はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

「働く」と言うこと

2011年10月16日 | はなこ的考察―良いこと探し
 小学生か中学生の頃、担任の教師が「"働く"とは、ハタ(傍)をラク(楽)にすることだ」と言われた。子ども心に、印象に残った言葉だ。

 "自分の周りの人を楽にさせる為に仕事をする"とは、実に日本人らしい発想、労働観だと思う。世界を競争相手にしのぎを削る昨今も、体格差や体力差で大陸系の人々に劣る個々のスタミナや馬力を、日本人はチームワークの総合力で補うしかない。

 そして、「ハタをラクにする」と言う考え方に則って見るならば、"頑張り過ぎる"のは、周りをけっしてラク(楽)にはしていないのではないか?寧ろ、「どうして私はこんなに頑張っているのに、あなたはもっと頑張らないのか?」と、無言の圧力をかけているようなものではないか?

 徹頭徹尾頑張るのではなく、時にはペースダウンする。それぐらいのゆとり(隙?)は、あっていいはずだ。人間はロボットじゃないのだから。

 …と、ここまで書いて、「出る杭は打たれる」と言う言葉も連想されるのだが、これは個人の"外に向かって吐き出すエネルギー"や"能力"が、周囲とあまりにもかけ離れた状態であるがために起こる不幸だと思う。こういう場合は、自分により近い次元の集団を求めて、現在帰属する集団から離れるべきだと思う。


 基本的に頑張ることは悪くない。周りに程よい刺激を与え、互いに切磋琢磨する環境を整える要素とも言えるだろう。

 たぶん黙って頑張っている分には、周りも好感を持ってその頑張りを認めているはずだ。しかし、「私はこんなに頑張っています」アピールが目につくようになると、周囲の見方は違ってくる。そういう人、身近にいませんか?

 例えば会う度に「もう忙しくて忙しくて…」とか、「今日は朝からアレやコレやで…」と早口でまくしたてられると、正直言って、聞いている方は気持ちが萎える。

 もちろん頑張ることは大切だ。しかし、そこに自己顕示欲が見え隠れすると、周りを興ざめさせる。気構え次第では、自身の努力や頑張りが周りに認められないどころか、疎まれるだけのような気がする。

 本当に素晴らしい「働き」ならば、自らアピールせずとも、周りが認めてくれるものなんじゃないかな?つまり、『あなたのおかげで「ハタ」が「ラク」になった』と。

 自分でも気づかないうちに周りから認められる、感謝される。そんな働き方ができたら理想だ。逆に、周りからの評価も気にならないくらい没頭できる仕事に出会えたら、仕事人としては幸せなんだろうな。
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