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花咲爺やの気まぐれ通信

日々の出来事等を き・ま・ぐ・れ・に発信

治水神社を訪ねて・・・

2010年01月22日 | 名所・旧跡
住みなれし 里もいまさら 
   名残りにて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧

                                         平田 靭負・辞世の歌


その昔、木曽三川の下流部は網目状に流れて洪水が絶えなかったので
宝暦3年(1753年)12月に9代将軍・徳川家重の江戸幕府は薩摩藩に
木曽三川治水工事を命じ、薩摩藩家老・平田 靭負が総奉行となり
幕府の厳しい監督の下に工事が進められ、40万両を超える巨費と
藩士80余名を失う犠牲を払って、日本治水工事史上最難関工事の
一つと云われている「宝暦治水工事」を約1年半の歳月をかけて完成させた


この工事の総奉行であった平田 靭負は莫大な工事費用と
数多くの藩士が無くなった一切の責任を負い
工事完成のあかつきに、辞世の歌を残し52歳で命を絶った
 

縁もゆかりも無い、遠く離れた美濃の地で艱難辛苦の末に
日本最大の治水工事を完成させ、災害にあえぐ輪中の人々を
救ってくれた薩摩義士たちを顕彰し、偉業と遺徳を偲び
平田 靭負を祭神とし、御堂には薩摩義士の位牌が祀られる
「治水神社」が昭和13年地元の人々の寄付で創られ
毎年春、秋に薩摩義士の遺徳を偲び、感謝の誠を捧げた例祭が
鹿児島県の人達をも招待して、地元の人達によって行われている


この治水神社を先日訪れたが、平日だった為か参拝する人は誰もいなくて
境内はひっそりとしており、静かに薩摩義士の遺徳を偲び冥福を祈る事が出来た



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<鳥居の前から見た治水神社>
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 トランジションノタグはsakuraさまからお借りしました ありがとうございました 

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