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「Fukushima50」は「事実の加工」をした現政権のプロパガンダ映画

2020年03月08日 | パワーかフォースか


映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?(中川 右介) @gendai_biz

福島第一原子力発電所の事故を描いた映画『Fukushima 50』が公開される。娯楽映画として、よくできている。しかし、大きな問題のある映画...

現代ビジネス

 



「新聞記者」や「太陽の蓋」は、現政権への忖度によって上映館が限られ、出演者が二の足を踏むような立場の映画だった。
反対に、原発事故を扱った「Fukusima50」は、ハリウッド俳優でもある渡辺謙をはじめとした有名俳優オンパレードです。
お金もかけられているようだし、忖度ゼロでCMもバンバン入っている、この違いは何だったのでしょうか。

予告編を見たときには、純粋に見たいと思いました。
当時の原発に立ち向かってゆく人たちに「アンパンマンマーチ」の歌が重なって、アンパンマンの歌を聴いて初めて涙が止まらなかったことなどを思い出して、また泣きそうになって・・。
日本人としてこの原発事故は、絶対に忘れてはいけないテーマであったと思います。


しかし、中川 右介さんの書かれた上記リンク先の記事「映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?」を、全文すべてを読んでみて、これはだめな方の映画だと確信しました。
当時、国民の原発への怒りのスケープゴートにするために、原子力村挙げて行った菅直人への印象操作。
「当時の原子力村のデマや世論誘導の内容を事実と見せかける」ためのプロパガンダ映画の様相を示していたようですね。



・・・とはいえ、福島第一原発に残って命がけで事故と向き合った作業員の方たちへのリスペクトは忘れてはならない。
見た方がいいか、見ない方がいいか、こういうときはいつも例のテストをするのが我が家のならいなので。
で、映画のテーマの根底の意識エネルギーを調べたら、マイナスまでいってはいませんでしたが、一桁のフォース3Fでした。
キネシオロジーテスト原理主義者なので、私は、見ないことにしました。
出演者も好きな役者さんが多かっただけにとても残念です。(ちなみに「太陽の蓋」は623P)


原作は、門田隆将という人。
忘れていたけど、彼の名前を見て、思い出していたことがありました。
当ブログでも、「日本の選挙が終わったら、アメリカにいいことあるよと、トランプツイートで暴露」の記事で紹介した、このツイート。




原作者の門田隆将は、櫻井よしこさんや金美齢さんにいつもお世話になっていて、安倍トランプが、そばに寄ってきて握手する、という関係性の人だった・・・。
いずれにせよ、ともに「消滅」を選択した人たち。

このウイルスの蔓延しているときに、政府としても不要不急の外出を控えよ、といってるくらいで、わざわざ閉鎖空間である映画館に行く人も少ないだろうから、このタイミングの公開も天のはからいかもしれないけれど・・


「記録映画」としてみるなら、悪意と嘘が入っています。
「娯楽作品」として見るなら、正直、事故を娯楽として消費することの不快感があります。事故はまだ現在進行形で終わっていないのに、「Fukusima50のおかげで原発事故は終息した、感動した」と見た人たちをミスリードする可能性もありますから。
現実は、リアルな人間が、右往左往しながら未来につなげていくもの。宇宙人をやっつけてハッピーエンドで終わるようなハリウッド映画のエンターテイメントとは違う。



●3月9日付記 
つまりは、小田島隆氏の意見に同意。




以下、ツイッターより。だからといって、見る見ないは各位のご自由であることは言うまでもありません。






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