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斉藤淳『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』(SB新書、2023)

2023年06月13日 | 読書記録(本の感想)
著者は日本の大学を卒業後、米国の有名大学で博士号を取得し、その母校で教鞭を執った経験をもとに本書を著している。

本書では、“今後の人生を生き抜く上で何が大切か”、“どのような心構えで生きれば自らの人生に価値を見出せるのか”が率直に述べられていて、前途ある中高校生には是非読んで貰いたい一冊だと思う。

昔から「教養」を身につけたいとは思っていても、具体的に何をどう身につけたら良いのか分からないまま今に至る私には、本書の「教養論」はなかなか興味深いものであった。

私の場合、「教養」と言えば古今東西の「歴史」「思想」「芸術・文化」そして「語学」が真っ先に思い浮かび、それらの素養がある人を「教養人」と呼んでいるような気がする。そして、「教養人」はイコール社会的エリートであると。

ところが、本書のプロローグで著者は古代ギリシャ後期に庶民も政治に参加した例を挙げて「教養とは庶民が社会の一員として、自分たちが生きる社会の構築に能動的・主体的に関わる為に身につけるもの」と定義づけている。つまり、「教養とはエリートだけのものではない」。

古代ギリシャで市民が政治参加する為に求められた教養は「自由七科」と呼ばれ、具体的には文法学、論理学、修辞学、算術、幾何学、音楽、天文学であった。これが今で言う「リベラル・アーツ」の始まり。

そして本書で紹介する「教養」とは、日本の大学の教養課程で学ぶような「一般教養」とは一線を画し、「より普遍的で時間と空間を超越して意味を持つもの」、だと説く。

つまり、「教養とは本質的に『自分の中心』を構成する何かー事物に対する理解力や洞察力、思考力のみならず、自分の人生哲学や守りたい価値観を明確に持ち、何かについて考えるたびに、そこに立ち返る。考える。行動する。また考える。その原理の源にあるもの。」

要するに、私が冒頭で挙げた要素は単に「知識」として学ぶ(記憶する)だけでなく、自分なりに咀嚼して血肉(=自分のモノ)にして初めて「教養」=「自分の核」となり、それをベースに事物を洞察し、理解した上で、考えて、行動することこそが「教養人」足り得ると言うことのようだ。

単に“知っている”だけでは「教養がある」とは言えず、“知識”を“ひけらかす”だけでは「教養人」とは認められないのだ。「教養」をベースに「考え」、「行動する」ことに「意味」があり、「価値」がある。

「教養とは、目的を定めずに積み重ねられるもの。教養を身につける目的は、教養を身につける道程(プロセス)そのものである。」←画家のマティスにしても、彫刻家のロダンにしても、「制作のプロセス(試行錯誤?)」を大事にしていた。プロセスへの着眼が印象的だ。

教養人は陳腐化しない知識を使いながら、なおかつ、その都度必要な知識をインプットし(=学び続け)、批判的に思考し、判断する『思考の文法』」を習得している。」←思い返せば、40年前に学んだ短大で、米国で学位を取得したと言う恩師の口癖が「Critical reading!」だった。

例えば、仕事で必要な知識や技能は常にアップデートしなければ、時間の経過と共に陳腐化するものだが、「教養」は時間が経っても陳腐化しづらい普遍性を持っているだけでなく、「教養」を身につける過程で「思考の文法」と言う武器を得た「教養人」は時代の変化に常に柔軟に対応出来ると言う。この「思考の文法」こそ、大学で会得すべきスキルだと思う。私が高校生の頃、大学進学の意義を教えてくれる大人が、周りにひとりもいなかったことが返す返すも残念だ。親は高校を卒業したら公務員になれと言うばかりで、私が望んでも進学できる環境にはなかった…

若い時分に、本書に出会っていたなら、私の人生は今とは違ったものになっていたかもしれないと思うと、ちょっと残念だ。還暦を過ぎて今さらと思わなくもないが、「今日が一番若い」😄 と言う心持ちで、今からでも「教養」を身につける努力はしようと思う。

以下、印象に残ったフレーズを記します。

・読書を通じて古今東西の知性に多く触れ、その知性的な裏付けのもとで自分なりに深く鋭く考察できる教養ある人間を目指す。

・自分の価値観や経験、あるいはそれらに基づいて考えたことをマメにメモする習慣をつけて行く。何らかの形で読んだこと、考えたことの痕跡を残しておく。

・言語化の習慣がないと、思考力が衰える。

・学ぶ、考える、発信する。

・「Why」(常に「なぜ」と疑問を持つ)物事の事実関係ではなく、仕組みを考えるきっかけになる→物事の本質を見抜く。

・「過ちては改むるに憚ること勿れ」

・学べば学ぶほど、知れば知るほど、この世界は複雑かつ多様で、唯一無二の正解など存在しない事柄がほとんどであり、深く考えれば考えるほど新たな矛盾を発見してしまったりすることが多い。

・異なった立場で考えてみる→正解はひとつではない。正解を無批判に覚えるのではなく、正解が導かれたプロセスに目を向けてみることで、応用可能な思考力が養われる。

・あるひとつの意見を持ったら、生涯それを貫かなくてはいけないわけではない。判断基準があれば、状況の変化に応じて、或いは新たに得た知識や情報をもとに意見が変わって当然である。→今の自分の考え方は絶対ではなく、新たに学ぶことで変わって行くもの。

・一生謙虚に学び続けることが教養ある態度。学ぶことに終わりはない。

・社会をその一員として成り立たせていくために、議論し、批判的に検討し、「何が相対的に正しい可能性が高いのか」ということを合意形成しながら、他者と共に学んでいく。


今年度の手帳にはこう記しました。

「大切にしたい価値観のために、自分には何ができるのか?」



(了)

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2 コメント

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Unknown (hanakonoantena20220612)
2023-06-14 22:07:31
この本は教養が特権階級の専売特許ではなく、誰にとっても生きて行く上での指針となるものだと定義づけている点が良いですね。

ある程度教養がなければ、常識さえ身につかないのかも。

学びには終わりがないですね。生きている限り、自分の気構え次第では、死ぬ瞬間まで新しい何かに出会えるワクワクした人生を送れる可能性があるとも言えますね☺️。
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Unknown (みゆきん)
2023-06-14 20:58:05
教養って奥が深いよね
地域によって全く違うし
国が違えば教養の全てが違う
生きてるうちに少しでも教養と常識ある人間でいたいわ。
返信する

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