ゴールデンウイーク最中の5月3日(金)は憲法記念日
東京新聞朝刊の記事「愛宕神社 出世の石段」に触発されて、出かけることにした。
新聞記事を引用すると、
標高26メートル。自然の地形では東京23区で最も高い愛宕山(あたごやま)の上にある愛宕神社への石段(男坂)は上り始めたら休むことを許さない。
段差が高く、約40度もの全86段には踊り場がないため、途中で足を止めて見上げると上体を大きくそらす体制になって、転げ落ちそうな感覚に襲われるのだ。下るのも手すりやチェーンに頼らないと怖い。
(中略)
石段は1603(慶長8)年の神社創建時の姿が保たれている。この石段を舞台に、講談にもなった古事がある。徳川幕府三代将軍家光が増上寺への参拝の帰路に、愛宕山から梅の香りがするのに気付いた。
「誰か馬で石段を上り、梅を折り取ってまいれ」」と命じたところ、四国丸亀藩士、
曲垣平九郎(まがきへいくろう)が愛馬とともに見事に成功させ、梅を献上して一躍その名をとどろかせた。今も「出世の石段」と呼ばれ、曲垣にあやかろうと上る参拝者が絶えない。境内には家光に献上されたと伝えられる梅の木もある。
講談は何度か聞いたことがあったし、いつかはこの石段を登ってみたいと思ってはいたのだが今日まで行かなかった。(近いからいつでも行けると思っていたのかも)
ここまでは最寄の駅から地下鉄で35分程度、歩きを入れて1時間以内で行けるところだった。
さらに、この愛宕神社の敷地のすぐ傍に「NHK放送博物館」もあるのだ。
愛宕山といえば1925年に日本で初めてラジオ放送が始まり、その電波が発信されたのである。それからまもなく100年を迎える。「放送のふるさと」と呼ばれている。
花おじ自身にとっても特別な関係のある所だった。
急な石段を登れるか?
放送の原点を見届けたい!
この二つを目標に出発した。
結果・・・急な石段は52秒で上りきった。 普通の人は2分程度ともいわれているから、花おじは早かったんだろう。これもひとえに普段の鍛錬の成果か?と嬉しくなった。
神社の周辺は意外と広く、東京の街を眺めることが出来た。
そしてNHK放送博物館も同じ敷地の傍、20メートル位のところに建っていた。
放送の原点・・・確かに懐かしい資料があれやこれや。懐かしいというよりも知り尽くした資料ばかりであった。 最新では「8K」の映像が観られた。ここまで進歩したのか。
博物館を出ると、NHKのキャラクター「どーもくん」が待っていた。
記念に撮ってもらった。
下りはやはり「男坂」を手すりにつかまりながら下りた。
一瞬でも足を踏み損なえば真っ坂さまに落ちてしまう。重症は免れない。
慎重に下りた。 さて何秒? 45秒だった。
これって早い? とにかく無事に下りることが出来てホッとした。
毎日が日曜日であり、ゴールデンの日々、80歳まで半年余りとは、、、信じられない。
コロナ以降、都会に出るのも数年ぶり、「虎ノ門ヒルズタワー」は、まさに見上げる高さ!
日本の、東京の壮観であった。
帰路、地下鉄は ほぼ満席で外人客が七割ほどと多かった。円安に伴う外人観光客の多さを実感した。
そこで、車内の中央のつり革に掴まっていると、目の前の座席の「外人さん」が微笑みながら僕にアイコンタクトを取ってきた。身振りも含めて「席を譲ろうとしている」ことが分かった。20~30代のガッシリした男性である。手荷物を3個抱えているのに。
「いいえ、大丈夫ですよ」とこちらも身振りで応えたのだが、もう席を立ってしまったので「ありがとう!」と日本語でお礼を述べて座った。
席を譲った彼は僕の前でつり革につかまり、僕の右側に座った男女3人のグループと話しこんでいた。いわゆるグループ旅行なんだろう。中東系の人と見られた。
十数分して新宿駅に付くと、彼らは降りはじめた。僕は彼の肩に手を付いて、振り返った彼に「ありがとうね!」ともちろん日本語で。すると彼も「アリガトウゴッザイマシタ」と。
インバウンドの弊害としていわれている「オーバーツーリズム」を是正するかのような外人さんの心配りに、なんだかとても、ほのぼのとした気持ちになった。
外人さんたちの「良き旅」を祈った。
「憲法記念日」のよき思い出となった。