以前より、臓器移植や臓器売買について不条理さを感じていたので、今回思うところをまとめてみました。興味のある方はご覧ください。
<臓器の提供を受ける人、提供する人>
近年の著しい医学の発展は、あたかも故障した機械の部品を取り替えるかのように、機能が回復不能となった人間の臓器を他人の健康な臓器に置き換えることも当たり前にできるようになってきた。そのおかげで、例えば重い心臓病を患ってただ死を待つしかなかった患者も、脳死した他人の心臓を移植することによって健康を回復することも可能になった。これによって命が救われた患者本人や家族の喜びはこの上もないものだろう。
しかし臓器移植によって命が助かる人がいるその裏側には、臓器の提供者(ドナー)の存在が必ずあることを忘れてはならない。日本では、1997年に制定された「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)により、移植を目的とした脳死者からの臓器摘出に関すること、臓器の売買を禁止することなどが厳しく規制されている。脳死者の生前における臓器提供意思の認定なども諸外国に比して極めて厳格なものである。このため日本ではドナーとなる人が非常に少なく、国内における臓器移植の件数が極端に低い移植医療後進国に位置づけられているというのが現状である。
臓器移植は、移植を受ける側の命を救うという面ばかりが強調され、善意によって無償で臓器を提供する側にも、死に直面した肉親に対して悲嘆する家族がいるという側面が忘れられがちである。ここでは、臓器移植によって何も得るものもなく、ただ心理的悲嘆が大きくなるだけに見えるドナー家族が、その代償として少なくとも金銭的な見返りくらい受け取ることも許されないことなのか、という素朴な疑問を考えてみたい。
(参考)年間脳死移植件数 (出典:
小学館OYAKOほっとネット)
・日本:9件(2005年)
・米国:2500件(概数)
・韓国:100件以上(概数)
・台湾:300件以上(概数)
<海外にドナーを求める日本人>
ドナーの数が極めて少ない日本においても移植を希望する患者は増加する一方であり、移植を受けられず死亡してしまうケースも多々あるという。特に臓器移植法により国内で移植を受けられない15歳未満の子供にとっては、より深刻な問題となっている。
このような状況にあっては、国内での移植に絶望した患者が海外にドナーを求めることは必然の成り行きである。しかし海外での移植は数千万円という莫大な費用がかかる上に、ドナーの出所も不明確な場合が多く、中には臓器売買の疑いがあるものもあり問題が多い。また、金にものを言わせて海外で臓器を買いあさる日本人に対して、自国の患者は自国で治療すべきという大原則を逸脱しているとする国際批判も高まっている。海外においてもドナーの数が不足していることに変わりはなく、日本人用に特別にドナーを確保することに対する批判は当然のことといえよう。
<中国では死刑囚から移植用臓器を採取している>
ところで中国では、年間8千人ともいわれる処刑者から強制摘出した臓器による移植が多数行われている上に、臓器売買や仲介ビジネスが横行し、外国からの移植希望患者を多数受け入れているとされている。北京オリンピックを控えた中国政府は、国際批判をかわす狙いで今年5月にドナーの意思尊重や臓器売買の禁止などを盛り込んだ「人体器官移植条例」を施行し、死刑囚からの臓器摘出や不透明な手続きを一掃する方針を打ち出している。
その一環として今年9月には、臓器仲介ビジネスに関わったとして日本人男性が中国の瀋陽市公安局に拘束されたことが明らかにされたが、これも臓器移植問題に厳しく対処していることを国際社会にアピールする狙いがあるとみられている。しかし、別件で日本人4人が中国において今年8月から9月にかけ腎臓移植を受けたことも明らかになっており、旅行目的で入国した外国人への臓器移植を禁じた中国衛生省通達にも抜け道があることが判明している。
また通常なら移植希望者に適合するドナーが現れるまで短くて数ヶ月、長ければ何年も待たなければならないが、中国ではほとんどのケースで1週間以内にドナーが見つかるという。これは1万人以上拘禁されているとされる死刑囚の中から適合者を抽出して、臓器摘出の必要に応じて処刑しているからではないかという疑いも持たれている。
さらに日本でも各地で開催された「人体の不思議展」に陳列された人体解剖標本も、その多くが中国人死刑囚のものであることが疑われている。中国では死刑囚の身体や臓器が大きな外貨獲得手段になっているともいわれており、日本人はその需要の多くを発生させることで、そうした非人道行為に加担しているといえるのではないだろうか。
<フィリピンでは臓器売買合法化の動き>
一方、フィリピンにおいては臓器売買合法化の動きがあるという。フィリピン政府が今年に入って検討している生体腎移植新制度案は、腎臓移植を希望する外国人に対し、生体腎ドナーへの生活支援費、および別のフィリピン人患者一人分の移植手術代を支払う、などの条件を満たせば腎臓移植を認めるというものである。
この背景には闇で横行する臓器売買にからむ貧困層ドナーの悲惨な現実がある。この新制度案は貧困層ドナーが闇取引で腎臓を安く買い叩かれた上、身体も壊して生活も成り立たなくなる、といった悲劇を防ぐ狙いがあるという。しかしこれは実質的に臓器売買を公認するもので倫理面の問題もあり、実際に導入されると日本人患者がフィリピンに殺到することも懸念される。
貧困層にとっては、生活のために臓器を売ることはあっても、自分が臓器不全によって命の危機にさらされた場合は決して臓器を提供してもらうことを期待できないのである。金次第で命が左右される現実には矛盾を感じざるをえない。
(参考)海外で移植を受けた日本人患者数(厚生労働省2006年3月確認分)
・総数:522人
・腎臓移植:198人(1位:中国106人、2位:フィリピン30人)
<適正・公平な医療の実現に向けて>
以上、日本の臓器移植にからむ厳格な法的環境、そのために国内のドナーが極端に不足し海外にドナーを求めざるを得ない現状、そして多くの日本人が移植を受けている中国やフィリピンでの臓器移植の現実や問題点について述べてきた。これで見えてきたことは、日本では厳しく禁止しているはずの臓器売買が、結果として海外における悲惨な臓器売買の助長につながっているのではないか、ということである。
臓器売買はドナーに対する補償に見えても、結果的には様々な犯罪を誘発し、許してはならないものである。
臓器移植はあくまでもドナーの善意によって成り立つものでなければならない。しかしそのためにはドナーに対する手厚い保障や、誰もが公平に移植医療の恩恵を受けられるという国民的な合意が得られなければ、ドナー不足の現状は改善できず、一部の富裕層のためだけのものになったしまう恐れがある。
元々、臓器移植は金銭的なやりとりを別としても、人間の身体から取り出した臓器を使用するものであるから、倫理的にも多くの問題を含んでいるものである。医学界は単に医療技術を追求するのみでなく、これまで以上に倫理的・社会的な側面も十分考慮し、適正・公平な医療を国民に提供できるよう国と連携して作り上げていく努力をするべきであろう。