昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

余計な一言

2021年03月23日 05時18分31秒 | 3 青い鳥 1967年~

昭和44年(1969年)、中学3年生の新学期
愈々来年は高校受験
いざ、頑張らねば
決意新たに新学期を迎えた。
然し、とは雖も
なんたって無垢な14歳。
世の動きには疎いは仕方なきや
大学紛争の風が吹荒れ、世の中が騒然としているに
何処吹く風か・・と、ばかり、
昨日と同じ今日の日を送っていたのである。
此を のんびり と謂うや。


三島由紀夫と東大全共闘
昭和44年 ( 1969年 ) 5月13日(金)

無垢な私、斯の事全く知らない


昭和44年 ( 1969年 )、3年5組
新学期恒例、数名の教師が入れ替わった。
その一人に図体のでかい巨顔の男性教師がいた。
吾々は さっそく 「 塗り壁 」 と、綽名した。

 (ゲゲゲの鬼太郎から)

午後の授業は自習時間、
ピンチヒッターとして現れたは 「 塗り壁 」 先生。
この時、その 「 塗り壁 」 先生が一席ぶった。
府研テストも市研テストもワースト10・・・
我が中学校の学力の低さに驚愕し、さぞかし嘆いた。 ・・・と。
大阪市の北の外れ、淀川の傍、のんびりした自然環境で以て、
而も 幼稚園から中学校までずっと同じ顔ぶれの幼馴染ばかり、
刺激も緊張もない。
そんなのんびりした環境にとっぷり漬かっている。
これでは、切磋琢磨、競争しようと謂う気概なぞ生まれよう筈もなかろうに ・・・と。
冗談をまじえて、面白可笑しく語る。
勿論、吾々の将来を憂いての発言である。
面白可笑しく語るは、彼一流の表現なのであらう
・・・と、吾々はそう想った。
だから、
最初のうちは愛想笑いで以て聞いていたのである。

そこに ジャストタイミング
「 コケコッコーーーー 」
・・・と、すっとんきょうな鶏の鳴き声。
此に 「 塗り壁 」 先生が反応した。
「 コケコッコーーーー 」
「 昼間や謂うのに・・・鶏までのんびりしとる 」 ・・・と。

笑いを取ろうとしての一言。
然し、斯の一言の底地に、
人として冷たいものを、私は感じ取って仕舞ったのである。
真に吾々の将来を憂いているならば、
「 そんな言い方は ないと想う 」
・・・と、憾みを懐かせるような、
そんなモノの言い方は出来まい。
「 そこまで馬鹿にするな、さげすむな 」 ・・・と、そう想った。
クラスの皆も同じ想いであったらう。
然し、誰一人反駁する者はいなかった。
私を含めて・・・

余計な一言であった。
其により
、彼の想いは 吾々の心に響かなかった。
そして、信頼関係は築けなかった。 ・・・の だ か ら


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