昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

昭和48年 (1973年) 3月5日

2021年08月25日 12時12分59秒 | 5 青春のひとこま 1973年~

自分も世の中に出る
なにもかもが、新しい

昭和48年2月27日、高校の卒業式が終ると直ちにその足で
級友・中根に連れられ、阪神百貨店の「VAN」へ
黒いブレザージャケットを買う

独り、天神橋筋商店街で、グレーのスラックス
白のワイシャツ 腕時計を買う

親友・長野に付き添ってもらい、阪神百貨店へ
エールックのネクタイ  デサントのソックス
「VAN」で、黒いシューズを買う

さあ、準備は整った

今日から社会人
昭和48年(1973年)3月5日(月) 曇天

てこずったネクタイを締め、初出勤
もはや、学生服姿の自分ではない
バス停までの道中、それが何やら照れくさかった
緊張感一杯 18歳9ヶ月
「今日から社会人」
人生航路、出発の日である       (タビダチノヒ)


入社した頃
事務所は西区立売堀・第三富士ビルに所在した
地下鉄四ツ橋線本町駅から四ツ橋筋を南に歩いて5分

1階エレベーターに乗り込んだ私

「いざ・行かん」
1・2・・3・4・5・6・7・8・9
胸がときめく
エレベーターの扉が開く
「ついに・・着た」
事務所の扉を開く

「お早うございます」
社会人になっての 第一声である

「お早うございます」
「今、会議をしていますので、中で待っていて下さい」
・・と、受付の女性、席を立った
そして、私を仕事室の私の席まで案内して呉れる
本棚で仕切られた通路を歩く
「あなたのロッカーです、此処を使用して下さい」
ロッカーを開けるとハンガーが一つ入っていて、それに着ていたブレザーを掛けた

ロッカーの前で靴を脱いだ
テーブル前でスリーピース姿の男性と、上衣を脱いでチョッキ姿の男性二人と出遭った
ここでも私は
「お早うございます」」
そう言って彼等の前を素通りした
もっと気の利いた挨拶、できないものか

然し、此が、精一杯の挨拶であった

阪本二郎さんと東成光さん・・彼等との出逢いであった
彼等も亦、所長と番頭・横山氏の会議を終えるのを待っていたのである
終れば、次に所員全員での月曜日の定例会議が行われる

テーブル前を左へ折れると、パーティションで仕切られたブースが五つ並ぶ
此処で各々が仕事するのだ

そして、一番奥のブースに私の席があるのだと

「会議が終わるまで、此処で待っていて下さい」

暫らくの間、窓外の景色を眺めていると
「始りますよ」・・と、坂本昌子さんの声

愈々、会議が始まる
事務所の皆と、初の対面である
歩くほどに、緊張が増してゆく
ロッカーの前
一つあった、スリッパを何気なく履いて会議室へ這入った・・・

会議は所長室で行われる
室には大きな会議テーブルがあり
ホワイイトボードがある

ホワイトボードには工事名が書かれてある
1 2 3 4 5 6 7 8 9・・・・・・

その数の多いこと
昨年秋の面接で承知している
然し
出張中の所長に代わって番頭の横山さんのみの面接で採用された私
本日まで、赤崎先生とは一面識も無かったのである

先生と初めての初対面に緊張していた
奥から現れた赤崎先生
人当りの温かい、穏やかでおおらか、優しそうな為人に、初対面の緊張が緩む
「大人物」・・と、そう直感した
皆が揃った処で、私の紹介が行われた
赤崎建築事務所
赤崎先生 番頭横山さん 阪本二郎さん 宮田さん 東さん 
そして、北田さん
・・・入社前に
事務所に電話を入れると
応対してくれた若い女性の声がきれいで、しかも話方が優しくて
「どんなに、いい女の人なのであらう」・・と、淡い期待を抱いた
事務所に着くと、女性が応対してくれた
「この人が、電話の女の人か」
イメージどおりの人であった・・・その女性である
お前、屋根伏かいとるやないか
男の人が そんな事してはいけません!!
自分のスリッパが無いと言いながら這入ってきた浪花さん
「しまった」
私が穿いているのは彼の物であったのか
会議には参加せずに戸口から一瞬顔を出して去って行った黒のブレザー姿の人がいた
その人は、以後1か月間、事務所には顔をださなかった小久保さん
私が使ったロッカーとハンガーは、彼のもの
・・・と、彼が出社してからそう聞かされた
「坂本昌子さんから、此処を使って下さい」・・と、そう聞いていたのに

もう一人、本日 体の具合が悪いと欠席していた井上さん
さらに、4月から新期入社する美濃さん・・・と、総勢12名の構成である

午前9時、定例が始まった
受付の女性・坂本昌子さん
小柄でホッ゚チャッリとした可愛い容姿なれど才女である
自分の椅子を運んで、戸口に独り腰掛けている
膝上10cmのミニスカートから出た膝が大人の女性と意識させた

ホワイトボードに書かれた工事の各々担当者が一週間の進捗を述べる

さすが 設計事務所
格好いい
私が憬れたものである
皆が輝いて見える
「ヘェー」
社会とはこう謂うものなのか
自分もああして皆の様に発表する日が来るのか・・・
 横山さん
仕事場はパーティションで区切られ、二人一組で一つの一ブースに席を置いてしごとをする
私は、番頭・横山さんとのペア
番頭・横山さんが、私の教育係であった
記念すべき第一日
記念すべき初仕事
「数字を書いて下さい」・・・とな
なんとまあ
こともあらうに
記念すべき、最初の仕事は数字の書き取り・・だと
1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 ・・・・・ 
修業の初歩は 「雑巾がけ」 から
何の疑問も、不満もなく、・・・何せ私は素直であるから
これで、給料を貰っては申し訳ない
赤崎先生にそう言うと
「いやいや、これは君への投資です」
「一生懸命勉強して、早く一人前に成って下さい」
気にせずとも良いと

昼食
「オッ 豪華やな」・・と、浪花さん
豪華絢爛なる母の手作りの弁当は、我子への精一杯の想い
坂本昌子さん、北田さん、浪花さん・・皆は、仕出し弁当を食べていた
そんな中私は一人、皆に背を向けて食べた
なんと、不器用な青年なるか
せっかくの母の弁当も、味わう余裕なぞ・・あるものか

「コーヒー飲みに行こう」
食後、阪本二郎さんがコーヒーに誘って呉れた
「食後、喫茶店に行く」・・・勿論初めてのこと
事務所傍の喫茶店 VIBU
お金を持っていない・・・
コーヒーを飲んで席を立つ段になって初めて気づいた
お金を払うこと・・全く意識の外であった
此を、以ての外・・と、謂う

午後になっても更に、数字の書き取りが進んだ
宮田さんが、数字の書き取りをしている私を覗いては、親切に声をかけて呉れる
新人の私に興味津々といったところか
誰も皆 新人の頃があった・・と
己が新人の頃を懐かしんでいる風である
とにかく 皆は親切であった

そして、5時
終了の時刻だ
然し、教育係の横山さん・・出かけていて不在
どう・・切りをつけやう
帰れない
どうしやう
・・
と、その時・
「もう、帰っていいよ」・・と、阪本二郎さん
やれやれ・・
私の顔を見て、
宮田さんが微笑んでいる
「ああ・・・疲れた」

此れが
昭和48年(1973年)3月5日(月)
私の社会人初日
長~い
一日の、ドキュメントである

昭和48年11月17日・合歓の郷
後列左から・・井上さん・・阪本さん・・美濃さん・・東さん・・宮田さん
前列左から・・浪花さん・・小久保さん・・前田さん・・北田さん・・横山さん・・赤崎所長・・私(19才)・・押条さん
坂本昌子さんは結婚退職・・前田さんと入れ替わった 美濃さんは4月阪大新卒入社 押条さんは6月移籍入社

赤崎建築事務所時代 1973年 ( 昭和48年 ) ~ 1979年 ( 昭和54年 )
リンク→ VAN は、憧れであった
リンク→ 羊羹(ヨウカン)と、クリープ の話 
リンク→ 10時になったら、帰ります
リンク→ 男の人が そんな事してはいけません!! 
リンク→ 酔うた~
リンク→ 「 どうして 俺が叱られる 」 ・・・因果な奴
リンク→ 隣りの あの女性(コ) 
リンク→ ミニサイクル と交通ゼネスト  
リンク→ 意見具申、そこに居た第三者
リンク→ 俺は男だ 
リンク→ 青春時代 『 青天霹靂のリストラ 』
リンク→
二級建築士に成る 
リンク→ クッターの公式


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