はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

市川海老蔵を巡る騒動で思うこと

2010年12月02日 | はなこのMEMO
市川海老蔵を巡る騒動で、徐々に真相?が明らかになるにつれ、事態は意外な展開を見せつつある。当初被害者扱いだった海老蔵に対して、自業自得の声まで聞こえて来て、彼は窮地に立たされつつあるようだ。

この件で私の頭に浮かんだのは、「どうして海老蔵はこんなことになってしまったか?」と言う素朴な疑問だ。30過ぎの大人が、自分のしたことの責任を取るのは当然ではある。因果は巡って、自分に返って来る。

しかし、父、団十郎の会見での話を聞いても、漏れ伝わって来る評判でも、彼は相当に酒癖が悪かったらしい。それを知ってて、こんな事態になるまで放置していた周囲の人間の冷たさが、私にはどうにも気になるのだ。

全治2か月もの重症を負ったのに、警察に通報もせずに自宅に逃げ帰ったということは、過去にも何度も似たような目に遭い、事務所なり親なりがいろいろ手を回して表沙汰にしないようにして来たのだろうか?だとしたら、歌舞伎役者としての体面を気にするあまり、周囲がよってたかって臭いものに蓋をした、問題点をひた隠しにしたツケが、今回の事態を引き起こしたとは言えないか?

海老蔵のような立場の人間が、30過ぎにもなって、妻帯者にもなって、一歩間違えれば身を滅ぼしかねない、このような酒が原因のトラブルを引き起こすのは、常識的に考えておかしい。ましてや、成田屋の看板を背負った歌舞伎役者、未来の市川團十郎である彼には、彼を支える人間が周囲に沢山いるはずだ。

彼の行状を知る人々の中で、彼の行動を本気で諫める人はいなかったのか?完全なる断酒を勧める人間はいなかったのか?酒の席で常に周囲とのトラブルが絶えないのは、単に酒癖が悪いと言う話ではないような気がする。病的なものを感じる。彼の身を心から案じるならば、彼を説得し、療養施設で治療を受けさせるべきではなかったのか?

今回の事態を受けて、彼のわがままな性格や常に他人を見下したような態度を指摘する人もいる。それは生来のものなのか?育て方に問題はなかったのか?彼に他人を不快にさせるまでの常軌を逸した優越感、特権意識を植え付けたのは周囲の大人達ではなかったのか?

彼は歌舞伎役者である前に、社会で他人と関わりながら生きていかなければならない一人の人間である。それなのに、まともに他者とコミュニケーションをとれない、コミュニケーションの基本として、まず相手を尊重する態度をとれない人間にしたのは誰なのか?周囲の忠告を頑迷に聞き入れないと言うならば、発達障害?の可能性もあるのかもしれないが、仮にそうであったとしても生育期に対処法は幾らでもあったはずだ。

人は失敗から学ぶことは多い。本人が失敗を自らの行いが招いたものだと気づき、反省し、これを機に自らを正すのならば、失敗は寧ろ人間的成長を促す良い機会だと捉えることができる。ただし海老蔵の場合、20代前半ならともかく、30過ぎにもなって、こんな失敗をやらかすなんてイタ過ぎる。私は今回の事態に、海老蔵を「最低な人間」と呆れ、突き放すと言うより、誰も彼を一人の人間として正しい方向へと導くことがなかったと言う意味で、彼のこれまでの人生に痛々しさを感じ、同情さえ覚えるのだ。

【2013.2.4 追記】

海老蔵の父、12代目市川團十郎が3日、肺炎でこの世を去った。今朝からテレビは、このニュースで持ちきりで、市川團十郎の在りし日の映像が繰り返し流された。その中には自宅で家族と寛ぐ映像もあった。自身が父親を早くに亡くし、公私共に苦労が絶えなかったせいか、とりわけ子煩悩な父親であったようだ。歌舞伎の指導も、芸は盗めと言わんばかりの厳しかった先代の團十郎に比べ、懇切丁寧なものであったらしい。

團十郎は生前、我が子には自分のような苦労はさせたくない、とも語っていたようだ。その父の思いは、海老蔵にちゃんと届いていたのだろうか?その父がかけたであろう情けが、今となっては海老蔵にとって良かったのかどうか…

その父について、「大きな愛で見守ってくれた」と語った海老蔵。彼が今後の人生で、父の情愛に報いる姿勢を果たして貫けるのか、多くの人が注目するところだろう。

一方で、事件後、すっかり品行方正になった(?)海老蔵の芸はつまらなくなった、と言う意見も耳にした。ファンもわがままなものだ。歌舞伎と言う芸能の出自を踏まえた上で考えると、その芸道を突き進む人間に、芸の上達を望むと同時に世間の常識を求めることの方が、間違っているのだろうか?伝統芸能も時代の変化に合わせて、その在り方を変えるべきなのか?或いは、頑なに守り抜いて、その存亡は自然の摂理に任せれば良いのか?

個人的には、血統によって受け継がれる伝統芸能としての歌舞伎の在り方も今、改めて問われているような気がする。歌舞伎界の中に厳然とある格差が、さまざまな歪みを引き起こしている元凶と思えてならないからだ。歌舞伎の存亡は、その世襲制を是とする歌舞伎のコアなファンが、どれだけ守れるかに懸かっているのかもしれないが、そのコアなファンにしても年齢層<年配層?>が気になるところで、いつまで守れるのか?その意味でも現在の歌舞伎界は、新たなファンをコンスタントに獲得できているのか?

新歌舞伎座落成を目前にして勘三郎、團十郎の二枚看板を失った歌舞伎と言う伝統芸能が今、大きな岐路に立たされていると思うのは私だけではないだろう。この危機に歌舞伎界が結束して立ち向かえるのか、歌舞伎ファン、アンチファン共に注視していると思う。

【2017.06.25 追記】

海老蔵の妻、小林麻央さんが、22日、34歳と言う若さでこの世を去った。妻のガン闘病を巡って、執拗なマスコミの取材に困惑していた海老蔵は、昨年、妻の闘病の公表に踏み切った。その後、妻の麻央さんがブログを開設すると、その真摯な内容は国内外で反響を呼び、海老蔵も自身のブログで、闘病を支える家族としての心情を赤裸々に吐露するようになった。

本来ならば伏せておきたい身内の闘病が公になり、病状の一進一退が日々、世間に晒されるようになった。その一挙一動が衆目を集める著名人とは言え、その心中には複雑なものがあったことだろう。

妻の死の翌日に、舞台公演の合間を縫って行われた会見で、「麻央さんは海老蔵さんにとってどのような存在であったか」と問われ、海老蔵は「自分を変えてくれた人」と応えていた。確かに妻の闘病公表後の彼の言動を見る限り、現在の海老蔵は、この記事が書かれた7年前の行状からは想像もつかなかったような人間的成長を見せている。人間、変われれば変わるものだと思う。

死の床で、最期に残された力を振り絞って、海老蔵に「愛してる」と呟いて逝った麻央さんの無垢で深い愛情が、傍若無人な海老蔵を分別のある大人に変えたのかもしれない。麻央さんが遺した2児が、その成長を通して、彼を愛情深い父親へと変貌させたのかもしれない。少なくとも、一年前と比べてもやつれきった今の海老蔵に、昔の無軌道で傲慢な面影はない。

麻央さんのご冥福をお祈りいたします。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ゴッホ展」(国立新美術館)... | トップ | 相手にされない日本 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。