1994年 中国湖北省である男性が
妻を殺したとして懲役15年の判決が下されたのですが、
翌年、その男性の妻がひょっこりと姿を現したので無罪に。
男性は、当局に慰謝料を求める訴えを起こしました。
これどういうこっちゃ。
妻の親族から「妻の親族から連絡が取れない。」。
あるいは、近所の人から
「ここ数週間、隣の奥さんの姿を見ていない。」
等の様な通報が警察にあり、
警察が男性の家に踏み込んでみると
男性の妻の姿はどこにも見当たらず、
夫である男性も妻の行方を答えられなかったことで
警察は、男性が妻を殺して遺体を
どこかに遺棄したに違いないとして逮捕。
検察は、自白も証拠も全く無いまま男性を起訴をし、
裁判で裁判官もまた懲役15年の判決を下した。
という感じなのでしょうか。
仮にそうだとしたら警察、検察、判事、揃いも揃って
あまりにも杜撰過ぎるよね。
さすがにこれが中国の普通だとは思いたくないのですが、
でもなあ。普通こんな冤罪が起きる?
男性は、慰謝料を求めて訴えを起こしたとありますが
中国の外交を見ても分かるように
「悪いのは相手で自分達は悪くない!」が
公の機関の基本姿勢のはずなので
男性は、当局から慰謝料を取れるどころか、
共産党に弓引く奴は、国民であろうが許さんで、
なんだかんだと屁理屈をこねて
男性を拘束するかも知れないので危険かもね。
相手が断定や確信を持ってしまっている場合には、
何を言っても馬の耳に念仏で聞いてもらえず、
少々の証拠らしきものを示せたとしても取り合ってくれず、
そのような相手の結論をひっくり返すには、
相手が驚いて目をまん丸く見開くような
情報や証拠が必要になります。
また相手が真実を求めておらず
その相手が求めている答えに着地させることを
目的としている場合には、尚更です。
毎日の苦しさを何とかしたいと相談に訪れる人の中には、
心の苦しさを解消する方向へと話を向けると
少し会話が続いた後に、いかに今の自分が苦しいのか、
いかに自分の両親が酷かったか、どれだけ知人とか
会社の奴らが酷かったか等に会話の中心を戻していく人もいます。
そして、
毎回そのような同じ内容が繰り返されていきます。
そのような状態の時には、
まだ改善のための取り組みを始める時ではなく
さらにある程度の施療の回数を費やして
相手の気持ちを十分に聞き、
その人の気持ちが落ち着いてきた頃に
改善のための方向へと舵をきることになります。
しかし、一定程度の回数や時間を充てても
改善のための方向にと向かない場合には、
どこかの時点で対峙することにしています。
その人は、苦しいので何とかしたいと思いつつも
自分の心と向き合い改善のための取り組みを始めることが
不安なのかも知れませんし、怖さもあるのかも知れませんし。
長すぎるそれらは、その人の心理的な抵抗を
示しているかも知れません。
あるいは自分の心と向き合い改善をして
苦しさを解消、軽減することが目的ではなくて
如何に相手が酷いのか、如何に自分が被害者であるかを
少しでも多くの人から共感や認めてもらうことだったり、
少しでも多くの施療の仕事をしている人から
相手が悪いことや自分が被害者であることの
お墨付きの言葉を引き出すことで
今の苦しさから逃れようとしているのかも知れません。