昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

サンタは煙突から入って来る

2022年07月16日 06時44分25秒 | 1 想い出る故郷 ~1962年

昭和36年 ( 1961年 ) 12月、
クリスマスツリーを飾ろうと
栄 ・叔父にせがんで、「 天神鼻 」 へ
私は、絵に描いたようなクリスマスツリーが欲しかった。
松林の天神鼻、
・・・有ろう筈も無からうに



テリトリー・
行動範囲に物語が有る

叔父と共に探したモミの木


天神鼻に登り
二人して
当時は無かった天神鼻トンネル付近を暫らく探していると
「 あったどー、これでええか 」
・・・と、手斧を片手に持つ叔父から声が上がった。
それは、私のイメージしたものに近い、小ぶりの樅の木であった。    (モミノキ)
「 えかったのぉ 」 ・・・と、叔父。
切取って持ち帰って呉れたのである。
「 サンタクロースが来ますように・・」
7歳の私は
躍る様な気持ちで、クリスマスツリーを飾ったのである。

写真は
大阪 大川 源八橋のメタセコイヤ 
2007.12.24 撮影

こんな形のクリスマスツリーが欲しかった

サンタクロースは煙突から入って来る
クリスマスの当日
三ノ瀬の町に住む級友達は、サンタクロースからプレゼントが有ったと言う。
大きな靴下を枕もとに置いて寝った翌朝、
中にお菓子が入っている紅いサンタのブーツが入っていた・・と。
「 ええのおー 」
我家には、サンタクロースは来なかったのだ。
「 わしも、靴下置いて寝たのに 」
「 どうしてなんじゃろう ? 」
「 せっかく、クリスマスツリーをこしらえたのに・・・」
「 サンタクロースは、町には来ても、丸谷の者の所には来んのじゃろうか 」  ( マルヤノイナカモンノトコロニハコン )
「 どうして、うちにはサンタが来んのじゃ ? 」
・・・と、母に問うと、
「 サンタクロースは煙突から入って来るんで 」
・・・
と、母が言う。
うちにはサンタが入って来る煙突がないから
・・・と、そう云うのである。
「 フーン 」
私は、我家の 『 クド 』 を観て、納得したのである。

 ←クドのイメージ

和36年 ( 1961年 )
水道も無く、水瓶に溜めた井戸水を柄杓で掬って飲んだ
冬場の暖は火鉢、やぐらコタツ
火種は、木炭や豆炭を使っていた。
ご飯や煮物はクドで焚いた、魚はシチリンで焼いた。
それが日常の、そんな時代であった。
・・・リンク→寄りそいあって生きた時代
金持ちのことを 『 グベンシャ 』 と、謂った。
丸谷に比べて三ノ瀬は町、都会であった。
井戸からポンプアップして蛇口に送水したり、電気こたつで暖を取る。
ご飯は電気釜で焚き、プロパンガスで調理する。
・・・そんな、 『 グベンシャ 』 が、いたのである。

生活レベルが、チョイト違ったのである。

我家にプロパンガス、電気釜が入ったのは、物語の翌年の昭和37年
此れでも、丸谷の周りの家より早かった。


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