昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

あくびをして おんなせんせい に 叱られた

2021年06月11日 13時53分28秒 | 2 男前少年 1963年~

「 どうして遅刻したのですか 」
・・・と、先生が問い詰める。
「 朝、起きるのが遅かったんです 」
・・・と、児童生徒が答えると
先生、
「 そんなもの、理由にはなりません 」
と、言って叱かった。
私はその遣り取りを聞いて
「 遅刻したのは、起きるのが遅かったから。 ・・・どうしてそれが 理由にならんのじゃろ 」
「 どんな理由だったら ええんじゃろ 」
・・・そう想った。

昭和42年 ( 1967年 ) 3月の卒業アルバム ・ 6年2組の写真  ( いつ見ても、つい昨日のように想う)
私は 病気 休校中 で、この中には居ない。 ( 撮影は昭和41年の12月中頃のようだ )
最前列右側のチェック柄のジャンパー姿が 「 友ガキ・舟木 」  ・・・リンク→17才のこの胸に
私の席には長谷川が坐っている。 ( 前から二列目の、二番目・右  )
壁上部に貼られてあるのは、「 日本の歴史年表 」 ・・・私はこれを興味を持って眺めていた。
壁に貼られている 絵画 に私のものはない。
唯、治癒後登校した時、休校前に拵えた粘土細工の皿が残っていた。
それはもう 不出来の不作品で 休校中ずっと其処に晒されてあったと思うと 恥ずかしかった。
一番右奥に坐る tei の後ろ・壁隅にそれは置かれてあった。



千葉信一
小学校でのクラスメイトである。
( 3年、4年、5年、6年 同じクラス )

如何して 誕生会なのか
昭和41年 ( 1966年 ) の春先、
彼の誕生日会に招かれた。
「 誕生日会、随分 ハイカラなことをする 」
私にとっては初めての経験、況してや バースデーケーキも食べられる。
夢の様な話である。
私は二つ返事で応えた。
共に招かれた級友・tei と 二人の女子と共に彼を訪問したのである。
( 私も同じ様な場合、招待したい、どうしても来てもらいたい 女子二人である )
家に上ると、家庭環境が一目で判った。
「 俺と同じ境遇なんや 」 ・・そう、想った。 ( ディティールは、吾が心懐に納めておく )
『 二十四の瞳 ・松江の母 』 の様な母親が吾々をもてなしてくれる。
「 我が子に、ひもじい思いをさせまいと、親は必死に働いた。
母親は自分は喰わずとも、我が子に喰わそうとした 」
そんな母親だと感じた。
姉がいた。

彼女は
仕切るのでもなく、しゃしゃり出るのでもなく、甲斐甲斐しく世話をしている。
私は、そんな姉の姿を見て、
「 家族から 大切にされている んや 」 ・・・と、そう想った。
そして、おぼろげながら も、この誕生日会の意味というものを感じ取ったのである。

誕生日会が終って皆で 「 つくし 」 を採りに行こうと淀川堤に登ったが、
斜面は雑草ばかり、とっくに 「 つくし 」 の季節は過ぎていた。
そんなところに 「 つくし 」 は無かったのである。

如何して 叱るか
昭和41年 ( 1966年 ) 小学5年の3学期の授業中のこと、
彼はあくびをしたくなった。
でも、「 あくびをしたら 叱られる 」 と、辛抱我慢したのである。
しかし、一旦出かかった あくび を とめられるものか。
とめられないし、大口 を あければ みつかってしまう。
嗚呼 ・・・。
ちょうどそんなところを  『 おんな せんせい 』 に みつかってしまったのである。
そして
「 勉強に集中していないから出るのです 」
・・・と、叱られた。
それでも、おんなせんせい の勢い止まず、
「 鼻であくびをして、誤魔化した 」
と、追討ちをかける。
男前の私、
「 あくび一つで、そんなに咎めるな 」
・・・そう、心の中で反撥した。
そして、咎められて シュンとしている彼を、
「 気の毒なヤツ 」 ・・・と そう想ったのである。


昭和41年 (1966年 ) 7月 ・臨海学校 (学舎) 天の橋立、到着時の集合写真である。
クラスで一人 バスに酔って 実になさけなく弱虫の私、いつもの元気溌溂ならば当然中央に位したであらうに 。
ブランコに乗っても酔った私、つくづく 乗り物には弱かったのである。 これで如何して、男前と謂えよう 。
・・・リンク→遠足 帰りのバス  と  林間学校

おんな せんせい 』 の中で然り 、
話せば分る・・問答無用 』 の中で然り、
そして斯の物語
私は、先生に対して懸命に反撥している。
このこと、
「 親離れ前の子が、親に反撥する 」 に 似ている。
然し 反撥したその根は、やはり先生が女だったからであらう。 
・・・そう想っている。
「 女は優しいもの 」 ・・・その想いに対する素直な気持ちの現われであろう。 ・・・と。
そして少年の私は、
それでも 「 俺は男 」 と、頑張ったのである。

其も、此も、 一にして、
なんと 懐かしい、そして 愛おしい

「 おんなせんせい 」 との 大切なる 想い出である。


コメント    この記事についてブログを書く
« バラ色の時 1 「 今日の酒は... | トップ | 「結婚式に出席しない」 は、... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。