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世相見聞録

世間の出来事や自分自身が体験したり見聞きしたことなどを、論評や感想を加えて書きつづっていきます。

国家試験と母の死

2010年03月27日 | 学校

今日国家試験の合格証書が届いた。

会社生活も終わりかけた60歳近くになって『新たな人生を!』と思い立ち、若い人たちに混じって鍼灸の学生になり、鈍重な頭と体を奮闘させた3年間の結果がこのたった1枚の合格証書である。

これを役立てるのはこれからが本番、のんびりはできない。

しかし思い返せば、誰よりも喜んでくれるはずの母は国家試験当日早朝に亡くなったが、姉の配慮で私には知らされず、私は何も知らないまま能天気に国家試験を受けていたのである。

姉の配慮がなければ、あるいは1日早ければ、試験どころではなかった。

天国の母ちゃん、合格したよ。今までありがとう。

期末試験

2007年12月15日 | 学校
やっと終わった。

連日の、午前3時・4時までの勉強は体に悪いとわかっているのに・・・
普段から計画的に勉強してれば何の苦労もないのに・・・

追い込まれないと動かない性格は、子供のころから変わってない。

反省・・・・します・・・ウゥ・・

口だけの反省ならサルでもできるって? ふん、わかってますよ!

ブラインドウォーク

2007年10月15日 | 学校
私が通っている専門学校では、2学期から始まった教養課程科目で、あれ?鍼灸学校でこのようなこともやるの?と思うような変り種の授業もある。

その授業の一つでは、少子高齢化、労働、格差、差別、人権、いじめ、うつ病、引きこもり、自殺、教育、飽食、環境、生命といったような現代社会の問題について、講師がその日のテーマを提起し全員が車座になって議論しあうということをする。

いわば小・中学校における道徳教育のようなものであるが、提起される問題はいずれも社会問題として真剣に考えなければならないことばかりである。

今日のテーマは、ブラインドウォーク。
医療人として、患者から信頼されて体を預けてもらう、そして体を預ける側の心理を体験してみるというものである。

2人一組になって、目隠しをして、もう一人にサポートしてもらって学校から駅まで歩いて切符を買ってくるという体験。

随所で適切な声をかけてもらわないと不安で歩けない。
目が見えればなんでもない道のちょっとした段差でもつまずいてしまう。
歩道でも飛ばしてくる自転車も見えない恐怖。
歩道にはみ出した商店の看板も危ない。

不安で腕を前に伸ばしたら誰か知らない女性の胸を触ってしまって、介助役が謝っていた。(もちろん私も冷や汗かいて謝ったけど・・・)

それでも何とか歩けたのは、介助役を信頼できていたからこそである。

相手の身になって考えるためには、こういった体験も必要なことだと身にしみてわかった次第である。

スケルトン

2007年05月29日 | 学校

教室でいつも我々をにらんでいる骨格標本。

今日はどういうわけか、クラスの女の子たちにいじり回されている。

あ~ん、お口開けて~ 

おいおい、骨をおもちゃにするなって。

おもちゃにするなら僕を相手にどうぞ。

そういえば、今日は解剖学で骨の授業がある日だったな。

おじさんは、骨の名前を覚えるだけでも大変だ・・・・・

図書室

2007年05月19日 | 学校
鍼灸の専門学校に入学して、はや1ヶ月半。

生理学や解剖学など、授業の内容もだんだん難しくなり、授業以外での自発的な勉強もしていかないと、学習能力や記憶力が衰えたおじさんはついていけない。

教科書だけでは理解できないことも多く、当然のことながら参考書が必要となってくるが、医学・医療関係の専門書は目が飛び出るほど高価なのである。

貧乏学生にはそのような本を買う余裕があるわけもなく、もっぱら学校に設置されている図書室を利用することになる。

ところで、この図書室はかなりの蔵書があって結構立派なものであるが、一つだけ残念に思うことがある。

それは、カバンやバッグなどの私物を持って入れないということ。

これは、カバンなどを持って入ると、その中に図書室の本を隠して持って出る不埒な輩がいるからだという。

う~ん、将来、医療人の端くれとして社会に貢献しようと目指している人間が、そのようなことをするわけがないだろう? もう少し学生を信用してくれよ~

しかし学校に言わせると、学生を信じたいが現実に本が無くなってしまうことも事実なので、やむなくこういった処置をしている、だから従ってほしいという。

これは学生だけでなく、教職員に対しても同様に従ってもらっている共通のルール、ということらしい。

どこもかしこも、モラルが足りない人間が増えているということか???
情けないです・・・うぅ・・