あまの鍼灸院ブログ

鍼灸院での毎日の様子をアップしています。
鍼灸院ってどんなところ?と知っていただけたらうれしいです。

金のたまご

2021-05-02 22:03:00 | ブログ
こんにちは。今日は雨の予報もありましたが、
なんとかお天気がもってよかったです。
連休初日ですが、毎週日曜は私の自伝です。
先週の続きです。

 さて、ついつい口がすべり、悪口雑言をたたいた。
後にも述べることになるが、私は、中学卒業後
清水市(現在の清水区)に建具職人になるべく住み込みの「丁稚奉公」に入った。
昭和38年は、第二次世界大戦後のベビーブームで生まれた私達が中学校を卒業する時であった。

経済は好調で、岩戸景気からオリンピック景気、さらにいざなぎ景気が続き、
中卒者は「金の卵」としてもてはやされたのである。
地方から東京・大阪・名古屋などの大都会に集団就職の列車が走った。
その頃
「どこかに故郷の香りを乗せて…… くじけちゃならない人生があの日ここから始まった」
という歌詞に乗って、伊沢八郎の「ああ上野駅」と言う歌が流行していた。

あっという間に3年が過ぎ、建具職人として一通りの技術を習得し、このままで
良いのだろうかと悩んでいる頃、夜のラジオ番組に、森繁久弥の番組があった。
大工・ペンキ屋・サカン・会社員など、それぞれの職場で中学卒業後「金の卵」
として働いている同世代の悩みに対して、森繁久弥が応える番組だった。

 「本当の幸せにしみじみとむせび泣きたいのならば、今日の不幸せには笑って
耐えようではないか。友よ明日泣け!」
50年余過ぎた今でも覚えているフレーズである。

ラジオを通して共に泣き、共に笑い、励まし励まされながら、
私も「このままでいいのだろうか」
建具職人としてもっと高度な技術を習得したいなどと思い悩む日々が続いた。

「そうだ! 私は職業訓練所に行っていない!」

職業訓練所に行って基礎から勉強し直そうと思い、親方に相談したところ
「靖之!おまえが今から職業訓練所に行っても何も学ぶ事は無い! すでにそれ以
上の事を教えてある。それよりも、夜間の定時制高校に通う気はないか」
と言われた。

当時は職人は学問はいらない! 腕さえ磨けばいいんだ! と言われていた時代である。

この『一言』が私の人生を変えた。この『一言』がなかったら
今の人生はなかったでであろう。千金の重みを持つ『一言』であった。

(来週に続く)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 睡眠障害と鍼灸 | トップ | 『痛み』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿