錦秋の9月25日は結婚式にふさわしく、東京にしては珍しく空が透き通る様に晴れあがっていた。
それに爽やかな微風も吹いて残暑をいくらかでも凌ぎ易いものにしてくれた。
珠子は、朝早く起きて狭いながらも芝生のある庭に出て、日頃、心を癒してくれた百日紅やツツジ等の木々に、お別れとお礼の言葉を心の中で呟やいていたが、何気なしに庭の隅に目を移すと、大助が幼いころ多摩川の土手から採ってきて生垣に植えられている、わずかばかりのススキの穂が朝風に揺れており清々しい気持ちになり心が洗われた。
隣のシャム猫のタマが遊んでくれるのかと勘違いして、垣根から飛び出してきて足元に絡みつき日頃可愛がっていただけに何時も以上に愛おしくなり頭を撫でてやったが「今日でお別れょ」と告げるのが忍びなかった。
生垣のススキは、まだ大助が幼稚園児だったころの夏の日の夕暮れ時に、今は亡き父親をまじえて家族揃って近くの多摩川のほとりに夕涼みかたがた散歩に行ったとき、大助が
「お月様に見せるススキをとってくれぇ~」
と、駄々をこねて亡き父を困らせ、素手でヤットのおもいで採って来て移植したものでる。
その頃の大助はヤンチャ坊主であったが、近くで親しく家族ぐるみで交際していて、同じ幼稚園に通っていた奈緒ちゃんと遊び友達で、何故か奈緒ちゃんの方がお姉さんの様に振る舞い、二人とも素直に言うことを聞いてくれる可愛い盛りであった。
それが今では・・。と、時の流れが速いものだと今更ながら改めて思った。
彼女は、それらを思い浮かべ眺めていて少し感傷的な気持ちで、過ぎ去りし日々を懐かしんでいた。
式は午後からで、珠子は仏壇の亡父の位牌にお別れを告げたあと、母親と一緒に迎えに来た車に乗って式場に向かった。
会場のホテルの支配人は、昔、劇場の仕事をしていた関係から、ホテルの宴会場を見事な式場につくり上げて、式壇のうしろの半円形の壁にはステンドグラスがはめられ、両脇にはキク・カンナ・サルビヤ・カノコ百合等、季節の花々を溢れんばかりに生けられた花瓶で飾られ、それらの花々が特別の装飾もない式場の中を、清潔感と香りを漂わせて効果的に引き立たせていた。
健ちゃん達一同も、ボーイの案内で会場の隅にある丸テーブルの席についた。
六助とマリーは、自分達の式もこの様にしようと話合いながら嬉々としていた。 それに反し昭二は複雑な思いから青ざめて渋い顔をしていたが、健ちゃんの指図で彼の隣の席についた。
大助と奈緒は並んで座ったが、大助は緊張感からテーブルに置かれたコップの蓋をとって冷えた水を一気に呑みほすと、奈緒が見かねて自分の前のコップを、人目をはばかる様に大助のコップとそっと取り替えてやった。
六助は、お客さんの顔ぶれをキョロキョロと眺めまわしていたが、マリーが彼の袖を引張って注意するとニコット笑っていた。
やがて、支配人の司会で、黒い法服をまとった、白髪頭の背の低いズングリとした、風格のある高齢の牧師さんが控え室から出て来て、会場を見まわしたあと、雑談が静まったのを見届けてから、重々しい口調で、季節を枕言葉にひと通りの祝意の挨拶をしたあと
「それでは間もなく式を始めさせて頂きますが、新郎の縁戚、知人のかたがたは右側の席に、新婦の方々は左の席におられます。なお、ピアノの伴奏は私の妻でございます。 それでは只今から本日の結婚式をとり行います。 智代さん、どうぞ・・」
と呼びかけられると、脇の幕あいから、黒縁の眼鏡をかけ中年過ぎの痩身で見るからに貴賓のある黒いドレスが良く似合う、牧師とは一見して歳の差があると思われる、牧師婦人がピアノの前に座って賛美歌の演奏をはじめた。
控え室からは、親族の男に付き添われて、背が高く細身の永井君が新調したモーニングを着て緊張した面持ちでもなく、撮影なれした俳優の様に会場の雰囲気に合わせたかの様な顔つきで、中央式壇の前に進み出た。
続いて白一色のウエンデング・ドレスで身を装った花嫁姿の珠子が、彼女のたっての依頼で、奈緒の母親に手をとられて式壇の前に進み出たが、彼女は普段とは見違えるほど綺麗に化粧をしていたが、濃い真紅の口紅で化粧された薄い唇を真一文字にキリッと閉じて、流石に硬い表情をしていた。
彼女は赤い絨毯の上を歩いているとき、健ちゃん達の方に目を移すと、大助は腕組みし姉を凝視していたが、その腕に奈緒が右手を差し込んで彼の肩に顔を当ててピッタリと寄り添い、左手のハンカチを口に当てている姿がチラット目に映り、彼女はその様子を見て緊張していた心が束の間であったがほぐれホットした。
珠子は、式壇に近ずくにつれ、削り立った断崖の端を一歩一歩進んで行く様な心理に襲われ、未知の新しい生活に入る不安感。いや、もっと本質的な、体中の精力をあらいざらい抜き取られる様な恐怖感を覚えた。
彼女は、訳も判らず、たった今でも出来れば白いベールも衣装もかなぐり捨てて、会場から逃げ出したい衝動に駆られる気持ちになったりもした。
然し、結婚式とゆう社会の厳しい慣習をつき破る勇気もなく、その断崖から落ちれば自分の人生は終わりだとも思った。
ただ、自分の手をとって先導してくれる奈緒の母親の手のぬくもりと、大助と奈緒の、これまで見たこともない仲睦まじい微笑ましい姿が、唯一、緊張している彼女を勇気ずけてくれた。
式壇の牧師の前に、永井君と珠子が並んで立つと、支配人の配慮のきいた趣向で、会場の照明が消されて薄く暗くなり、式壇だけが明るく照明されると、出席者のテーブルの中央に置かれた小さなグラスのキャンドルが、ボーイによって次々と燈され、頭上からの照明で、二人の姿がくっきりと浮かびあがった。
智代女史の賛美歌のピアノ演奏にあわせ、参列者は予め配布された歌詞の用紙を見ながら伴奏に合わせ、歌ったこともない賛美歌を小声で口すさんでいたが、クリスチャンのマリーだけは英語が得意で流石に透き通る様な声で歌っていた。
中には調子外れの声も聞こえたが、とりわけ、健ちゃんと六助の調子ぱっずれは元気のある声だけに、ひときは目立ち、マリーが慌てて六助の口元に手を当てたが彼はそれを振り払っていた。
珠子はその声が耳に入ると、恥ずかしさでワッ~!と泣き出したい気持ちになった。
隣には、永井君が表情も変えずに立っている。
ただそれだけのことで、珠子は、下腹部の辺りに繰り返し不快な苦痛を感じた。
今夜、この男とベットで夫婦の営みを行う。
それは夫婦としての当然の交わりかも知れないが、実質は今までに何度か、彼の求めに応じて不本意ながらも戯れに経験した興味本意のsexが、結婚とゆう形式的に合法化され世間的に認められただけのことであるが・・。
これまでに何度か誘われて蜜会したホテルと違い、時間的な制約も、また、自分に対する気兼ねもなくなり、かって、尋ねもしないのに告白した過去の豊富な女性遍歴で得た知識と、sexに対し、ことのほか好奇心を抱く、少し我儘な性格に加え、これまでのsexのとき愛撫もなく射精が終われば、わたしが、さっさとベットから離れることが気にくわなく、服装を整えてベットに戻ると、いつも<もっとsexplayをして君の身体を思う存分に楽しみたい>と、不満を漏らしていたことと、彼の潜在的なsex願望等を、重ね合わせて想像すると、今迄は同衾してもベットの中で遠慮気味にパンテーを脱がされる以外、シュミーズや肌着を脱ぐことを頑なに拒否すると不満そうにしていたが・・。
然し、今夜からは、結婚したからには、夜毎、彼の求めに素直におおじ為すが侭に身をゆだねても、おそらく、彼は遠慮することもなく、いきなり無理矢理に肌着を剥ぎ取り、拒めば拒むほど逆に興奮して愛撫の手が荒くなり、赤裸々な姿態を彼の目に晒して、男の欲情を満たすだけの一方的で、感情や嫌悪感を無視されて執拗に愛撫され、羞恥心と屈序感に堪えられず、幾ら泣いて哀願しても許されず、その手は休むことなく長い時間続き、泣いて悶える姿態を眺めて、益々興奮して指先に力が入り、容赦なく、乳房や陰部をまさぐり、いたぶって、たまらずに横になって腰を引くと直ぐに力任せで仰向けにされ、顔を隠す両手の掌を手首を掴んで剥がし、苦悶する顔を眺めては、首から順次下腹部へと、唇や指先で全身をもてあそばれ、最後は半ば放心した身体におもむろに体を重ねて、やがて強引に挿入して一方的に性感を楽しみ、気が達するや息を弾ませて射精し終えて欲情を果たすまで、そんな猥らな行為が延々と続くであろう。
更に、泣く泣く肌着をまとっているのに、疲れたから水割りを用意してくれとか。充分楽しんだとか。これがほかの女では味わえない夫婦のsexだ。毎晩、楽しませてもらうよ。等と、自分勝手なことを言いたい放題に言われ、彼は性を堪能した余韻を楽しんでいるであろう。
そして、いずれハネムーンを過ぎれば夜の生活も慣れとマンネリズムに飽きて、ノーマルから次第にアブノーマルへと変化し、次第に強烈な刺激を求めることになるであろう。と、以前、本屋で何気なく手にとって興味深く立ち読みしたことのある、官能小説の筋がこのごにいたり生々しく甦り、その主人公と自分をダブラセテて連想して思い起こし、その様子を想像しただけで、軽い貧血を起こし目が眩みそうになった。
若し現実にその様なめに扱われたら、世間の風評等気にせず逃げ出そうと考えたりもした。
けれども、そこは、彼の性癖を承知して結婚するからには、結婚当初は致し方ないことと覚悟を決めてもいるが、ときには、自分が望まないときでも、妻として、また、彼の機嫌を損なわないためにも、不本意でも彼の求めに応じて、彼の性欲の生贄として耐えているうちに、必然的に、肉体の生理的な快楽と刹那的な性感を共有できる様になったとしても、果たして、この人に自分の全てを捧げて惜しみなく尽くす努力を積み重ねても、近い将来、真実の愛情と深い絆を精神的に得られる普通の生活が実現するだろうか。と、彼との生活に自信がゆらいだりもした。
様々なことを思案しながらも、高校生の時から母親を助けて家庭を切り盛りして生活の苦労を多少なりとも経験し、成人して以後、おぼろげに覚えた知識では、最近、女性が男性を選択する自由の幅が広がってきたとはいえ、それは独身時代のことで、ひとたび家庭に入れば家族の和をなによりも優先することが妻の勤めである。と、古風な考えかもしれないが、結局は自分にその様に言い聞かせ心を落ち着かせた。
それに、想像するに世間の大半の主婦も、おそらくは普段、何気ない顔をして生活や仕事に勤しんでいるが、結婚当初は、多少の違いがあっても、その様な男性の性に対する本能に秘められれた深遠な願望と能動的な生理的現象に、女性は受動的にひたすら耐えて、長い時の流れとともに夫のカラーに何時しか自然と染まりながら、今を築き上げてきたのであろう。とも考えて自らを慰めもした。
ましてや、年代や名誉ある地位に関係なく、セクハラ問題を目や耳にする、最近のニュウスも日常的になり、これは一部が社会的に不運にも発露されただけで、その底辺は深く広く蔓延していると思うと、遠くは紫式部が源氏物語で男女の性行動を描写した古の時代から、性の区別がある限り、好奇心と快楽追求は絶えることなく、性が開放された現代では、その表現と行動が益々大胆になり恒常的となって人々を刺激している以上、永井君のみに理性的な性行動を求めるのは無理であるとも考えた。
それに、彼が夜の生活に満足できずに外の女性に手を出して欲しくなく、また、それによって問題が起きれば、結局は妻の接し方が悪いからだと責められるのが嫌だし、ある程度は我慢しなければとも考え。
そして、いずれは、好むと好まざるに拘わらずに、計画出産とはかけ離れた自然の成り行きで、この人の子供を生み、実母を差し置いて、血縁のない義父母の老後を面倒みるのかと思うと、消え入りたい思いにかられた。
介護福祉士として毎日介護施設で老人の面倒を見ていて、人様の仕事・介護の両立の難しさを客観的に目にして、当事者の苦悩を見ているだけに、尚更、その思いが強く心をよぎった。
別に永井君が嫌いな訳でもないが、この期に及んで、心の何処かで女の宿命が悲しく思えてならなかった。
賛美歌がやむと、牧師が聖書の一節を朗読し、ついで祈祷の言葉を口ずさんだ。
それがすむと、牧師は参列者に向かい
「只今から、永井勝則と城珠子の宣誓をとり行いますが、この結婚に異議のある方はございませんか」
と告げると、参列者はヒソッと沈黙して異議の無いことを示した。
その沈黙が、珠子には断崖の端に立った自分を後ろから押される様に思われ、遂に運命の岐路に立たされた時が訪れたと悟り、その瞬間、例え、どの様な屈序や苦難に耐えても、人が出来ることを自分にできないことはないと、本来の気丈な珠子に戻り、改めて永井君の良心を信じ、宣誓の覚悟を決めた。
牧師は、参列者が全員賛成と確認して
「それでは皆さん、御起立願います。只今から新夫婦の宣誓を行います」
と告げると、一同は椅子をきしませて起立した。
牧師は、おだやかな声で
「永井勝則君。 貴方はこの女性と結婚し、神の定めに従がって夫婦になろうとしています。貴方はその健やかな時も、病める時も、常にこれを愛し、敬い、これを慰め、重んじ、生命のかぎり、かたく節操を守ることを誓いますか?」
と、右手をかざして、永井君に告げると、彼は牧師の顔を見つめて、沈黙したままだった。
会場には一瞬異様な空気が漂った。
珠子はビックリして、沈黙を続ける永井君の顔をチラット覗き見ると、偶然、彼も彼女を見て目があったが、彼は落ち着いた顔つきで、珠子の顔を見て優しく微笑んでいるようにも見えた。