例年になく全国的に酷暑が続く夏休み。
昨晩から旅行の準備に余念のなかった大助は、翌朝、母親の孝子や姉の珠子から出発に当たって、旅先での注意を細々と言い聞かされ、何時ものこととはいえ、ここが我慢のしどころと馬の耳に念仏で心は旅先に思いをはせて、正座した足の痺れを我慢しながらも俯いて神妙に聞き、その都度、頭をコクリと垂れて頷いて返事をしていた。
小言にも似た 話が終わるやヤレヤレといった表情で立ち上がると、少し沈んだ思いでリュックを背負い玄関を出た途端タマコちゃんが見送りに来ていて、大助の表情を見て「ゲンキガ ナイミタイネ ムリシテ ユクコトナイワ 」と彼女も冴えない顔つきで言ったので、彼は「そうか いま母さんと姉貴に文句を言われ気分が重いわ。お前しか心配してくれる人がいなくてチョット寂しいよ」と答えバイバイしながら、理恵子と珠子に連れられて東京駅に向かった。
理恵子の家は、新幹線の新潟駅で急行列車に乗り換えて約1時間位かかる県北の都市から、更にバスで30分位離れた、山形との県境に近いところにある、飯豊山麓に囲まれた村である。
近隣の村が合併したため名称は町でも純農村地帯で、その中心部から少し離れた周囲に田畑と杉の木立に囲まれた家々がまばらに散在する集落が集合した町である。
稲穂が出揃った棚田越しに駅が眺望出来る丘陵の中ほどに、商店街や市役所と中・高校等があるが、後の三方は雄大な山脈に囲まれ、町の中央を縫うように豊かな水量をたたえた川が流れている静かな町である。
新幹線に乗車後、40分位して高崎駅に停車するや、大助は珠子の腿を叩いて
「あの達磨弁当たべたいなぁ~」
と小声で言ったら、彼女は
「なに言ってるのョ」「その様な我侭を言わない約束だったでしょう!」
と、あっけなく断られると、彼は
「チエッ そんな、よそ行きの冷たい顔をして・・」
と、つまらなそうな返事をすると、理恵子が
「これで良かったら食べなさい」
と用意してきた海苔巻きや卵焼きなどの惣菜をだして、珠子に
「中学生時代は時間に関係なく環境次第で食べたくなるものョ」
と了解を求めていたが、大助は海苔巻きをほおばりながら長いトンネルを抜けた車窓から移り行く緑一色の田園の越後平野や遠くに霞む八海山を中心とする越後山脈の景観に目を奪われていた。
彼女達は、互いの恋愛観やこの先の進学や就職の話題に花を咲かせて、途中の経過駅にも気ずかずにいたが、新潟駅で羽越線に乗り換えバスに揺られて、漸く県北の駅に降り立つと、理恵子は途端に目に映る駅前の家並みや、紺碧な空のもと遠くに聳える飯豊山を見て、郷愁が胸にこみ上げてきた。
理恵子を先頭に改札口に出ると、父の健太郎が車で迎えに来ていたが、珠子と大助が丁寧に挨拶したあと、理恵子が
「お母さんは?」
と聞くと、健太郎が
「母さんは、今月から、村の診療所に勤めているが、今日は早く帰ると言っていたよ」
と答えると、理恵子が
「アラッ そうなの」「わたし、ちっとも知らなかったヮ」
と、やや不満そうに返事した。
珠子は、理恵子に寄り添い黙って親子の会話を聞いていたが、後ろにただずんでいた大助が突然「アッ!」と声をあげたので彼女が振り向くと、大助は後ろからシャツの袖をいきなり引っ張られた途端に急に離れ、少し離れたところで彼を見つめていた、金髪の母の背に隠れて大助を見つめているいる姿が目にとまった。
理恵子が大助の声で気付き珠子に耳うちする様に説明すると、珠子は「マサカァ~」と小声を出し、大助が数日前の深夜に母親の孝子に戯言の様に言っていたことが現実となって目の前に現れビックリし絶句してしまった。
珠子は、突然のことに心を奪われ母娘を見ていたが、直ぐに昨年の夏に大助が河で彼女と戯れていることを想いだし、それにしても、ひと夏を越しただけで、彼女の表情がキリット引き締まり容姿も大助の言うとおりグラビア.アイドル以上にスレンダーで美しく、チョッピリ嫉妬を覚えるほど成長しているのにビックリしつつも、母親の背に隠れる様子を見て、やはり中学生の娘さんだなぁ。と、幼さを残した様子がすごく可愛く思えた。
健太郎は、恐縮している母親のキャサリンと娘の美代子を前にして、理恵子達に
昨日、節子からお前達が帰郷すると聞かされたことで、祖父の老医師と孫の美代子がにわかに元気を出して騒ぎだし、老医師はキャサリンに診療所の仕事は看護師に任せて駅に迎えに行け。と、例の命令調に言い出し、一緒に来たんだよ。勿論、節子も老医師の思いを充分承知しているので賛成し喜んで納得していたよ。と、節子の勤める診療所の田崎家の模様を、にこやかに笑って説明していた。
健太郎の話が終わると、キャサリンは誰に言うともなく、お爺さんは昨年お逢いしたとゆうだけなのに大助君をことのほか気に入り、美代子と同じ気持ちになってはしゃいでいるんですよ。と、口に手を宛てて恥ずかしそうに話した。
健太郎たちの話が終わるや機会を待ちかねていた様に美代子が大助の傍らに近寄り、ブルーの目を輝かせて、小さい声で
「ダイスケクン コンニチヮ」
と恥ずかしそうに言ったあと続けて、周囲を気にしながら
「わたし、きのうの夜から首を長くして待っていたのヨゥ~」
「チカクニイル ワタシニ キズカナカッタノ」 「ソレトモ ハズカシクテ ワザト シランフリ シテイタノ」
と笑顔で言葉をかけられ、彼も予想もしていなかったことに吃驚して言葉も出ず、それに姉の珠子の手前もあり、ただ、笑ってお辞儀をしていた。
美代子は、涼しそうな水色のワンピース姿で、大助と同じくらい背が高く、少し銀色の混じった金髪を肩まで流れるように伸ばし、痩身だが少し陽に焼けている肌色が健康美そのものの娘である。
彼女は雰囲気に戸惑っている大助に積極的に腕を伸ばして大助と握手し、傍らにいる金髪で彫りの深い顔をした細身の母親のキャサリンに、大助の手を無理やり導いて握手させ挨拶させていた。
大助は、彼女の母親であるキャサリンとは、昨年の夏にも顔を合わせているが、言葉を交わしたことも無く、互いに見覚えがあり親しみを感じて笑って握手して頭をたれた。
彼女の母親キャサリンは、義父である日本人の老医師に伴われて英国から日本に来て10数年位たつが、如何にも外国の婦人らしく、大助と握手するときも膝を軽く曲げて腰を落とし、にこやかに笑みをたたえて心から大助を歓迎してくれていることが、その姿から彼にも容易に判り、彼の心を幾分和ませてくれた。
予期しない突然の出来事に珠子は驚いていたが、理恵子は笑いながら大助と美代子の二人を見つめていたところ、健太郎が理恵子と珠子の二人に対し
母親の節子は、以前大学病院で一緒に仕事をしていた先生が、祖父の経営する診療所の医師になり、気心の知れた先生に請われて勤めるようになり、今日の出迎えも老医師の勧めで駅に来られたんだ。
土地の風習もあり、娘さんの美代子さんも、学校では女生徒には打ち解けて仲間になっているが、男子生徒とは、お互いに心の中に越えられない壁があり、親しい友達も出来ない様なので、昨年の夏、一緒に川で遊んで、そんなことを全く気にしない大助君とは気が合う様なので、わたし達も喜んで承知したんだ。
やはり、地方ではまだまだ、外国の人達はなかか都会の様には馴染めないところがあり、美代子さんも、中学卒業後は東京のミッション系のスクールに進学するらしい。
と、簡単に説明していた。
理恵子の紹介で珠子が大助の姉であることを美代子の母親に説明すると、彼女は、一層、大助に親近感が沸いたらしく、珠子に何度もお辞儀をして「仲良しにしてくださいね」と、流暢な日本語で愛想よく頼んでいた。
理恵子は、珠子に対し
「何処の国の人でも、子を思う母親の気持ちは同じなのネ」
と話しかけ、珠子もやっと事情を納得して少し安堵し微笑をもらした。
大助は、何時も自宅でタマコを相手に適当に遊んでいるのとは勝手が違い、彼にしては緊張気味で口数もすくなかったが、珠子が
「大ちゃん、そんなに堅くならずに遊んでいただきなさい」
と話すと、やっと緊張がほぐれたのか、彼らしい調子を取り戻して、美代子さんに
「いやぁ~ 君のことは家族にもチョコット御伽噺風に話しておいたが、まさか今日駅で迎えてくれるとは全然考えてもいなかったので、失礼してごめんなさいネ」
と言って笑いながら、今度は大助の方から握手を求めると、彼女も優しい笑顔ではにかみながら、両手で大助の手を握り
「いいのョ、わたし、今日とゆう日を、本当に楽しみにしていたのョ」
「これから、わたしの家に一緒に来てネ」
「帰りは、理恵子さんのお母さんと一緒に帰えられればいいヮ」 「理恵子さんのお母さんも、ご承知してくださっているんことなので、心配することはないゎ」
と、言いながら母親の運転する車に彼の背中を押して無理矢理乗せてしまった。
キャサリンは、健太郎や彼女等に対し、老医師も美代子以上に大助を心待ちしていることを告げて了解を得ると
「美代子が勝手なことを言って済みませんが、少しの間、彼をお預かりさせて下い」
と、恐縮して会釈していた。