昭和48年 ( 1973年 )
社会人に成って未だ日の浅い頃
昼食は、
事務所の食堂代わりのテーブルで、皆と一緒に取っていた。
私は、母親が作って呉れた、超豪華な弁当を持参していた。
「 おッ、豪華やな 」 ・・・と、浪花さん。
「 我が子の為に 」 ・・・母親と謂うものは、つくづく、有り難いものである。
お茶のサービスは、事務所の3人の女性がして呉れていた。
食後の片付けから食器洗いまで、全て女性等がして呉れるのである。
それが日常茶飯事。 それが仕事の一部かの如く ( ・・何も特別の如くでもない )
私は、
そういう事は 「 女のする事 」
・・・と、
素直にそう思っていた。
それが当たり前と 想っていたのである。
世間の女性達と同じく、
事務所の女性等も そう認識しているもの と 想っていたのである。
私の知るところの、女性達は皆 そうしていたから。
とは雖も、私は、新人の最年少 ( 年齢 ) の立場にあった。
だから、年長の女性達に対して 気兼ね が有った。
「 年長は敬うべし 」
・・・と、謂う訓え が、気にかかっていたのである。
ある日の事
その日は女性が一人欠けていた。
人手が足りない・・新人である私は、気を利かした。
もしも 事務所に女性が誰も居なかったなら、
それらは、新人で若輩の私が行うべき仕事なのである。
「 手伝わなければ 」 ・・・と。
集められたコップを湯沸室まで運ぼうと、ぼん を持ち上げたその時、
一人の女性 ( 2歳年長 )
「 男の人がそんな事してはいけません!」
「 私が遣りますので、そこへ置いといて下さい 」
・・・と、
私は、叱られてしまったのである。
今なら
時代劇の一場面ですら 存在しないであらう台詞である。
当時と謂えば
「 女はお茶給みでは無い 」
と、インテリ女性達が、殊更に叫んでいて
『 ウーマンリブ 』 は、世の流行ではあった 。
そんな中
インテリの女性から、思いもかけなかった言葉
大和撫子 を 理想 とした19才の私
感動した事は謂うまでもない。