昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

青い鳥 3 ・ 卒業文集 「 でも 楽しかったわ 〇〇さん 」

2021年06月05日 20時40分55秒 | 3 青い鳥 1967年~

青 い 鳥 
の、エピローグである
・・・青い鳥 2 ・ 〇〇〇 「 おまえの所為やぞ 」 
・・・大阪市立淀川中学校 第9期生 (1970年卒)

昭和45年 ( 1970年 ) 3月13日 (金)
卒業式を終えた吾々。
やっぱり、
正門から出ると直ちに淀川堤に上った。
そしてひととき、
クラスメイトとの名残りを惜しんだのである。

卒業文集

我 舟に乘りて 將に行かんと欲す
忽ち聞く 前途の聲
前途の 深さ千尺
及ばず 我 が 前途に望む心に

卒業文集に載せたる吾文である。
古典の時間に習った李白の 「 汪倫に贈る 」 を、捩ったもの。
在り来りで以て、如何にもセンスに乏しい。 ( ・・・そう想う )
では・・あっても、
私としては、これで 精一杯、格好をつけたのである。

汪倫に贈る  李白               オウリンニオクル  リハク
李白舟に乘りて 將に行かんと欲す     リハクフネニノリテ マサニユカントホッス

忽ち聞く 岸上踏歌の聲            タチマチキク ガンジョウトウカノコエ
桃花潭水深さ千尺                トウカタンスイ フカサセンジャク
及ばず汪倫が我を送るの情に         オヨバズオウリンガ ワレヲオクルノジョウニ

私は今小舟に乗って、いよいよ桃花潭を出発しようとしている。
突如岸の上で足を踏みならしながら歌う声が聞こえてきた。
この桃花潭の水は、深さ千尺もあるという。
それでもその深さは、汪倫が私を送ってくれる情けの深さには及ばない。

汪倫の友情の深さを述べている。
汪倫や村人たちの素朴な感情と、別れを惜しんでくれる深い心とに感謝した詩である。


私の夢は大きかったよ
でも、それは二年の終わりに消えたのよ
こたえるなあ 勉強しなかったの
でも 楽しかったわ ○○さん

卒業文集
私が記憶する
青い鳥 の 『 詞 』 
である。
( こたえるなあ・・・は、潤覚 )

彼女は何を語るらん。

彼女の 「 おおきな夢 」 とは、
如何なるものであったのか。

それは、如何して
「 二年の終わりに消えた 」
・・・のか。 ・・・分るべくもない。

「 ○○さん 」 ・・・とは、
いったい誰なのであらう。

彼女の謂う  「 二年の終り 」 ・・・とは、
何も二年生のクラスメイトに限るものではあるまい。
 
私は、
自分こそが 「 ○○、である 」
・・・そう、想いたかった。


青い鳥 ・ガール
「 でも 楽しかったわ ○○さん 」
・・・と、
おもわせぶりで、
小粋なメッセージを
残した儘、
昭和48年 ( 1973年 )
19才で、独り 
青雲の涯に逝った。

♪♪
青い鳥は飛んで行った  あの広い空へ
狭いカゴがいやだったのか
小さな幸福よ  ぼくの手にかえっおくれ
青い鳥  青い鳥  何故行った
青い鳥はもう二度と帰って来なかった
ぼくには はかない初恋だった


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