私の経験と思いを書かせていただきますので
正しい考え方かどうかは みなさまの判断にお任せします。
【写真】絶望…死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い
まずここですが 何の写真なのだろうと思いましたし
どうして 死ぬのはこんなに怖い と 書かれたのでしょうか?
意味不明の写真でした。
まるで詐欺っぽ どうして怖いのですか?
わたしは そうお聞きしたい気持ちです。
だいたい 死ぬことがどうして怖いのでしょう
そりゃね まだ若くて 子育て中だとか
大きな仕事を抱えていて 死んでしまったらみんなが困るとか
愛する人と別れるのが怖いとかいうのであれば 死ぬのは怖い ですけれど・・・
ただの脅し文句にしか見えませんでした。
「父は入院するまでデイサービスに通っていましたが、そこで出される昼食を、いつも完食していました。
と書かれていますので もちろんケアマネさんは付いておられたでしょうに
突然動けなくなって デイサービスをお休みするとき その理由を聞かれなかったのでしょうか
食欲はあるものの、入れ歯がないと固形物を噛めないので、27日以降は、ジュースやお茶のほかは、レトルトのおかゆを少し飲み込む程度しかできませんでした。後で周囲から『高カロリーのプリンなどをあげればよかったのに』と言われましたが、介護経験が乏しく、頭が回りませんでした」
こんなに家族が困っているのに ケアマネは知らなかったのでしょうか
主治医は、入院当日、本人と家族に、癌や「老衰」で死亡する可能性に言及し、「延命処置は行わない」と伝える一方、入院が長期化する場合は他の病院や施設に移る可能性についても説明(30日付「診療・病状に関する説明書」による)している。入院時に医師が万一の場合を想定して治療方針を説明するのは一般的なことだ。
「延命措置はしない」と一方的に通告
しかし「老衰」という言葉は、クリニック院長の紹介状や、その後の正さん側の病状等に関する問い合わせへのクリニック院長の「回答書」には記載されていない。このことからセンター側が、独自の判断で、93歳の幸一さんを当初から老衰患者とみなしていたことがうかがえる。
なんだか 病院側の意味の取り違えとも考えられるけれど
衰弱していく一方の父
幸一さんは、入院当日は検査漬けで緊張していたせいか、食事(流動食)は食べず、点滴だけだったが、翌日は食事を半分食べ、3日目からは食事を完食、もしくは、ほぼ完食した。
ちゃんと口から食べられていたのにねぇ・・・
「主治医は、アルブミン値について『死亡の危険のある栄養状態』と言いました。それまで栄養問題や栄養量について何の説明もありませんでした。私は、主治医が栄養補給で最善を尽くしてくれていると思い込んでいたので、突然のことに衝撃を受けました。さらに驚いたのは、そんな深刻な状況なのに主治医が『リハビリを始めた』と言ったことです。言うことが支離滅裂でした」 アルブミンの正常値は4以上。1以下は命に関わる異常値とされる。9日から食事が少し増えたものの、それでも相変わらずBEE以下。このため10月9日、管理栄養士が再び「補助食品も追加し栄養状態改善を図ることも検討」「主治医に提案していく」と診療記録に記入している。
そんな深刻な状況なのに主治医が『リハビリを始めた』
その都度 理解できないようなことが起きた時は すぐに質問すればよかったのですよね
90才過ぎれば 死んで当たり前的な考え方を持つのが医者だと 私は思っていますので
医者としては 90歳までも生きたのだから文句はないでしょうに・・みたいな考えがある
「主治医に提案していく」私の母が入院していた時も 見る医者によって考え方が違うもので
せっかく検査結果が良くて 「ちゃんと飲み込めますから形のある食事にしましょうね^^」と
おっしゃっていただいても 次の係が動かなければ 死ぬまで 大嫌いなプリンです。
「食事変更はすぐできますからね~♪」と
優しい看護師さんは おっしゃって下さっても
実際は 最後の病院へ転移するまで 大嫌いなプリンでした。
病院が大きければ大きいだけ 沢山の人が働いていますので
どの係の誰が悪いのかはわかりませんが 伝達がちゃんと出来ないのです。
看護婦長でさえ お風呂に入りましょうねぇ~♪
大きなお風呂ですから気持ちいいですよぉ^^
そう言って下さったはずなのに 半年間 一回も入れていただけませんでした。
頭皮は かさぶたになって ボロボロ落ちていても・・・・見て見ぬふり
声だけ元気で明るいのです(嘘つき看護婦長)
この嘘つき看護婦長のいる救急病院での主任担当医は
最高に素晴らしい先生でしたので 母は少しばかりは幸せでした。
ちょうど回診の時間に 居合わせた私は
「母の足の爪が 変なのですけれど大丈夫でしょうか?」
と お聞きしてみましたら 裾をめくってちゃんと診察して下さいました
そして新しく治療が増えて 母の足はきれいになりました。
食事の変更の件では それも回診時
看護婦に 「今この人は何をどのくらい食べているの?」と
聞いてくださいましたが 看護師たち誰からも返事がなく
しばらくして やっと 「プリンです」と消え入るような答えを聞きました。
もちろん 量などの返事はありません・・・
そんなこんなで まわりのひとたちが ほんとにええかげんなもので
ただただ 担当医のA先生だけが頼りでしたが
親子で喜んでいましたのに 春になって突然(私にしては)の帰還
何の連絡もなしに 東京の大きな病院へ帰ってしまいました。
そして 母も 転院命令
次の病院は 最期を待つ人ばかりの病院でしたが
そこで 二ヶ月お世話になって 亡くなりました。
結論的に考えてみると
黙って信じていても 今は殺されるだけ 残念だけれど
患者がしっかりしていなければ ダメな時代なのではないでしょうか?
それと・・・言葉と言うものは
自分では十分伝えたつもりでも 相手には その何分の一しか理解してもらえないもの
万が一 100理解してもらえていても 次の人へは やはり その何分の一ということで
多くの人に伝達が続く場合は・・・・・最後は 何に変化しているやら・・・・・
だからこそ しつこいと思われても なんどもなんどもお願いしなければ正しくは伝わりません。
https://www.pinterest.jp/pin/596515913135401609/