今回の京都名所巡りで最後に訪れたのは
京都府八幡市の男山の山頂にある石清水八幡宮で
2012年(平成24年)1月には
境内全域が国指定史跡となっています。
また石清水八幡宮は、大分県の宇佐神宮、
福岡県の笘崎宮(または神奈川県の鶴岡八幡宮)らと共に
日本三大八幡宮の一つに数えられていて
本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されています。
石清水八幡宮は、
貞観元年(859年)に清和天皇の命により
平安京の南西の裏鬼門を守護する神社として創建され
北東の鬼門を守護する延暦寺と共に
皇室や朝廷から篤く崇敬されていました。
また源氏一門から氏神として崇められ
元々あった武神『弓矢の神』としての信仰が強くなり
織田信長、豊臣秀吉ら多くの武将達から崇敬されていて
合戦の前に参拝に訪れていたようです。
石清水八幡宮 ボーイスカウト像
石清水八幡宮の社務所内には
ボーイスカウト事務局があって様々な活動を行っています。
石清水八幡宮 涌峯塔(ゆうほうとう)
昭和59年(1984年)に
彫刻・陶芸家の清水九兵衛氏の設計で建てられた
高さ18.3mの涌峯塔(ゆうほうとう)は、
モニュメントでもあるし給水塔としても機能しています。
エジソン記念碑
エジソンは、電球開発において
重要なフィラメントの素材に竹を使用すると
電球の持ちが飛躍的に伸びることを発見し、
世界で最適の素材が日本の竹だったと言うのは
どこかで聞いたことがあったのですが
それが男山周辺に自生する真竹だったとまでは
知らなかったんですよね。
石清水八幡宮 三ノ鳥居
ー オードリー・ペップバーン ー
恐怖、孤独、不幸を感じる人に
最高の治療法は外に出ることです。
どこか安らげて、至福と自然があり
神と向き合える場所へ
それらが存在し続ける限り
悲しみは必ず癒されます。
私は確信しています。
自然は、どんな困難にも慰めを与えると
一ツ石(勝負石)
三ノ鳥居を潜って直ぐの参道中央にある一ツ石は、
勝負石、百度石とも呼ばれています。
かつて走馬・競馬の出発点だったとされています。
鳩峯寮の庭(はとみねりょう)
昭和36年(1961年)の
第二室戸台風で倒壊した三ノ鳥居の石材を用いて
昭和41年(1966年)に
重森三玲氏によって作庭されました。
石清水八幡宮への参拝ルートは、
〇一ノ鳥居から徒歩で表参道又は裏参道のルート。
〇京阪電車石清水八幡宮駅からケーブルカーのルート。
〇境内まで車であがるルート。
最初の予定は、徒歩で男山山麓の一ノ鳥居から頓宮、
表参道を利用し、本殿へと向かうつもりでしたが
三ノ鳥居から下方へ続く恐ろしく急な階段を
参拝者の皆さんが息を切らして登って来るのを見ると、
車で男山頂上までが正解でしたね。
御鳳輦舎(ごほうれんしゃ)
鳳輦が三基納められています。
鳳輦とは、神輿と考えても良いかと思います。
石灯籠群
石灯籠が立ち並ぶ参道の奥には、南総門が見えます。
御羽車舎(おはぐるましゃ)
御羽車二基が納められています。
御羽車とは、神輿に似ていて神輿でもなくて
天神祭りとか祇園祭の山鉾巡礼の中で
見ることが出来たような………。
社務所
書院石庭
書院石庭は、1952年(昭和27年)に
重森三玲氏によって作庭されました。
この書院庭園は、国生み神話を表現したもので
中央の小さな石は、おのころ島と言う人もいるのですが、
本当のところはどうなんでしょうね。
右奥にある石灯籠は、
鎌倉期の1295年にあたる『永仁三年末乙三月』の銘があり
重要文化財に指定されています。
手水舎
石清水 つきぬみいつを とこしえに
くみて あがめむ 神の御光
男山に湧き出る清水が
永遠に尽きることがないように
石清水八幡宮の神の
尽きることのない御威光を崇め奉りましょう。
酒樽奉献舎
南総門
昭和13年(1938年)に再建された南総門を潜ると
石清水八幡宮の象徴的な社殿がお目見えします。
納め所・神楽殿
南総門を潜って左手にある納め所・神楽殿。
授与所
南総門を潜って右手にある授与所。
南総門 内側
くるりと後ろを振り返ると南総門。
石清水八幡宮 楼門【国宝】・本殿【国宝】
石清水八幡宮の御本殿は、
二棟の建物を前後に連結させて一つの社殿とする
独特の構造をしている八幡造りで
楼門から奥へと舞殿、幣殿、本殿が続きます。
立派な社殿。美しい社殿。荘厳な社殿。