はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

報道を疑え?!

2013年05月19日 | はなこのMEMO
うろ覚えではありますが、以前、産経新聞が「新聞を疑え」と言うキャッチフレーズで広告展開していたような…。産経新聞としては、意表を突く言葉で衆目を集めることが目的だったのでしょうが、あのキャッチフレーズはなかなかインパクトがありました。

しかし、最近は本当に新聞に限らず、テレビも(と言うか、新聞以上に)、信じられなくなりました。新聞やテレビから発信される情報、特に報道を鵜呑みにできないと言うか、ひと呼吸置いて、情報の真偽を疑ってかかる自分がいます。

報道の何が信頼できないか、思いつくままに具体的に幾つか挙げてみましょう。

まず、土日の報道の手抜きぶり。たぶん一線級の記者の大半は休んでいて、新人に任せているのか、「どこどこで花が咲きました」「どこどこで恒例のイベントが行われました」と言った当たり障りのない風物詩か、週日のニュースの焼き直しでお茶を濁している印象。幾ら土日と言っても、新たな事件や事故は休みなく起きているだろうに。これはGWや盆暮れ時の報道も同じ。毎年、判で押したように、やれ「新幹線の乗車率が○○%だ」「高速道路が○○付近で○○キロの渋滞だ」と、"民族大移動"の様子を伝えます。

休みの時ぐらい殺伐としたニュースより心和むニュースを、と言う気持ちも分からなくはないですが、毎週、毎年、変わり映えのしない恒例の内容を伝えられて、「これって報道と言えるの?」「ニュースと言えるの?」と思う。

次に、ひとつ大きな事件・事故が起きれば、その類似事件・事故の追っかけ報道が多過ぎて、まるでそれらが最初の事件・事故の連鎖反応のように、全国的に多発しているような印象を与える傾向があります。

例えば、幼児・児童虐待。最近の報道を見ていると、近年急激に増えたように見えますが、果たして本当にそうなのか?統計的にそう立証されているのか?そもそも過去に遡って統計データが存在するのか?社会的な関心と言う意味でも、幼児・児童虐待問題は、昔から犯罪として認知されていたのか?見たところ(もちろん、私の調べ方が不十分である可能性もありますが)、これらの疑問に答えてくれる報道はありません。これって結果的に、報道による印象操作ですよね?

ひとつの事件・事故を深く掘り下げて報道するでもなく、類似の事件・事故をどこからか拾い集めて来て、ただ並列に伝えるだけ(←特にテレビが酷い・新聞とテレビの報道としての役割の違いなのか、或いはテレビと言うメディアの限界なのか?)。これでは、受け止める側も、発端となった事件・事故に対して関心を深めるどころか、「またか」とうんざりして、飽きてしまって、却って関心が薄れてしまうのではないでしょうか?報道の内容(例えば政治の問題とか)によっては、あえて情報攻勢をかけて人々をうんざりさせ、意図的に関心を向けさせないようにしているのかもしれません。

所謂、世論調査と言うのも曲者です。以前、夫が某テレビ局の電話による世論調査を受けたのですが、短い時間に限られた選択肢から答えを選ばせる方式で、受け手にじっくり考える時間を与えるようなものではありませんでした。そのやりとりを傍で聞いていて、世論調査で問われているような内容について、普段から深く考え、自分なりの意見を持っている人ならともかく、そうでない人は考える間もなく答えを適当に選択している可能性があるのではないかと感じました。夫も同意見でした。以来、世論調査報道を我が家は信じていません。

また、センセーショナリズムに走るあまりか、或いは特定の団体や個人を陥れる為か、逆に特定の団体や個人が利するよう世論を誘導しようとしているのか、マスコミは公人の発言を歪めて報道する傾向はないのでしょうか?ここ最近、巷間を賑わせている?猪瀬東京都知事のオリンピック誘致を巡る失言や、橋本大阪市長の発言にしても、果たして報道されているような内容が、彼らの真意なのかは疑わしいところです。報道する側は、彼らの発言を一切加工していないと胸を張れるのか?マスコミが何らかの意図をもって、彼らの発言の一部のみを切り貼りして、彼らの真意とは違った内容を伝えている可能性はないのか?

ただ、猪瀬氏は公人として、マスコミ対策に甘さがあったと言われても仕方ない面があるかもしれません。特にNT紙なんて、近年の日本に対する報道のスタンスはフェアとは言い難く、猪瀬氏は公人だからこそ自身の発言の影響の大きさを考慮して、インタビューを受けるマスコミの選択にもっと慎重になるべきだったと思います。一方、橋下氏の件に関しては、日本のマスコミが徒に騒動を拡大させているような印象が否めず、日本のマスコミは日本の国益をどう考えているのか、彼らは果たして日本の味方なのか、おおいに疑問に感じるところです。尤も橋下氏は、先鋭的な発言で物議を醸し、問題への衆目を集めることまで計算尽くだったのかもしれませんが…。

一般人に対する街頭インタビューにしても、マスコミが予め考えたシナリオに沿った意見を述べた人々を数多く紹介し、さもそれらが一般人の大勢を占めていると印象操作している可能性があります。

ついでに言うと、マスコミの誤報の訂正報道の小さいこと。確かに誤報はマスコミにとって恥ずかしいことなのかもしれませんが、誤報によって名誉毀損や経済的損実を被った団体や個人の名誉を正当に回復させる為にも、誰の目にも触れるように大きく扱うべきだと思います。

さらに、現在(もしかしたら、過去から現在に至るまで)日本のマスコミは「権力の監視装置」として機能しているのか、と言う点でも今ひとつ信頼が置けません。国民に伝えるべき情報(それがたとえ権力者にとって都合が悪いものであっても)をちゃんと伝えているのか?不正を働き、国益を損なう恐れのある権力者を、命を賭して告発する勇気のあるジャーナリストが、今の日本に存在するのか?

この頃、マスコミ不信が深まる一方で、何を信じたら良いのか本当に悩んでいます。おそらく「無関心」であることが一番気楽なのでしょうが、それではこの国がダメになってしまうので、国民(市民)のひとりとして無関心ではいられません。所謂、メディア・リテラシーを鍛える為には、自分にはもっともっと学び、考えることが必要だと痛感しています。現時点では「本当に自分は何も分かっていないhekomi」と言うことが分かったところでしょうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 良いこと、悪いこと、良いこと | トップ | なんだ?これは! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。