昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

紅白歌合戦を風呂屋で観る

2022年07月15日 05時05分05秒 | 2 男前少年 1963年~

「 お金も 着物も いりますわ 
あなた一人が 邪魔なのよ 
・・・やてー 」
昭和40年 ( 1965年 ) 元旦
偶々、一級上の 「 島崎タエちゃん 」 と、顔を合わせた。
私は、開口一番 こう言ったのである。

新年の挨拶もろくにせず
専らの話題は、
大晦日の紅白歌合戦
殊に
和田弘とマヒナスターズが歌った 「 お座敷小唄 」
吾々10歳の少年も、最初から最後まで歌った曲である。
その、最後のフレーズを変えて歌ったのだ。
それが、吾々子供にも ウケタ のである。

 イメージ

お座敷小唄 が終わると
家から2分
私は独り、風呂屋へ走った。
一年の垢 ・・未だ、落としていなかったのである。
「 子供は早様 風呂 行っとかんからじゃ 」
・・・と、親父に叱られた。
けれども、
大晦日は特に見たい番組が多かった。

「 今なら、(風呂屋) 空いている 」      (スイテイル)
・・
案の定、風呂屋はガラガラ
否、人っ子一人 居なかったのである。
貸切の風呂屋で、一年の垢を落とした私。
風呂から上がって、
脱衣場の壁に掛かったテレビを視ると、
ザ・ピーナッツ が 歌う 「 ウナ・セラ・ディ・東京 」
・・・
が、流れていた。


街は いつでも
後ろ姿の 幸せばかり
ウナ セラ ディ東京
ム ・・・

私は、
貸切りになった
風呂屋で一人
しみじみ、と 聞いたのである。


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