盾を感じざるをえない。

(参考)海外で移植を受けた日本人患者数(厚生労働省2006年3月確認分)
    ・総数:522人 
    ・腎臓移植:198人(1位:中国106人、2位:フィリピン30人)


<適正・公平な医療の実現に向けて>

以上、日本の臓器移植にからむ厳格な法的環境、そのために国内のドナーが極端に不足し海外にドナーを求めざるを得ない現状、そして多くの日本人が移植を受けている中国やフィリピンでの臓器移植の現実や問題点について述べてきた。これで見えてきたことは、日本では厳しく禁止しているはずの臓器売買が、結果として海外における悲惨な臓器売買の助長につながっているのではないか、ということである。

臓器売買はドナーに対する補償に見えても、結果的には様々な犯罪を誘発し、許してはならないものである。

臓器移植はあくまでもドナーの善意によって成り立つものでなければならない。しかしそのためにはドナーに対する手厚い保障や、誰もが公平に移植医療の恩恵を受けられるという国民的な合意が得られなければ、ドナー不足の現状は改善できず、一部の富裕層のためだけのものになったしまう恐れがある。

元々、臓器移植は金銭的なやりとりを別としても、人間の身体から取り出した臓器を使用するものであるから、倫理的にも多くの問題を含んでいるものである。医学界は単に医療技術を追求するのみでなく、これまで以上に倫理的・社会的な側面も十分考慮し、適正・公平な医療を国民に提供できるよう国と連携して作り上げていく努力をするべきであろう。

公園

2007年11月16日 | 日々の戯言

毎日通学時に通る公園内の道。

夕方は4時半に閉まってしまうので、ここを歩くのは往きの15分だけ。

ジャーナリストの本分を忘れた読売新聞

2007年11月10日 | 社会問題
自民党との大連立を志向して、辞めるの辞めないのと世間を騒がせている小沢民主党首。

国民不在の政論はもう聞き飽きた。
弱者いじめの政治を変えたいとする国民の期待を裏切ろうとした代償は大きい。

ところで、この大連立構想を裏で操っていたのは読売新聞社の渡辺恒雄会長だというから、開いた口が塞がらない。

まったくお騒がせな人物、というだけでは済ませられない重大な問題を含んでいることを、読売新聞社は認識しているのだろうか?

ジャーナリストは、一切の権力から距離を置いて国民に真実を報道することが使命であり、権力に擦り寄ったり、ましてや権力側に立って様々な陰謀を画策することは、ジャーナリストとして最も恥ずべき行為のはずである。

そういえば、大連立構想が暴露された後、初めに連立を持ちかけたのは小沢党首側である、という記事を流したのは読売新聞だけだったので、不思議に思っていた。

関係者の言、ということであったがその関係者が自分のところの会長だったということで、なるほどな、と納得できた。まさに自作自演である。

巨大新聞をバックに権力を志向するナベツネ会長、そしてそのイエスマンになってジャーナリストの本分を見失った読売新聞幹部は、恥を知ってほしい。

さらに言わせて貰うと、最もしつこくて嫌らしい購読勧誘を行っているのも読売新聞である。

妻が景品の多さに騙されて、一時読売新聞を購読したことがあるが、内容は自民党の機関紙か?と間違うほどの記事ばかり、スポーツ記事は巨人軍の宣伝ばかり、広島ファンの私としては頭にくることばかり。

あ~アホらしい新聞。
こんな新聞社は早くつぶれてしまうことが国民のためである。


<関連ニュース記事>
渡辺読売会長と森元首相が仲介 小沢氏に「大連立を」(朝日新聞)
「民主党内、絶対まとめる」大連立は小沢氏が持ちかけ(読売新聞)

350円の両替で315円の手数料??

2007年10月31日 | 事件・事故
西宮市の三菱東京UFJ銀行支店で、350円を5円玉に両替しようとした新聞販売所従業員が、手数料(315円)の高さに怒り行員のネクタイを引っ張るなどしたため、暴行現行犯で逮捕されたという。

暴行はよくないが、350円の両替で315円の手数料とは、あまりにもひどすぎる。

これでは誰でも怒るのは当たり前である。

この銀行の規定によると、両替した硬貨が50枚以内であれば手数料はかからないが、51枚以上になると手数料がかかるという。

確かに、小口の両替などは銀行にとっては手数ばかりかかって何の利益にもならないかもしれない。

しかし銀行は、国民からただ同然の利子で預金を集め、貸し付けるときは預金利子の何十倍・何百倍もの利子をとって大儲けしている。

バブル時代には土地ころがし業者などに膨大な資金を提供して日本経済大混乱の元凶になったあげく、多額の不良債権を抱えて破綻し、国民の税金で助けてもらった、ということを忘れたか。

自分の預金を引き下ろす場合でさえも手数料を取られる。
両替や預金払い戻しなどの手間は、銀行として当然のサービスであり、手数料は一切無料にすべきだろう。


<関連ニュース記事>
手数料315円に逆上、男を逮捕 銀行で350円を両替(朝日新聞)

赤ん坊を電子レンジで加熱

2007年10月24日 | 海外の話題

<時事ニュースより引用>
父親が赤ん坊を電子レンジに=弁護士は「心神喪失」と主張-米
【ロサンゼルス22日時事】米紙によると、20歳の男が生後2カ月の自分の娘を電子レンジで加熱し、大やけどを負わせたとして、テキサス州ガルベストンの警察に逮捕された。男の弁護士は先週、善悪の判断ができない状態だったとして、心神喪失(精神障害)の認定を裁判所に申請した。 男はアーカンソー州出身で、牧師になるために妻と娘を連れガルベストンを訪れ、ホテルに滞在。事件が起きたのは今年5月で、男は当時2カ月の娘を殴り、金庫や冷蔵庫に押し込めた後、電子レンジに入れて10-20秒程度加熱したという。
<引用終了>
 

犯罪を犯しても、そのとき心神喪失で善悪の判断ができない状態であれば罪に問われない、とする決め事はほとんどの国で設けられているが、その心神喪失状態を公正に証明できるものだろうか?

素人の思い込みかもしれないが、心神喪失状態であるなら、赤ん坊を殴り、レンジの扉を開け、赤ん坊を押し込み、スイッチを入れて加熱する、という一連の知的?作業ができるとは考えにくい。

そもそも殺人などを犯したりする場合は誰でも精神的に正常であるはずがないので、考えようによっては、どのような事件でも心神喪失を主張できそうにも思う。

専門的で厳密な判断基準があるとは思うが、日本でも最近は安易に心神喪失を主張し、罪の減免を狙う弁護士も多い。

山口県光市における母子殺害事件の裁判のように、罪を減免させるために奇妙な理屈を言い立てる非常識な弁護団も存在する現状では、心神喪失や耗弱の認定はよほど厳しくしてもらわないと、被害者やその家族の気持ちは報われないだろう。


ブラインドウォーク

2007年10月15日 | 学校
私が通っている専門学校では、2学期から始まった教養課程科目で、あれ?鍼灸学校でこのようなこともやるの?と思うような変り種の授業もある。

その授業の一つでは、少子高齢化、労働、格差、差別、人権、いじめ、うつ病、引きこもり、自殺、教育、飽食、環境、生命といったような現代社会の問題について、講師がその日のテーマを提起し全員が車座になって議論しあうということをする。

いわば小・中学校における道徳教育のようなものであるが、提起される問題はいずれも社会問題として真剣に考えなければならないことばかりである。

今日のテーマは、ブラインドウォーク。
医療人として、患者から信頼されて体を預けてもらう、そして体を預ける側の心理を体験してみるというものである。

2人一組になって、目隠しをして、もう一人にサポートしてもらって学校から駅まで歩いて切符を買ってくるという体験。

随所で適切な声をかけてもらわないと不安で歩けない。
目が見えればなんでもない道のちょっとした段差でもつまずいてしまう。
歩道でも飛ばしてくる自転車も見えない恐怖。
歩道にはみ出した商店の看板も危ない。

不安で腕を前に伸ばしたら誰か知らない女性の胸を触ってしまって、介助役が謝っていた。(もちろん私も冷や汗かいて謝ったけど・・・)

それでも何とか歩けたのは、介助役を信頼できていたからこそである。

相手の身になって考えるためには、こういった体験も必要なことだと身にしみてわかった次第である。

村八分は違法

2007年10月13日 | 社会問題
今どき、公然とこのようなことが行われていたとは信じられなかった。

新潟県関川村の集落が開いたイベント(イワナつかみ取り大会)に参加しない、という理由で村八分にされた住民が村八分行為の禁止を求めた控訴審裁判で、『集落員としての権利や生活上の利益を奪うもので違法』 との判断が示された。

当然の判決だと思う。

この集落(36戸)の有力者3名は、イベントに参加しない住民11名が集落を脱退したものとみなし、ごみ収集箱の使用禁止、山菜・キノコ取りのための入会地への入山禁止、集落所有物の使用禁止、役場広報の配布停止など、生活上不可欠な権利を奪う措置をとったという。

小さな集落では、みんなが協力しあわなければ集落全体の秩序が成り立たなくなる、ということもあるかもしれない。

しかし、だからと言って、親睦のためのイベントへの参加は強制できるものではないし、不参加を理由にその人たちを村八分にして生活の権利を奪っていい、ということにはならないはずである。

こういったことを許せば、一部有力者の意向のままに集落全体が支配され、個人に犠牲を強いる封建社会そのものになってしまう。

日本の田舎では、まだまだこうした意識が根強く残っているのだろうか?


<関連ニュース記事>
「村八分は違法」高裁も認定 集落有力者に賠償命令(朝日新聞)

カンガルー

2007年10月08日 | 日々の戯言

動物園に行ったのは何年ぶりだろうか。

オーストラリアゾーンで、色っぽい姿態のカンガルーに見つめられた。

私は妻子ある身。

この誘惑に応じるわけにはいかないのである。