雪深い農村では、近年、正月には帰郷する人達はすくなくなり、その代わり遅れた成人式をも兼ねて8月の夏季休暇に帰る人達が多くなつた。
交通機関の発達といえばそれまでだが、やはり生活が合理的になつたのであろう。
学校も職場も休みが終わる8月の下旬ころともなると、近隣の集落の盆踊りの笛や太鼓の音が夕闇が迫る頃盛んに聞こえる様になつた。
農村では、盆踊りも単に郷愁を誘うだけでなく、若い人達の大事なコミュニケーションの場でもある。
歳老いた集落の人達には、この盆踊りも故事にならつた氏神様への感謝の奉納でもある。 それなるが故に、故郷の伝統が守られているのである。
この集落の盆踊りがもようされる日、節子さんも大学病院の仕事を休み、午前中に亡き秋子さんの経営していた美容院に行って、後ろ髪を少しアップして見るからに涼しげな姿で帰ってきた。
そして、昼食後、理恵子に
「貴女も、早く美容院にいつて来なさい。 なんでも夕方頃には混み合います。と、美容師のお姉さんが言ってたわ」
と話すと、理恵子は甘え声で
「ねぇ~ お母さん。私、今晩はジーンズを履いてゆきたいのだが? いいかしら・・」
と、節子さんに尋ねると
「貴女 そんなことはやめて!」「ちゃんと 母さんや美容院の姉さん達と揃いの浴衣を用意しておいたので」
「あのねぇ~ 村の人達が、理恵ちゃんが山上の家に入り私達の子供になったらどんな生活をしているのだろうと、みんなが言葉に出さないが心の中で見ていることを忘れないでね」
と諭すと、理恵子は小首を振りだだをこねる様に
「だってぇ~ お友達と話あって盆踊りの途中から、いま 都会ではやっているニュー・ダンスをすることになっているんだが・・」 「浴衣では 一寸 膝が上がらず無理よ」
と返事をしたが、節子さんが
「そんな姿で参加したら、私がお父さんに叱られてしまうわ」
「来年からは 理恵ちゃんの好きな様にさせるので、今年だけは母さんの話をきいて・・」
と説得すると、理恵子も何とか理解して美容院に出かけて行った。
理恵子は、半年前に住んでいた以前の自宅である美容院に入るや、顔馴染みの美容師さん達が口を揃えて
「まぁ~ いらっしゃい。少し見ないうちに随分大きくなつたわね」
と言いながら早速注文を聞きながら仕事に取り掛かったが、二人の美容師さんたちが、理恵子の注文なんか耳に入らないのか
「理恵ちゃんも背が高いから、お母さんと同じ様に少しアップにしてみようかしら」
「きっと お母さん同様に細身で面長だから似合うわ」
と二人で言いながら髪をいじりはじめたが、理恵子は何も言わずに任せることにした。
彼女は出来上がった髪型を鏡で覗いてみたら案外自分でも気に入り、お姉さん達に最近の生活ぶりを雑談風に挨拶代わりに話して店をでた。
帰り際に覗いた自分の住んでいた部屋が模様換えせずにされていたことに、美容師さんたちの思いやりがとても嬉しかった。
家に帰り、節子さんに「凄く 綺麗になったわ」と褒められたので、お姉さん達の優しい心使いの余韻が残っている気分で
「ねぇ~ お店のお姉さん達二人がわたしの髪をいじりながら、貴女のお母さんも嫁いで来てから肌の艶がとても滑らかになり、随分と綺麗になつたわね」
「女性はやはり結婚しなければだめみたいだわね~」
と話あっていたが、聞いているわたたしには意味がよく判らない話をしていたこと、それでも お母さんが綺麗になつたと言われれば、私も嬉しかったわ。と、美容師達の仕事中の話をしたあと
「女性はなぜ、結婚すると肌が綺麗になるの?」
と不思議そうに聞くので、節子さんも一寸返事に窮したあと、看護師らしく
「ほらっ 女の人たちは、赤ちゃんを産むと皆が綺麗になるでしょう」
と、難しい理屈抜きで思いつきの返事を突差にすると、彼女は
「ふ~ん だけど お母さんは赤ちゃんを産んでないでしょう?」
と答えたので、節子さんは
「あのね~ 貴女もいずれお嫁さんになれば、自然に判ることよ」
と答えて夕飯の支度に台所に行ってしまった。
節子は心の中では、高一の理恵ちゃんには、生理的な難しい話はまだ早いと考えた。
鎮守様での櫓作りの準備から帰った健太郎は、二人のいかにも涼しげな髪型と浴衣姿に満足して、晩酌を楽しみながら饒舌に、櫓の上で診療所の老先生が得意の尺八でなく、にわか仕立ての横笛の練習をする様が、若衆の人気を誘い、とても面白かったこと、それにダンスが飯より好きな居酒屋のマスターが、夜店の仕事を奥さんや店員に任せて、あれこれと準備に奔走していたこと等を話し彼女達を笑わせていた。
節子が理恵子を手伝わせて、いつもより時間をかけて料理した夕食を楽しく済ませ、陽が落ちて夕闇が迫るころ、美容院の姉さん達が迎えに来たので、村の中ほどにある鎮守様に向かい、笛や太鼓の音が風に乗って聞こえてくる農道を、カラコロと下駄の音を気持ちよく響かせて、5人が揃って団扇を手に雑談をしながら歩んだ。
健太郎は道々歩きながら、初めて家族として一緒に連れだって歩む理恵子の気持ちを思いやって、肩に手をかけて夜空に煌く小さい星を指差し
「あの星は一際明るく瞬いているが秋子母さんかなぁ。それとも、あんたの胸の中のときめきかなぁ」
と囁いたら、節子さんが
「両方と思うわねぇ。きっと貴女の成長振りを見て喜んでいらっしゃるのよ」
と言葉をついで彼女の顔を覗き見て微笑んでいた。
理恵子は、父は織田君と公園で遊んだことを節子さんから聞いているのかなぁ。と、思いつつも
「わたしも、お母さんの言う通りと思うけれども、お父さんの言われた最後の言葉は意味がよくわかんないわぁ」
と小さい声で答えたが、内心では織田君に浴衣姿を見て欲しいとゆう気持ちが一瞬胸を掠めた。
稲田を渡ってくるそよ風が、時折、節子さんの髪をいたずらぽく優しく揺らし、健太郎には彼女がいつにもまして優雅に見えた。