はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

親の自覚と責任

2010年10月07日 | はなこ的考察―良いこと探し
 我が家は子供の帰宅時間にうるさい。特に夫が口うるさい。大学生とは言え、基本的に授業のある週日は十時まで(遅くとも日付が変わる前)に帰宅するべきと言う不文律がある。帰宅があまり遅くなると生活リズムが狂い、翌日に差し支えると言うこともあるし、昨今の治安の悪化で犯罪に巻き込まれる懸念もあるからだ。どうしても遅くなる時は理由と帰宅時間を明らかにし、帰路も携帯メールで途中経過を報告するよう、息子に口酸っぱく言い聞かせている。

 息子は両親の厳しさに不満げだ。「他の家はそんなに厳しくない」と。しかし私達に言わせれば、ヨソはヨソ。ウチはウチ。少なくとも親のスネをかじっている間は、子供が親の管理下にあるのは当然のことだと考えているし、こんなに厳しいのも息子のことが心配だからだ。大事に思っているからだ。

 逆に息子のことがどうでも良いのなら、私達は彼が何時に帰って来ようが、何をしようが、一切関知しないだろう。携帯電話を持たせて「連絡がないのは元気な証拠」と安穏に構えているだろう。

 誰が何と言おうと、彼のことを心底愛しているからこそ、親として彼に時には厳しく当たるのだ。最終的に彼が独り立ちできるよう、その時が来るまで全身全霊で彼を守り、サポートする。それが親の務めと信じている。

 実は私の場合、自分の親を反面教師にしているところがある。私の親は子育てに無関心だった。長患いで気持ちが荒んでいたこともあるが、父の関心は自分自身のみにあった。子供のことなど眼中になかった。そして母は我が侭な父にただ従うだけだった。おかげで私は勉強が好きだったのに大学進学は許されず、高校を卒業したら公務員になれと言われ続けた。4人兄弟の一番上の責任感から公務員試験は2度合格を果たしたが、結局公務員にもなれなかった。

 自分なりに将来の夢があり、その為に大学に進学したかったにも関わらず、当時両親はおろか、周囲に誰もサポートやアドバイスをしてくれる人がいなかったことが、返す返すも哀しい。同級生の中には、担任教師の説得で進学に反対していた親が翻意して、大学進学を果たした友人もいたし、後の職場の先輩の中にも、伯父の経済的援助で大学を出た人がいたのだから。その後、私は紆余曲折を経て、自力で大学に進み今に至っているが、子供時代の辛かったことや、大学進学前に、学費捻出の為に一時籍を置いた職場で受けた屈辱は、今でも忘れられない。せめて当時、知恵を授けてくれる大人が身近にいたならば、もう少し要領良く生きられたような気がする。

 もちろん、どんなに環境に恵まれていたとしても、自身の能力だけでなく、しばしば運も左右するから、自分の進路希望が叶うとは限らない。寧ろ自分が希望した職業に就けた人の方が少ないだろう。それでも私の場合、長子と言う理由だけで、まだ子供であったのに親に頼られ、その我が侭に振り回されたことは、今でも親子関係にわだかまりを残している。当時の私の苦境を知らない年の離れた弟妹達とも、今ひとつ心を通わすことができないのも、そのせいなのかもしれない。(私のようなケースは、昔ならいくらでもあったのかもしれないが、当時の私の友人達は恵まれた家庭の子ばかりだったので、彼我の違いに、尚更自分が惨めに思えてならなかった)

 だからこそ、我が子には自分と同じ轍を踏ませたくない思いが人一倍強いのかもしれない。最後は彼自身の力と運次第であっても、彼が巣立つ日まで、彼から助力を求められたら、親として出来る限りのことはしてあげたい。息子から時には疎まれても、無用な危険から彼を守りたい。それが息子をこの世に送り出した親としての最低限の務めだと思っている。

 ニュースで子供を巡る痛ましい事件を見聞きする度に、私は親としての責任を痛感する。親のもう少しの「親としての自覚」「我が子への愛情」で、救えた命はけっして少なくないのではないか、と思う。

 ”幸運にも親になれた”(そう、子供は授かりものである)世の親ごさん達には、我が子にありったけの愛情を注いで欲しい。責任をもって、その自立を最後まで見届けて欲しい。単なる甘やかしでなく、我が子の自立を促すことを前提とした愛情なら、注いでも注ぎ過ぎることはなく、その愛情は我が子の自尊心を育て、将来に渡って我が子の生きる支えになると思うから。
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