KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

雛飾る

2020年02月20日 | 俳句
天気 晴のち曇

毎日、お雛様を出さなくちゃ、と思いつつ片付けるのが面倒で出しそびれていた。
小さな内裏雛だからたいした場所はいらない。が、夫の入院から始まって様々な書類があれこれと溜まり、それをいちばん目につく所へ置いたりして・・とにかく、言い訳すると書類整理が下手な上に目まいとの闘いで、片付け作業が押せ押せになっているのだ。
今年やめても来春にこの家に住んでいるかどうか、それよりもお雛様どころではなくなっているかもしれず。予測よりも早く旅立った夫のことを思うとこれが最後になるかもしれない。
ということで、少し不要な書類を片付けた。下を向いての作業は休み休み。

写真は90年近くも前の、長姉の初節句の内裏雛。父の実家でそろえてくれた五段飾りの雛のうち、内裏雛だけが残っていた。子供の頃には母と一緒に雛段に並べるのが楽しみだった。戦前、あちこち引っ越した時もお雛様だけは持ち歩いたのだ。警察官だった父が離島勤務になった時も(私の生まれる前の話)、東京から母の田舎へ疎開した時も。
お雛様一式は、四国へ行ったときは持参せずに田舎の家に置いたままになった。同居していた次兄が結婚したので、家と一緒に管理は任せたのだ。それきり、雛様一式は私の前から姿を消した。次兄には男の子しかいなかったのでお雛様は物置にほったらかされ、家が国鉄の線路拡張で壊されるときに出てきた。
「ちゃんとしておかなかったから、ネズミに齧られたりして駄目になってしまった」と母が言っていたのを覚えている。捨てられた、と思っていたら・・
3年前、独身の次姉の最期とその後のすべての始末をしたとき、マンションの膨大なゴミ(荷物)の中からこの内裏雛だけが出できたのだ。昭和5年のお雛様。かなり傷んでいるのに、顔だけはしっかりと昔のままなのにびっくりした。あまり好きではなかった次姉の遺品は殆どわが家に運ばなかったが、この内裏様だけはすぐに捨てる気になれず持ち帰った。杓と扇子がなくなっていたので、和紙で間に合わせに作った。

自分のお雛様が欲しくて、15年くらい前に京都の小さな立雛を買った。顔は描かれていない。


ようやく、この二つのお雛様を置き、ほっとした。
仏壇が置かれて、雛飾りがあって、片付かない書類や本もほったらかしの奇妙な居間。でも自分のためなので、お雛様に私の体調の身代わりになってもらえるかもしれない。

戦争も飢ゑも見てきし古雛(ひいな)  KUMI
コメント (2)
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