あまの鍼灸院ブログ

鍼灸院での毎日の様子をアップしています。
鍼灸院ってどんなところ?と知っていただけたらうれしいです。

名古屋漢方鍼医会

2009-10-26 22:45:17 | 健康・病気

昨日は名古屋漢方鍼医会恒例の外来講師をお招きして

『江戸時代の鍼灸』についての講演をお聞きすることができました。

鍼灸は中国から朝鮮半島を経て何度も日本にもたらされたとされていますが

その度に消えては又伝来しつつ、金元時代(1115年~1368年)に陰陽五行論に基づく鍼灸治療が、田代三喜、曲直瀬道三によって定着したといわれています。

江戸時代には、多数の流派が生まれ鍼灸師は『本道』とも云われ内科医と同様で

かなり身分も高い位にありました。

江戸時代の鍼灸師といえばなんと言っても杉山和一が思い浮かびます。

和一は現在の三重県の出身ですが、鍼の修行のため江戸の山瀬啄一に入門しまし
た。元来愚鈍な和一は、なかなか修行が進まず、啄一に破門されました。

和一は失意の内に実家に帰ることになり、途中で信仰していた神奈川県藤沢市の
江ノ島弁天の岩屋に21日間篭もり、満願の日、岩(福石とよばれています)に
躓いて転び意識を失いました。ふと気付くと手の中で丸まった広葉樹に松葉がさ
さっているのを見て管鍼術を考案したというのは有名な話です。

管鍼術というのは、皆様がよくご想像される鍼を管に入れて

管のおしりのほうからとんとんと刺鍼するあの方法です。

それまではああいう方法はなかったということなのですね。

その後、京都の『入江豊明』の元で修行してから江戸に戻り名声が高まっていき
ました。その名声は「犬公方」、生類憐みの令」で知られる五代将軍綱吉の耳に
届き綱吉の病を治したことで関東総検校となりました。

綱吉に「何か欲しいものはないか」と問われた和一は「目が欲しい」と答えたそ
うです。「では、一つ目をとらせる」と答え、目の代わりに本所一つ目の土地を
拝領したのです。それが、現在の東京都墨田区の江島杉山神社です。

按摩と云えば盲人、時代劇などでは、杖をつき笛を吹きながら街角を流し、「チ
ョット按摩さん」と呼び止められるシーンを思い出す方が多いと思います。

ところが、江戸時代にも現在と同じように晴眼(普通に目が見えること)のあん摩師も同等におり、笛を吹きながら街じゅうを流して患者を求めていたようですよ。

シーボルトに鍼灸を教えたことで有名な石坂宗哲も若い頃は笛を吹きながら流し
の按摩を行っていたようです。

当院の北壁には杉山和一総検校の威徳をしのび肖像画が飾られていますがお気づ
きでしょうか。ちょうど4番ベッドにおやすみになられると見ることができます。

余談ですが、家内と結婚する前に縁かつぎに(笑)一緒に藤沢の岩屋に行きました。

杉山先生のおかげかその後縁があり子宝にも恵めれ、ご利益たっぷりです。

鎌倉の大仏様の近くにありますのでお近くにかれましたら是非お立ち寄りになってくださいね。私も子供を連れてお礼にまたお参りに行きたいなぁと思います。

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