後楽園の広々とした景観を目にした時に
規模が大きい全体を捉えようとするすると
雰囲気がぼやけてしまいそうで、
魅力的な部分部分を捉えると
それでは園全体から伝わる雰囲気を
写真に取り込めないような気が………。
一番愚かなことは、あれこれと考えすぎて
身動きが取れなくなることだと言い聞かせて
とにかく進め、とにかく始めようで
梅林まで進んできたんですよね。
梅の花と香りを楽しまさせてもらった
梅林の先にあるのが茶祖堂。
茶祖堂
元は利休堂と言い、幕末の岡山藩家老の下屋敷から
移築された茶室で『千利休』を祀っていましたが、
岡山出身で日本に茶を伝えた『栄西禅師』を合祀し、
茶祖堂と名称を改めました。
この建物は、茶室のように見えて
茶室ではないと言うことでしょうか。
花交の池
築庭当時は、山桜などの入り交じった景色で、
池辺には花交という名の建物があり、
池や滝にはその名が残りました。
花交の池には、滝から水が流れ込みます。
花交の滝は、あえて大きな水音を立てるように造られ
かつてあった花交の建物内から
周辺の草花、滝の音を楽しんだようです。
花交の滝
小さな滝ですが音は荒々しく響きます。
琉店・花菖蒲畑
花菖蒲畑の向こうには、琉店が見えます。
流店前の曲水
京都の無鄰菴にもありましたが、
川底の浅い水が流れる音と
その様子が好きなことに気が付かされました。
八つ橋
流店
戦災を免れた建物の一つ。
藩主のお庭廻りや賓客の接待などで
休憩所として使われました。
建物の中央に水路を通し、
色彩に富んだ奇石6個を配した珍しい建物です。
流店 建物内の水路
唯心山 飛石
ここで岡山城から後楽園に戻ってきた
友人とばったり合流しました。
唯心山 あずまや
唯心山 園内景観
旭川から後楽園に引き込んだ水を
園内の各所に巡らせ、再び旭川へと還しています。
これ簡単なようで洪水対策、塩害対策等、
実はかなり高度な土木工事だったようです。
園全体に使われた野芝が緑に色付いた景観は、
さらに美しさを増すことだと思います。
水路
蘇鉄畑
水路と延養亭
廉地軒
戦災を免れた数少ない建物の一つ。
藩主・池田綱政が最も好んで利用していたようです。
さざなみ茶屋
廉地軒の隣にある『さざなみ茶屋』で休憩。
友人撮影
鶴鳴館
延養亭
藩主の居間で園内で最も重要な建物でしたが、
戦災で焼失しました。
現在の建物は、昭和35年に復元したものです。
花葉の池 栄唱橋
花葉の池 大立石
元の巨岩を割ってから元の形に組み上げた大立石。
巨岩を割って好みの形に組み直したのなら
分かるのですが元の形に組み上げた?
無駄とも思える作業の意味を知りたくなりました。
栄唱の間
能の見所や接待の場として使われました。
閉園時刻が近いことを知らせる園内放送が流れ、
花葉の池の奥にある地蔵堂、二色が岡、茂松庵、
地蔵堂、御船入跡等を観賞できなかったのが残念です。
南門から後楽園の外に出て、
後楽園と岡山城を繋ぐ月見橋へ向かいます。
月見橋 岡山城
後楽園が閉園時間なら岡山城も閉館の時間です。
私が岡山城を撮影したのは、
月見橋から見える岡山城だけで
その他の岡山城の写真は、
岡山城観賞を優先した友人が撮影したものです。
岡山城は、大規模改修に伴い
岡山城天守閣は令和3年6月1日から
令和4年秋頃まで休館となるようです。
岡山城
友人の撮影技術とセンス、なかなかのもので
「良い写真だなあ。」と思えるものが多くあるんですよね。
良い写真を撮る友人の正体は、
プロカメラマンの篠山紀信ではないことだけは
言わせてもらいます。
岡山城天守からの眺望
友人が天守閣に着いた時に連絡を取って
後楽園で天守に向かって手を振る
豆粒大の私の姿を撮影してもらったら
面白い写真が撮れたのではないかと。
岡山駅前商店街
友人に岡山駅まで送ってもらって
ここでお別れです。
友人は岡山でお仕事、私は神戸でお仕事。
JR岡山駅前 桃太郎像
岡山駅から兵庫駅まで在来線で
2時間20分位の電車の旅、
車窓の景色を楽しみたいのですが、
朝からの歩き疲れで
多分、寝入ってしまうと思います。
私を岡山に連れ出してくれた友人に感謝。
今回も名所巡りにお付き合い下さった方々に感謝。
そして、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。