![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0088.gif)
戦国列伝
今日の問答
1867年のパリ万国博覧会に薩摩藩より同行した、3人の芸妓に含まれないのは誰?
1:かね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
2:りん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
3:すみ
4:さと
今日の問答結果
2:りん
おめでとうございます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
大正解
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
※本日の問答(出題)には誤りがあります。
「パリ万博に芸者出展」フランス…
日仏米 et moiより引用
日本は駐日フランス公使の指導のもと厳選された品々が用意された。その数は1,014点におよび出荷梱包数は187個で輸送代金として47,190両もの大金を払ったと記録に残る。
日本の出展品の中には柳橋芸者3名が含んでいた。この3人の名は夫々「おさと」「おかね」「おすみ」で、あでやかな芸者姿で日本パビリオンとして作られた水茶屋風の建物の座敷に勤務した。「髪は桃割れ、友禅縮緬の振袖に丸帯を締め長い煙管で煙草盆の火をつけて煙草を吸ったり、てまりをついたりしていた。見物客の求めに応じて日本酒の酌をしたり御茶で饗したりしている。」と新聞記事にもなり評判も上々であったようだ。
人気の芸者パビリオン
そのサービスはカフェに分類され有料となり万博の終了時点の売上金額は経費を大きく上回った、利益を得たのである。このメゾン・ド・ラ・ゲイシャの運営は大阪商人の清水卯三郎の手で行われた。大阪商人の才能の賜物でしょう。
芸者たちは現地で売り飛ばされることなく清水卯三郎とともに無事に日本の土を踏んだと願っている。この万博を契機にフランスのジャポニズムが生まれた、特に浮世絵が印象派画家たちに賞賛され彼らの作品に大きく影響を与えた。ヴァンソン・ゴッホの作品にも浮世絵の表現を採り入れたものが多くみられるがゴッホの場合は浮世絵にとどまらず尾形光琳の屏風絵の構図を採り入れた作品も散見できる。
ちなみに徳川幕府がパリ万博に持ち込んだ品々は展示会終了と同時に仏人ル・シベリオンという商人に販売を託した。彼に販売手数料として75千フラン支払い向こう1年の間にさばききれない時は日本に返品するという条件であった。この販売手数料にとどまらず品物を保管する店舗兼倉庫、雇い人、保険代、輸送費合わせて13千フランをも支援している。その販売結果についての記録はない。
※この万博には日本から江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩が出展しました。
上記の通り、芸者を連れて行ったのは江戸幕府ですね。
薩摩藩は「日本薩摩琉球国太守政府」と、あたかも幕府と対等な独立国として出展したようです。それによる一悶着もあったとか…。
問答部屋は「戦国列伝」のコンテンツ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0114.gif)
登録は
こちら