花とおじさんの ほろ酔い日記

若い頃からのテニスに加えて2007年からランニング。2015年から水泳と筋トレ、2023年からパドルテニスを始めました。

高貴高齢者

2020-01-14 20:29:03 | 友・回顧録

この1月14日に誕生日を迎えて、なんと栄えある「高貴高齢者」に昇格しました。

世間で言うところの「後期高齢者」の呼び名は相応しくない!

敗戦後に生まれて、ここまで生き延びたのは素晴らしいことであり、「後期」よりも「高貴」がふさわしいと自分で勝手に名付けました。

思えば今年の年賀状に記した同級生の一言

後期だとぼやくな なれない人も居る” 後期に届いた我々はHappyです」

が心に響いた。

 

そんな数日後に訃報が届いた。別の同級生のM君が正月2日に逝ったとのこと。

小学校から同期生、成績優秀で山登りのリーダーとしても活躍していたM君。

後期にはなったのかも知れないが、病であっという間に逝くなんて信じられない。

しかしこれが現実なんだと。人の世に寿命があることを痛感する。

これから元気に過ごしていけても所詮は「五十歩百歩」、百歳前後での寿命かと思う。

残された日々は少ない。ありふれた言葉かも知れないが「一日一日を大切に過ごして行きたい」。

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八千草薫さん

2019-10-29 20:19:17 | 友・回顧録

訃報に驚きました。

八千草薫さん、24日の朝7時45分に逝去されました。88歳。

言うまでも無く昭和を代表する大女優さん。その可憐さと美しさ。心の美がそのまま表れて高齢になっても素晴らしい輝きを放っていました。

最近のドラマでは「やすらぎの郷」で拝見していました。そのドラマの最中に野際陽子さんが亡くなりました。

このブログで、2017年、9月14日の記事「9月に想う」に記していました。

あの記事からもう2年が過ぎていました。

 

この頃はつくづく思います。

自分と同世代の近況や訃報を聞くにつけ、誰しも老いて行くものであり永遠には生きられないと。

特に有名なスター達が逝くにつけ、自分たちの時代も過ぎ去っていくのだと。

昭和がだんだん遠くなります。

八千草薫さんのご冥福をお祈りいたします。

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9月に想う

2017-09-14 19:34:17 | 友・回顧録

なんとなく秋の気配を感じる9月。

一年の3/4。そしてテレビ番組では半年の番組更改。

人気の番組も終わりを迎える。

 

朝の連続ドラマ「ひよっこ」も大好きだったが、そろそろエンディングに向かう気配。

毎朝の清々しい気分を引き起こしてくれた。脇役に宮本信子、和久井映見が素晴らしく、温かい家族と人情を思い起こさせてくれた。

 

高齢者向けの「やすらぎの郷」もいよいよ終盤。大女優役の八千草 薫さんが役の上ではあるが天に召された。

最後のベッドに横たわる姿はなぜか現実味を帯びていた。ご本人と役柄とがダブって見えた。

それと、番組の途中で、なんと野際陽子さんが本当に亡くなられた。これも大きな衝撃だった。

 

秋はテニスもシーズンである。いつものメンバー10人前後。お互いに歳を重ねているからいつもと変わりないように見える。

しかし、やはり「時に情けは無い」。 みんなそれぞれに老けていっているのは隠せない。

今日の誕生日を迎えた二人の女性。63歳と67歳。 40歳後半から50代の頃からの仲間である。

すでにお孫さんも居る。「おばあちゃん」と呼ばれて当然であるが、コートで見る姿は本人も回りも若いつもりで居る。

自分自身もそうだ。まったく若い時と同じ気持ちで居る。(自分は若いまま、絶対に死なないんだ)と。

しかし、皮膚の皺やごま塩あたまや、視覚、聴覚の衰えははっきりと自覚出来る。

やはり、歳を重ねているのだと納得せざるを得ない。

 

そんな気持ちで居ると、テレビに出てくるあの頃の青春スター達が、やれ還暦や古希を迎えただのと姿を現す。

そして、すでに天国に召されたスター達も少なくない。 これは現実なのだと思い知らされる。

 

10月半ばには九州の中学時代の同期会が東京で開催される。九州からも元気な友達が多く参加するそうだ。

卒業から57年、みんなそれぞれに歳を取ったのだろうが、なんだか信じられない。

そんな9月の半ばです。

 

そんな、秋のこの頃を歌った「思秋期(ししゅうき)」を思い出します。作詞の阿久悠さんにあらためて共感します。

作詞:阿久悠 作曲:三木たかし 歌:岩崎宏美

足音もなく行き過ぎた

季節をひとり見送って

はらはら涙あふれる 私十八

(中略)

心ゆれる秋になって 涙もろい私

青春はこわれもの 愛しても傷つき

青春はわすれもの 過ぎてから気がつく

(中略)

無邪気な春の語らいや

はなやぐ夏のいたずらや

笑いころげたあれこれ 思う秋の日

 

 

 

 

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卒業

2015-03-29 15:42:51 | 友・回顧録

3月もいよいよ終盤、朝の連続テレビ「マッサン」も終わりました。

そして、花おじも古希を迎えた この年度末の27日を最後に「卒業」となりました。

およそ半世紀にわたる職場からの卒業です。

嬉しいような、淋しいような複雑な心境です。

明日の月曜日、もう仕事に出かけることはないのですが、まだ実感は沸きません。

 

これからの「新しい人生」がスタートします。

時間はタップリあります。

あれもしたい、これもしたい、、夢は広がります。

 

とりあえず記事に留めました。 

時間はあるのに「手抜き記事」です。 (笑)

 

 

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喪中はがき

2014-11-05 22:17:32 | 友・回顧録

久々のテニスから帰宅、郵便受けに喪中葉書が来ていた。
差出人は?? まるで記憶に無い見知らぬ方だ。
不審に思って部屋に入り眼鏡をかけて本文を見ると、

「二月に義母 ○○美代子が八三歳にて永眠いたしました」 

ええっ!!美代子先生が!!  ・・・信じられないことが。

恩師の娘さんの御主人から見て「義母」と書いた喪中葉書であった。

 

美代子先生とは小学校の一年生と二年生の時の担任の先生である。
生涯忘れる事の出来ないまさに恩師であった。


 一年生 54人の友が写っている。 前列左から4人目が花おじ

 

 

小学校一年生の時から今日まで実に62年の間、絶えることなく年賀状をやりとりしていた。

毎年の年賀状には小さな美しいペン字で実に丁寧な言葉を書いて下さった。
今年の年賀状には、
貴方との出会いから、早や六十数年。今もってかわいかったチビちゃんが瞼に焼きついています。不思議ですね。因みに私84才、ちょっと長生きし過ぎました。奥様によろしく
と書いてあった。

ここ十数年は年賀状を頂いた後に必ず電話をかけて、直接お声を聞くのが楽しみであった。

 


 しばし呆然としたあとで電話をかけた。すぐに出られたのが娘さんであった。
娘さんとは50年ほど昔に恩師の自宅を訪問した時に会っただけである。
当時、娘さんはまだ幼稚園か小学校の低学年であったと思う。

「私、美代子先生の教え子の○○です」と名乗ると、娘さんはご存知だった。

「母がいつも話して、写真も見せていましたので」と。

とってもお元気でいらしたそうだが、ある日仲良しの友達が集まって楽しい団欒の途中で、トイレに立たれ、その中で倒れられたそうだ。
くも膜下出血と心筋梗塞だったそうで、そのまま永眠されたと。

日頃から「ピンピンコロリ」がいいねとおっしゃっていたそうで、家族に介護させることなく天国に旅立たれたのだった。 

 

☆*゜ ゜゜*☆*゜ ゜゜*☆*゜ ゜゜*☆*゜ ゜゜*☆*゜ ゜゜*☆*゜ ゜゜*゜゜*☆*゜ ゜゜*☆*゜ ゜゜*


幼かったあの頃、初めての夏休み。まだチビッ子だった一年生の同級生3~4人で、恩師のご自宅まで探検訪問した事があった。子供達だけで初めて乗る電車の大冒険。4区間ほどの駅で降りると、静かな田園風景が広がっていた。そこから歩いて200メートルほどだったろうか。先生のご自宅は精米所で、店先でご両親が働いておられる様子を遠くからそっと覗きながら、ワクワクする気持ちを抑えて訪ねて行った。
ご両親はとてもお喜びで、奥の部屋に声をかけられて、美代子先生が出てこられた。驚いたご様子だったがとても喜んで下さった。
教室で見るお姿とはまた違った先生にみんなで小さな胸をときめかした。
しばし楽しく遊んだ後で、先生は我らを引率して、電車で元の駅に送り届けて下さったのだ。
そして駅前の食堂で「きつねうどん」をご馳走して下さった。とっても美味しかったその味が今も蘇る。
味自慢のその店は成人してからも何度か立ち寄って、幼き日の思い出を新たにしたものだった。

 

今にして思えば、先生は当時まだ二十歳を少し越えたあたり。戦後6~7年頃だった。
敗戦から間もない貧しい時代であったろうに、あの頃の先生達はみな素晴らしい教育者であり、生徒も保護者も先生を心から敬ったものであった。
名作映画「二十四の瞳」の高峰秀子さん演じる女教師を観るにつけ恩師のお姿と重なり合うのである。

恩師のご冥福をお祈りし、いつの日にかまた天国でお逢いしたいと願うものである。

 

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母の日プレゼント

2014-05-11 18:02:58 | 友・回顧録

今日は「母の日」
朝イチの宅配便でカーネーションが届いた。
毎年、恒例となった息子達からのプレゼントだ。




「母の日」 と言えば、自分の幼い頃を思い出す。

小学生になった頃だろうか?
戦後の復興期、ほんの少し余裕が出始めた頃だろうか。
「母の日」 なるものの存在を姉達から教えて貰った。
母にプレゼントを贈る習わしを知った。
幼児から小学生に脱皮する自分にワクワクドキドキ。

姉達を真似て自分も何か買って母にあげたいと。
小さな貯金箱を開けて小銭を握りしめて近所の雑貨屋へ走った。

幼い頭で考えて決めたのは「たわし」であった。

手作りの包装に「おかあさんありがとう」と書いて照れながら手渡した。

狭い台所で洗いものをしていた母は濡れた手を白い割烹着で拭きながら、驚いたように嬉しそうに受け取ってくれた。

あとになって少し反省した。
「たわし」って事は、母に「もっと働いて下さい」 って言ってるみたいだと。
もっと綺麗な花とかが良かったのかなあ?と。



幼い胸を痛めた思いと共に、まだ若かった母の優しい笑顔が、今でもはっきりと浮かんでくる。

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夜明けのメロディー

2012-05-10 14:10:07 | 友・回顧録
   
十数年前に母からもらった葵(ゼラニューム)の挿し芽が 今年も元気に咲いている

 

今朝も 3時に目覚めた
そのあとは いつものラジオを聴いた。

NHK第1放送「ラジオ深夜便」

まだ若い頃は「高齢者向けの番組」と決め付けて

興味も無かったし、聴く事もなかった。

しかし、今や自分自身が番組適齢者になってしまった。

 

数年前、姉の家に泊まりに行くと、まだ夜の9時前というのに

義兄が「それじゃ、先に休むからね」と寝室へ。

翌朝は5時頃に起床して畑の手入れをしておられた。

 

あれから数年後の今、自分がまったく同じように9時頃になると眠くなり

深夜3時頃に目覚めてラジオを聴いており、

朝日が射し込む頃になると起き出して時々ジョギングに出かけたりしている。

 

 

今朝のラジオからはペギー葉山さんの歌声が聞こえてきた。

ペギーさんといえば「南国土佐を後にして」や「学生時代」の名曲が懐かしい。

中学生時代に聴いて、今もしっかりと覚えている歌である。

 

ラジオの対談の中で、ペギーさんは私より一回り先輩であることがわかった。

現在、歌手生活60年、なんと79歳である。 

(へえ~ それにしては若い! その元気さを見習わなくっちゃ!!)

 

今朝の歌「夜明けのメロディー」は特に心に沁みた。

二年前に「ラジオ深夜便の歌」として発表されたこの歌は

五木寛之さんの作詞、作曲は弦哲也さんである。

懐かしい歌声と詞の内容が まさに今の自分の、いや自分達高齢者の心情を

そっくり表現していると思った。

 

若かったあの頃の、多くの友の顔や、大切な親きょうだい達の顔が浮かんできて

涙があふれた。

 

夜明けのメロディー

朝の光が さしこむ前に
目覚めて 孤独な 時間が過ぎる
あの友は あの夢は 今はいずこに

還(かえ)らぬ季節は もう
忘れてしまえばいい
すてきな思い出だけ 大事にしましょう
そっと 口ずさむのは 夜明けのメロディー

花のいのちは みじかいけれど
重ねた 歳月(としつき) 背中に重い
歓びも 悲しみも みんな人生

愛して 別れて また
どこかで逢えればいい
ちいさな幸せでも 大事にしましょう
そっと 口ずさむのは 夜明けのメロディー

 

You Tubeで聴く事が出来ます

クリックしてください  夜明けのメロディー 

 

 

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急告! あす夜「二十四の瞳」映画があるよーー!

2011-04-04 21:27:35 | 友・回顧録

早く記事が書ければよかったけど、時間が無くて今頃(4月4日21時過ぎ)になってから。

もう、あの花おじの大好きな日本映画「二十四の瞳」がデジタル・リマスターという技術で、

映像も音声もキズやノイズが除去されてとても綺麗になって放送されます。

時は、あす 4月5日(火) 夜10時から NHKのBSPにて

NHKBSP(ビーエスプレミアム)、先月まではBSh(103ch)でしたが、4月からBSP(ビーエスピー)となりました。

観たい人はどうぞ、お忘れなく!!

花おじ、さっそく録画予約しています。

 

関連記事 高峰秀子さんを悼む

 

 

そうそう、今夜もまもなく 小津安二郎監督の名作「東京物語」が始まりますね。これももちろん録画!

とり急ぎ お知らせです

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高峰秀子さんを悼む

2011-01-04 20:35:42 | 友・回顧録

女優 高峰秀子さんが去る12月28日に天国に旅立たれました。 86歳でした。

 

この報に接して即座に「二十四の瞳」の大石先生と、

喜びも悲しみも幾年月」のシーンが浮かびました。

二十四の瞳」は1955年 花おじは10歳の小学生、当時は文部省推薦とかで良い映画は学校の授業時間に全校で観に行ったのです。
もちろん入場料は無料。たぶん公費から出ていたのかも知れません。
貧しい時代でしたから良い映画を全員が無料で観られるというのはとても良いシステムだったと思います。

授業は休みで、遠足のように行列して映画館へ。

学校と一味違った映画館を貸し切って、友達も先生も一緒に見る事が楽しくてとてもワクワクしたものです。(もっともその後の感想文作成はイヤでしたが)

そんな時代の映画、小豆島の分校に赴任してきた美しい女(おなご)先生は見ている僕達にも憧れでした。

「大石先生・・いいなー

その新鮮な強烈な思い出は半世紀以上過ぎた今も脳裏に刻まれています。

 

そして「喜びも悲しみも幾年月」は1957年の作品。花おじ12歳、六年生でした。

これも学校から観にいきました。今度は無人島や辺地の岬の燈台守夫婦の物語でした。
戦時中の新婚時代から子供達を成人させるまでの苦労物語です。

 

老いた夫妻が娘の新婚旅行の旅客船を汽笛の合図で見送るシーンに泣かされました。

この映画でも高峰秀子さんは「日本のお母さん」としての憧れのシンボルでした。

喜びも悲しみも幾年月」については過去に記事にしたことがあります。

 

 

というわけで、高峰秀子さんは敗戦後の日本の激動期を毅然として逆境に耐えてたくましく生き、周囲への思いやりを欠かさない優しくも強く美しい日本の代表的な女性像として僕達少年の心にも深い印象を残してくれました。

 

あれから、もう半世紀、、、時の流れをつくづくと感じました。

ご冥福を 心からお祈り申し上げます。

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タイムスリップ

2009-11-19 19:22:41 | 友・回顧録

急に寒くなった一日でした

昼間の最高気温が8.7度 

小雨が降ったり止んだり



本当はテニスの日だったのに

こんな愚図ついた日には何をすれば?


 

そうだ、懐メロだ! You Tube があるじゃないか!!

ああ、1960年代、昭和の青春時代をたっぷり謳歌しました

映像に出てくる みんなは さすがに若い

自分達のその頃も 同じように浮かんできて。。。

 

嗚呼   時は 半世紀近くも過ぎ去り

昔の面影 今いずこ  

 

タイムスリップした一日でした

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