高校の課外授業として 「 万博会場 」 へ
造形の授業で必要だと説得して 購入した
「 コダックインスタマチック カメラ 」 ・・で撮影
バラ色の時 2 「 線路の路肩に見付けた つくし 」 の 続き
一寸した油断から
昭和45年 ( 1970年 ) 3月31日の事である。
友ガキ・坂尾、彼の最後の日が終った。
阪急上新庄駅の階段を上り、プラットホームへ。
階段を上った処で ( 進行方向の 前車輌 ) 電車を待っていた。
労働を終えた安堵感からなのか
一寸した油断からなのか
「 魔が差した 」 と、謂うのであろうか
私は
「 落ちろ・・・」
と、言って、友がき・坂尾の背を押した。
勿論の事、冗談である。
が ・・
友ガキ・坂尾、プラットホームから線路に落ちてしまったのである。
普段、プラットホームと線路の高さは見ている。
だから、直ぐに上がって来れるものと想っていた。
彼もそう想ったにちがいない。
・・・・ホームに入って来る電車に気付くまでは。
なんと
電車が、もうそこまで、来ていたのだ。
先頭車輌が、まさにプラットホームに入ろうとしているではないか。
私は慌てた。
友ガキ・坂尾は、もっと、慌てた。
プラットホームに手を遣り、上がろうとしたが、線路に踏みこんだ足を滑らせてしまった。
尻餅を着いてしまったのである。
「 ヤッター!」・・の声。
「 向うのホームから、上がれ!」 私は必至に叫んだ。
しかし、彼の耳には届かない。
元のこちらのホームに帰る事しか頭にないのだ。
それは、本能なのだ。
「 あ・・・ 」
と、ホームに居た他の乗客が声を上げる。
友ガキ・坂尾、持っていたカバンを、放り上げる。
そして、やっとのことで、ホームへ よじ登ったのである。
「 よかった・・」
皆の安堵の声。
電車はホームの直前で止まって居た。
吾々の場所から、50~60mくらい離れていたかと思う。
・
駅員に連れられて、駅事務所へ。
電車を停めたのである。
全て私が悪い。
叱られる
それだけでは済まされまい・・そう思った。
然し
肩すかし、
なんと、お咎めは なかったのだ。
然も、何故か
叱られたのは、坂尾の方だった。
それは、彼が私より、年長だったから。
吾々は、大学ノートに住所と名前を書かされ、直ぐに放免されたのである。
そして
何も無かったかのように ( 少なくとも、私だけは )
吾々は、普段どおり次の電車に乗って帰ったのである。
後で想うこと
あの時、ホームに入ってきたのが、
この駅で停車する普通電車だったので事無く済んで、良かったものの
もし、それが
駅を通過するだけの車輌、急行か特急だったら、
生涯、取り返しのつかない事に成るところであった。
これは、「 運が良かった 」 だけのことでは済まされない。
危険の方が大きかったのである。
私の代わりに叱られた友ガキ・坂尾
「 滑って転んだのは、腰が抜けたから ・・」
彼にしたら、まさに
踏んだり蹴ったりの想いであったろうに