2週間前の出来事です。
11月30日(金)、大変ショックなことが発生しました。
思い出したくも無いのですが、事実として記することも大事かなと。
大好きな近所のプールで事故が発生しました。
最近知り合った水泳のベテランの男性に、日本古式水泳の指導を受けていた時でした。
プールサイドに立って私のフォームを見ていた彼が、突如プール中央を指差して「あっ!」と声を発するや否や、飛び込みました。
同時に、反対側のサイドの監視台に座っていたライフセーバーのお兄ちゃんが飛び込みました。
何があったんだろうと、私は水中に潜って、二人が合流する場所を見ました。
すると、そこには女性がうつ伏せでじっと浮いていました。 溺れた?!
あっという間に二人で抱えあげて私の居るプールサイドに運び上げて寝かせました。
私の目の前です。 高齢者と見られる女性です。意識はまったくありませんでした。
異変に気付いた他のスタッフ達も飛んできました。いつも挨拶を交わしているやさしい女性スタッフ達です。皆んな救急救命員の資格を持っています。
おそらく彼女達にとっても実戦は初めてだったと思いますが、実にテキパキと心臓マッサージを始めました。今まで見たこともない真剣な表情です。必死にマッサージを続けています。
救助したお兄ちゃんも耳元に口を寄せて大きな声で「大丈夫ですか! 大丈夫ですか!」と声をかけ続けます。
しばらくすると別のスタッフがAEDを持って走ってきました。いつも受付で目にしていた赤い色のAEDです。
私も目の前で繰り広げられる救助の何か手助けは出来ないものかとしばらくは傍に居ましたが、応援スタッフも増えており、私に何が出来ることもなく、かえって邪魔になるのではないかと、そこを離れてプールから上がりました。
当日、プール内には水中歩行者も含めて20人位が居たのですが、みんな心配そうに遠巻きに見守っていました。
10分くらい経ったでしょうか、まだマッサージは続いています。しかし、回復はしないようです。
救急隊にも連絡が付いた頃でしょうか、スタッフさんが大きな声で、「皆様、今日は全員引き上げてください。入場料は清算してお返しいたしますので」と。
急遽上がって、着替えを済ますとプールの外の見学窓からそっと覗いてみました。
事故から15分以上過ぎたでしょうか、やっと救急車と、なぜか消防車が1台到着しました。
救急隊員は直ちに担架を抱えて現場に到着しました。その同じプールサイドの位置で救急隊員の処置が始まったようです。今度は大丈夫かな? と期待しました。
ここでも同じような措置が続けられていました。もう30分は経過しているはずです。
ダメなのかな? と不安がよぎります。
その後、体育館の外で待機しました。やっと、担架が運び出されました。
そして、最初に飛び込んで救出したお兄ちゃんと、スタッフの責任者が同乗して救急車は発車しました。発車までは10分近くかかったと思います。おそらく、受け入れ先の病院を探していたのかなと思います。また、もう急いでも無理だと分かっていたのかなとも思います。
いつも顔馴染みのスタッフさん達数人も、無言で見送りました。
私のとって初めての大事件でした。
大好きなプールでの事故。しかも目前で、あの光景が脳裏に焼きついて離れません。
せめて助かってくださったら、どんなにか良かったかと思いますが。
それから2週間が過ぎました。まだそのプールに近寄ることが出来ません。
大好きなスタッフさん達にも会うことが出来ないのです。
心臓マッサージをしていたスタッフさんは、私よりも、もっともっと辛い思いをしているに違いありません。
その方に、「あなたは必死で、真剣に措置をしていましたよね。ベストを尽くされましたよ!」と、ねぎらいの言葉をかけてあげたいと思うのですが、それもかえって辛いだろうかと思うのです。
「PTSD(心的外傷後ストレス障害)、「トラウマ(心的外傷)」って聞いたことがありましたが、自分がそうなったのだと気が付きました。
今日は、別の体育館で筋トレの仲間に会って、「、、、ダメだった」ことを聞きました。
72歳の女性、心臓の動脈剥離だったそうです。 仕方なかったことですよね。
大好きだった水泳を止めるのも辛いので、別のプールに通うことにしました。
日が経つにつれて、こんなトラウマが治まってくれることを願っています。
こんな記事書くと、いつまでも思い出すので書きたくはなかったのですが、書かずにもおれない気持ちでした。
そのうちに、削除するかとも思います。
今日は12月14日、赤穂浪士の討ち入りの日ですね。
東京も急に寒くなりました。風の強い一日でした。