今や「英語帝国主義」と揶揄されるほど、英語と言う言語が「国際語」として世界で広く使われているのは誰もが知るところだ。
幾つかある大学の評価ランキングでも、英語圏の大学が英語の「汎用性」と言う強みで軒並み上位を占めているし、アジア圏でも英語教育に力を入れている国々の大学が近年急速にランクを上げている。逆に比較的英語力に劣る日本の大学はランクが下降気味だ。
結局、ランキングの評価指標のひとつである「国際化」では、多国籍の学生や教員を集める為に、実質国際語としての機能を果たしている英語による授業の実施は必須となりつつあるし、学術レベルの指標となっている「論文引用数」でも、それぞれの母国語で書かれた論文よりも英語論文の方が有利である。今や「仏語至上主義」で有名なフランスの大学でさえ、コースによっては英語での授業が行われていると聞く。
ビジネスシーンでも英語が幅をきかせており、国際競争が高まる産業分野では、ビジネスマンも英語が出来なければ話にならない傾向は強まる一方だ。さらに職業スキルに加えて英語力があれば、自国を飛び出して世界で活躍できる可能性も高くなる。
フィリピン人はその英語力を生かし、さまざまな国で出稼ぎ労働者として従事し、そこで得た収入を本国へ送金して脆弱な国家財政を支えているし、近年のIT業界ではワールドワイドにインド人の活躍が目覚ましい。また、英米の医学部では多くのインド人留学生が学んでいると聞く。
日経11月9日(水)夕刊16面の記事「自由席」では、フィリピンの出稼ぎ労働者を描いた映画について紹介していた。
これまで数々の国際映画祭で受賞実績のあるフィリピンを代表する映画監督ブリランテ・メンドーサ氏が手掛けたオムニバス作品の内の一編で、タイトルは「SHINIUMA Dead Horse」。「北海道の牧場で馬の世話をしてきたフィリピン人労働者が不法滞在で強制送還となり、故郷の村に帰る物語」で、「外国への出稼ぎがフィリピン経済の重要な財源になっている現実と皮肉を描いた」と言う。
「俳優に脚本を渡さず、人物の置かれた状況を説明、俳優がそこから感じ取った肉体表現を撮る。映像で語る力を信じ、『編集後、音を消してそれでも内容が伝わるか検証する』」と言うくだりに、彼は現代のオーギュスト・ロダンだなと思った。
19世紀フランスを代表する彫刻家ロダンは、人間の感情や思考と言った内面を、人体の荒々しく躍動する筋肉で表現した人である。
さらに、インターネットで使用されている言語のシェアは英語が圧倒的に高く、英語力の有無が情報格差を生み出すと言っても過言ではない。
故に、自分自身の視野を広げたい人間は否応なしに、個人的な好き嫌いに関係なく、英語を学ぶことは必須となっている(逆に海外に一切関心のない人、好奇心が旺盛でない人には、英語を学ぶ必然性はないのかもしれない)。
元気だった頃の私の父は海外を渡り歩く船員だったので、自宅にたまに父の船員仲間の外国人も訪ねて来るなど、英語は幼い頃から比較的身近な存在だった。米国には、米国人と結婚した父方の叔母一家も住んでいた。そのせいか、中学に入学して英語を学び始めた時も特に苦手意識を感じることなく、高校生の時には、いつの間にかある程度しゃべれるようになっていた。
ただし、あくまでもコミュニケーションの手段として使用する言語だと割り切っているので、英文学を原文で楽しむと言った向きではない。私にとっての英語は、英字新聞やテレビのBBCやCNNで世界の最新ニュースを入手したり、洋画や洋楽をオリジナル音声で楽しんだり、海外旅行でスムーズに現地の人とコミュニケーションを取る為のツールだ。
だから英語を言葉として深く味わうと言うより、自分にはまず伝えたい、或は語り合いたいトピックがあり、そのことについて日本人以外の世界の人々に伝えたり、共に語り合う為に英語を使う、と言う感覚である。
短大時代の恩師も仰っていたが、要は日本語でどれだけの知識を蓄えているかが重要で、その前提知識があるからこそ、海外ニュースを見聞した時に英語を完璧に理解せずとも、その概要を把握できると言うことである。日本語で知っていることを英語ではこう表現するのかと理解し、記憶して、それを実際の会話で使う。その繰り返しで語彙も自然に増えて行く。
逆に英語が多少しゃべれたとしても、何の知識もなければ会話は続かず、相互理解までには至らないだろう。英語力云々以前に母語での教養が大切だと思う。
仮にたまに間違った理解があったとしても、誰かに指摘されたり、自分で気づけば、後で幾らでも修正は可能だ。間違いを恐れないこと。完璧でなければと思い過ぎないこと。それが英語によるコミュニケーションを気軽に行うコツだと思う。
先日は、交換留学生として現在一橋大学に学ぶ英国人女性と話す機会があった。英国人と言っても生まれこそロンドンだが、そのルーツはアフリカのソマリアである。彼女の両親はソマリア人で、当地の政情不安から逃れて英国に移民した人々らしい。しかし、彼女が6歳の時に母親が病死し、その後彼女は英国人女性とエジプト人男性の夫婦に養女として引き取られたと言う。
もちろん、彼女と会話をしながら頭の中では、ソマリアがアフリカのどの位置にあるのか、ソマリアの現在の状況はどうなのか、そしてソマリアと日本の関わり等、いろいろなことを思い巡らせていた。ソマリアについての予備知識が皆無では、彼女が語る話の本質も理解できなかっただろう。
さらに先日のEU離脱について聞いてみると、「あれは誤った判断だ」と悲し気な表情を見せた。若い人の多くは、より広い活躍の場を奪われたようなショックを感じ、英国への先行きの不安も抱えているそうだ。
英語と言うツールで、遠いアフリカにルーツを持つ英国人と交流ができ、そこから世界の複雑な情勢の一端を知ることも出来る。これこそが、英語を学ぶことの醍醐味だと思う。
英語を学んだおかげで、幼い頃夢見た海外暮らしが実現した時も一切不安はなかったし(←まあ、これは「なんとかなるさ」のお気楽精神のなせる業とも言えるが…)、海外へも積極的に旅に出て、気軽に旅先でさまざまな国々の人々とコミュニケーションを取ることが出来た(←おかげで危険とニアミスしたことも多々あれど…)。
結局、何事も、出来ないよりは出来た方が人生はより楽しくなる、と言うことなのかもしれない。ともあれ、食わず嫌いはもったいない。
私のこうした価値観は、確実に息子にも引き継がれていると思う。
幾つかある大学の評価ランキングでも、英語圏の大学が英語の「汎用性」と言う強みで軒並み上位を占めているし、アジア圏でも英語教育に力を入れている国々の大学が近年急速にランクを上げている。逆に比較的英語力に劣る日本の大学はランクが下降気味だ。
結局、ランキングの評価指標のひとつである「国際化」では、多国籍の学生や教員を集める為に、実質国際語としての機能を果たしている英語による授業の実施は必須となりつつあるし、学術レベルの指標となっている「論文引用数」でも、それぞれの母国語で書かれた論文よりも英語論文の方が有利である。今や「仏語至上主義」で有名なフランスの大学でさえ、コースによっては英語での授業が行われていると聞く。
ビジネスシーンでも英語が幅をきかせており、国際競争が高まる産業分野では、ビジネスマンも英語が出来なければ話にならない傾向は強まる一方だ。さらに職業スキルに加えて英語力があれば、自国を飛び出して世界で活躍できる可能性も高くなる。
フィリピン人はその英語力を生かし、さまざまな国で出稼ぎ労働者として従事し、そこで得た収入を本国へ送金して脆弱な国家財政を支えているし、近年のIT業界ではワールドワイドにインド人の活躍が目覚ましい。また、英米の医学部では多くのインド人留学生が学んでいると聞く。
日経11月9日(水)夕刊16面の記事「自由席」では、フィリピンの出稼ぎ労働者を描いた映画について紹介していた。
これまで数々の国際映画祭で受賞実績のあるフィリピンを代表する映画監督ブリランテ・メンドーサ氏が手掛けたオムニバス作品の内の一編で、タイトルは「SHINIUMA Dead Horse」。「北海道の牧場で馬の世話をしてきたフィリピン人労働者が不法滞在で強制送還となり、故郷の村に帰る物語」で、「外国への出稼ぎがフィリピン経済の重要な財源になっている現実と皮肉を描いた」と言う。
「俳優に脚本を渡さず、人物の置かれた状況を説明、俳優がそこから感じ取った肉体表現を撮る。映像で語る力を信じ、『編集後、音を消してそれでも内容が伝わるか検証する』」と言うくだりに、彼は現代のオーギュスト・ロダンだなと思った。
19世紀フランスを代表する彫刻家ロダンは、人間の感情や思考と言った内面を、人体の荒々しく躍動する筋肉で表現した人である。
さらに、インターネットで使用されている言語のシェアは英語が圧倒的に高く、英語力の有無が情報格差を生み出すと言っても過言ではない。
故に、自分自身の視野を広げたい人間は否応なしに、個人的な好き嫌いに関係なく、英語を学ぶことは必須となっている(逆に海外に一切関心のない人、好奇心が旺盛でない人には、英語を学ぶ必然性はないのかもしれない)。
元気だった頃の私の父は海外を渡り歩く船員だったので、自宅にたまに父の船員仲間の外国人も訪ねて来るなど、英語は幼い頃から比較的身近な存在だった。米国には、米国人と結婚した父方の叔母一家も住んでいた。そのせいか、中学に入学して英語を学び始めた時も特に苦手意識を感じることなく、高校生の時には、いつの間にかある程度しゃべれるようになっていた。
ただし、あくまでもコミュニケーションの手段として使用する言語だと割り切っているので、英文学を原文で楽しむと言った向きではない。私にとっての英語は、英字新聞やテレビのBBCやCNNで世界の最新ニュースを入手したり、洋画や洋楽をオリジナル音声で楽しんだり、海外旅行でスムーズに現地の人とコミュニケーションを取る為のツールだ。
だから英語を言葉として深く味わうと言うより、自分にはまず伝えたい、或は語り合いたいトピックがあり、そのことについて日本人以外の世界の人々に伝えたり、共に語り合う為に英語を使う、と言う感覚である。
短大時代の恩師も仰っていたが、要は日本語でどれだけの知識を蓄えているかが重要で、その前提知識があるからこそ、海外ニュースを見聞した時に英語を完璧に理解せずとも、その概要を把握できると言うことである。日本語で知っていることを英語ではこう表現するのかと理解し、記憶して、それを実際の会話で使う。その繰り返しで語彙も自然に増えて行く。
逆に英語が多少しゃべれたとしても、何の知識もなければ会話は続かず、相互理解までには至らないだろう。英語力云々以前に母語での教養が大切だと思う。
仮にたまに間違った理解があったとしても、誰かに指摘されたり、自分で気づけば、後で幾らでも修正は可能だ。間違いを恐れないこと。完璧でなければと思い過ぎないこと。それが英語によるコミュニケーションを気軽に行うコツだと思う。
先日は、交換留学生として現在一橋大学に学ぶ英国人女性と話す機会があった。英国人と言っても生まれこそロンドンだが、そのルーツはアフリカのソマリアである。彼女の両親はソマリア人で、当地の政情不安から逃れて英国に移民した人々らしい。しかし、彼女が6歳の時に母親が病死し、その後彼女は英国人女性とエジプト人男性の夫婦に養女として引き取られたと言う。
もちろん、彼女と会話をしながら頭の中では、ソマリアがアフリカのどの位置にあるのか、ソマリアの現在の状況はどうなのか、そしてソマリアと日本の関わり等、いろいろなことを思い巡らせていた。ソマリアについての予備知識が皆無では、彼女が語る話の本質も理解できなかっただろう。
さらに先日のEU離脱について聞いてみると、「あれは誤った判断だ」と悲し気な表情を見せた。若い人の多くは、より広い活躍の場を奪われたようなショックを感じ、英国への先行きの不安も抱えているそうだ。
英語と言うツールで、遠いアフリカにルーツを持つ英国人と交流ができ、そこから世界の複雑な情勢の一端を知ることも出来る。これこそが、英語を学ぶことの醍醐味だと思う。
英語を学んだおかげで、幼い頃夢見た海外暮らしが実現した時も一切不安はなかったし(←まあ、これは「なんとかなるさ」のお気楽精神のなせる業とも言えるが…)、海外へも積極的に旅に出て、気軽に旅先でさまざまな国々の人々とコミュニケーションを取ることが出来た(←おかげで危険とニアミスしたことも多々あれど…)。
結局、何事も、出来ないよりは出来た方が人生はより楽しくなる、と言うことなのかもしれない。ともあれ、食わず嫌いはもったいない。
私のこうした価値観は、確実に息子にも引き継がれていると思う。