(10月9日東京新聞より)
(10月9日東京新聞より)
今日は8月最後の日。
子供時代には「夏休みの最後」。
「宿題は全部終わったかな?絵日記は? 作文は? 工作は?」
セミの鳴き声が一層焦らせた。
当時は暑くても30℃だった。エアコンなど無くても夏をしのぐ事が出来た。
そして今、2024年8月31日(土)は台風騒ぎも静かになった。
ブログ記事も特別無いので、この月の出来事をメモしておく。
◆パリオリンピック
8月10日夜 卓球女子団体銀メダル
8月11日夜 女子やり投げで優勝した北口榛花さんの笑顔。
◆月末は台風10号
予報の時点から「史上最強」とか「風速50mから70mで車も家も飛ぶ!」とか
毎日報道された。
九州が一番心配だったが、予報よりは軽くて済んでホッとした。
関東にはこれからだけど、もう熱帯低気圧にダウンして強風は無くなるが、
「線状降水帯」、「ゲリラ豪雨」はまだ日本列島のあちこちで発生するだろう。
◆そして、自民党の総裁選が賑やかに。
候補者が10人前後と多数! なんだか先月の東京都知事選を思い出させた。
それにしても、ここで勝った議員が日本国の総理大臣になるなんて。
◆米国の大統領選挙が同時進行しているが、この国は国民全体が投票で決めることになっている。
この国の候補者は1対1。 それにしても相手の悪口を言い合う姿は見苦しい。
◆ロシアとウクライナの戦争。イスラエルによるガザ地区での悲惨な殺戮。
戦争を止めることが出来ない人類は何と愚かな生き物なのか!
オリンピックと台風報道のおかげで、すっかり寝不足になってしまった8月末である。
早くも7月になっている。前回の記事アップから、すっかり更新が滞ってしまった。
送ればせながら、6月の記録を留めておきたい。
6月の大きな出来事は、「終活その1」ともいえるだろうか?
なんと、「ピアノの処分」をしたことだ。
子供が小さかった時に、当時流行っていた「ピアノ教室」
イヤがる子供に「ピアノを習わせたい」との親の押し付け。
無理して買ったピアノも、マンションに越してからは弾くことも出来ず、居間の一角を占領したままだった。
「地震の時に倒れるのが怖い」、「いつかは処分したい」
購入してから40年あまり、ついに「処分」の日を迎えた。
きっかけは? もののはずみ?だった。
思い立ったら、即実行へ。
TVのCMでおなじみの引き取り業者へ電話で相談。
3~4社。各社の返答は、いずれも
「年数が古いので「買い取る」どころではなく「引き取り費用がかかります」とのことだった。
「費用の比較」と「電話対応の良さ」から1社に決定した。
6月13日(木)の午後。無事に引取りが完了した。
思い立った月初めから、情報収集、そして搬出のための部屋の片付け。
最後の片付けは引き取り日の午前 それまでには出来る限りの整理。片付けをした。
今、思い返しても「大変な作業」だった。 「大きな終活」と言える。
ピアノが去ってからは、部屋が広くなった。
時折、テレビで音楽番組などでピアノの姿を見ると、ちょっぴり悲しくなる。
でも、引き取られたピアノは補修を加えた後、後進国などで再利用されるとのこと。
新たな国で、新たな子供たちに愛される場を得て、「嬉しいと思っているだろう」
そのように言い聞かせて、悲しさを堪えている。
それから20日あまり過ぎた、今日この頃は、梅雨の真っ最中? 毎日湿度が高いので、うんざりしている。
あーー、やっと記事アップが出来た。(^_^;)
ゴールデンウイーク最中の5月3日(金)は憲法記念日
東京新聞朝刊の記事「愛宕神社 出世の石段」に触発されて、出かけることにした。
新聞記事を引用すると、
標高26メートル。自然の地形では東京23区で最も高い愛宕山(あたごやま)の上にある愛宕神社への石段(男坂)は上り始めたら休むことを許さない。
段差が高く、約40度もの全86段には踊り場がないため、途中で足を止めて見上げると上体を大きくそらす体制になって、転げ落ちそうな感覚に襲われるのだ。下るのも手すりやチェーンに頼らないと怖い。
(中略)
石段は1603(慶長8)年の神社創建時の姿が保たれている。この石段を舞台に、講談にもなった古事がある。徳川幕府三代将軍家光が増上寺への参拝の帰路に、愛宕山から梅の香りがするのに気付いた。
「誰か馬で石段を上り、梅を折り取ってまいれ」」と命じたところ、四国丸亀藩士、
曲垣平九郎(まがきへいくろう)が愛馬とともに見事に成功させ、梅を献上して一躍その名をとどろかせた。今も「出世の石段」と呼ばれ、曲垣にあやかろうと上る参拝者が絶えない。境内には家光に献上されたと伝えられる梅の木もある。
講談は何度か聞いたことがあったし、いつかはこの石段を登ってみたいと思ってはいたのだが今日まで行かなかった。(近いからいつでも行けると思っていたのかも)
ここまでは最寄の駅から地下鉄で35分程度、歩きを入れて1時間以内で行けるところだった。
さらに、この愛宕神社の敷地のすぐ傍に「NHK放送博物館」もあるのだ。
愛宕山といえば1925年に日本で初めてラジオ放送が始まり、その電波が発信されたのである。それからまもなく100年を迎える。「放送のふるさと」と呼ばれている。
花おじ自身にとっても特別な関係のある所だった。
急な石段を登れるか?
放送の原点を見届けたい!
この二つを目標に出発した。
結果・・・急な石段は52秒で上りきった。 普通の人は2分程度ともいわれているから、花おじは早かったんだろう。これもひとえに普段の鍛錬の成果か?と嬉しくなった。
神社の周辺は意外と広く、東京の街を眺めることが出来た。
そしてNHK放送博物館も同じ敷地の傍、20メートル位のところに建っていた。
放送の原点・・・確かに懐かしい資料があれやこれや。懐かしいというよりも知り尽くした資料ばかりであった。 最新では「8K」の映像が観られた。ここまで進歩したのか。
博物館を出ると、NHKのキャラクター「どーもくん」が待っていた。
記念に撮ってもらった。
下りはやはり「男坂」を手すりにつかまりながら下りた。
一瞬でも足を踏み損なえば真っ坂さまに落ちてしまう。重症は免れない。
慎重に下りた。 さて何秒? 45秒だった。
これって早い? とにかく無事に下りることが出来てホッとした。
毎日が日曜日であり、ゴールデンの日々、80歳まで半年余りとは、、、信じられない。
コロナ以降、都会に出るのも数年ぶり、「虎ノ門ヒルズタワー」は、まさに見上げる高さ!
日本の、東京の壮観であった。
帰路、地下鉄は ほぼ満席で外人客が七割ほどと多かった。円安に伴う外人観光客の多さを実感した。
そこで、車内の中央のつり革に掴まっていると、目の前の座席の「外人さん」が微笑みながら僕にアイコンタクトを取ってきた。身振りも含めて「席を譲ろうとしている」ことが分かった。20~30代のガッシリした男性である。手荷物を3個抱えているのに。
「いいえ、大丈夫ですよ」とこちらも身振りで応えたのだが、もう席を立ってしまったので「ありがとう!」と日本語でお礼を述べて座った。
席を譲った彼は僕の前でつり革につかまり、僕の右側に座った男女3人のグループと話しこんでいた。いわゆるグループ旅行なんだろう。中東系の人と見られた。
十数分して新宿駅に付くと、彼らは降りはじめた。僕は彼の肩に手を付いて、振り返った彼に「ありがとうね!」ともちろん日本語で。すると彼も「アリガトウゴッザイマシタ」と。
インバウンドの弊害としていわれている「オーバーツーリズム」を是正するかのような外人さんの心配りに、なんだかとても、ほのぼのとした気持ちになった。
外人さんたちの「良き旅」を祈った。
「憲法記念日」のよき思い出となった。
やはり歳のせいなのか?
最近はテレビを観ながら、「あれ?この人は誰だっけ?」
「えーと、えーと・・・」
顔はしっかり覚えているのに、名前がどうしても出てこない。
老夫婦そろって、???が多いこの頃である。
幸い?スマホのおかげで正解を知ることが出来る。
しかし、なるべくスマホに頼らないようにと二人で呻吟する。
まあ、5分も考えてもギブアップすることが9割方である。
スマホに頼るからますます思い出せなくなっているのかも。
そうかといえば、思い出せないまま数十分経って後に「あっ! あれだったーー!」
脳の中はどうなっているんだろうね。
やはり、パソコンのようにハードディスクが回っていて、記憶容量の限界までデータが詰まっていて、それを探し出すまでに時間がかかっているんだろうね。
やはり、いわゆる「認知症」に近付いて来ているんだろうね。
いやいや、もう始まっているんだろうね。
幼なじみのS・.H君、最近ご無沙汰していますが、この拙ブログ見てますか?
おかげさまで(今のところ)健康な毎日を過ごしてはおります。
いつの間にか白梅の蕾が開いていました。
今年は元日から能登の大地震で驚きました。
そして2日は羽田空港での航空機衝突事故と驚きの連続。
そんな落ち着かない中で、1月はバタバタと過ぎていきました。
そしてもう今日は2月の5日。
いつもの散歩道の白梅がもう開いていました。
ブログもせめて 「ひと月に一度は」と思っていたのにとうとう記事アップなし。
こんなブログでも訪問者がいらっしゃるとは、申し訳ありません。
「確定申告」、今年はやっとe-Taxの一部を利用(ID/PW方式)しました。
これまでは印刷した書類と添付資料を税務署に出かけて提出していましたが、それも不要!
添付書類も不要と。 とても助かりました。
うまく出来たのかどうか? あと還付金の確認まではちょっと心配ではありますが・・・。
去年10月から始めた「パドルテニス」がとっても面白くて、週2回を楽しんでいます。
1月28日(土)の杉並区の「第34回 スポーツ・レクレーション大会」では
8チーム(1チーム6人)の中で、わがチームは二位になり、ささやかな賞品を頂きました。
花おじの成績は5勝2分けとチームに貢献出来ました。
2023年は公私共にあれこれと目まぐるしい一年でした。
コロナ禍は一段落したものの、世界中で悲惨な戦争が勃発。
日本国内も低レベルな政治と経済。
決して「良かった」とは言い難い状況でした。
明るい話題と言えばただ一つ、「大谷翔平」君の活躍だったと思います。
翻って、自分自身にとっては?
二年目に入った「闘病」はなんとか悪化を免れており、医療スタッフの皆さまはじめ、応援して下さった多くの皆様に深く感謝しております。
特に後半は「入院、一回パス」のラッキーに恵まれて、しばし「闘病」を忘れるほど。
10月から新しく始めた「パドルテニス」は新しく沢山の仲間に囲まれて日々楽しくプレイしています。
新春1月28日(土)には杉並区の大会も開催されます。
これにも初参加することになりました。大いに楽しみたいと思っています。
サボりっぱなしのブログですが、年の締めくくりとして(とりあえず、やっと)アップしました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
いつの間にか「酷暑」が終わり、朝夕はひんやりとする「秋」となりました。
久しぶりに近くの「与謝野公園」まで散歩。
入り口の花壇にコスモスが満開。
区内のボランティア「花咲かせ隊」の愛情が花開いているようでした。
もう10月の終わり、今年も残りは2ヶ月。
ブログもサボりっぱなし、せめて「月イチ」は守りたいと
久しぶりにPCに向かいました。
来月18日には、内視鏡検査を受けます。
また「再発」の診断を覚悟しながら、日々を大切に過ごしています。
散歩、テニス、水泳、筋トレ 体調は万全です。
9月5日の、とほさんの記事「グリホサート」へのコメントにも書きましたが、
「その店」、「あの店」についてアップしておきます。
店舗の前の街路樹や植え込みに枯葉剤を撒いて枯らしてしまったという中古車販売の「あの店」です。
家の近くにある杉並区のプールの他に、時々は「プールと筋トレジム」も同時に利用出来る、隣の世田谷区のスポーツ施設に通っていました。
いつも何気なく自転車で通っていた幹線道路(環八)沿いの道。
今年は猛暑の中を街路樹の木陰がとても有難く通過していると途中で木陰がスッと無くなりました。「あれっ!なんで木陰が無いの?」
なんと、なんと、噂の「あの店」の前だったのです。
自転車を降りてじっくりと見てみますと、
なるほど、なるほど、街路樹が枯れ果てています。
店の前の2本とも。 そして下の植え込みも茶色く枯れています。
なんとも無残な姿でした。
なんてことをするんだろう!・・・・怒りがこみ上げてきました。
中古車展示場にはズラリと車が並んでいました。
でも、こんな店で買うお客も激減したことでしょう。
(警視庁は8日、器物損壊の疑いで東京都から被害届けの出ている都内9店舗全てを一斉に家宅捜索しました。)