衣裏珠の八葉蓮華 ≪創価学会 仏壇≫

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「覆水盆に返らず」真言宗と天台宗、1200年ぶりの交流・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-31 | 産経抄(コラム)

 産経新聞の京都総局に語り継がれていた伝説のスクープがある。昭和20年代の中ごろ福田定一記者、後の作家、司馬遼太郎氏が書いたという「東西本願寺が合併か」の記事だ。今となっては確認しようはないが、何人かの記者が証言している逸話である。  

 江戸時代初期に分かれた浄土真宗の2つの本山が一緒になるとなれば、これは大ニュースだ。しかも関係者によれば当時、日本を占領していたGHQが積極的に合併を働きかけていたという。だから単なる観測記事ではなく、十分に根拠のある特ダネだったようだ。  

 だが、それから60年ほどがたった今も、東西の本願寺は合併しないままである。せっかくのスクープも「覆水盆に返らず」ということわざには勝てなかったのだろうか。教義が異なる宗教の世界がひとつになっていくことの難しさを、証明したともいえる。  

 ところがそんなおり、平安仏教の代表的宗派である真言宗と天台宗とが、公式の交流を始めるという。天台宗の座主が真言宗総本山、高野山金剛峯寺を参拝することになった。それも両仏教が日本にやってきた平安初期以来、実に1200年ぶりなのだそうだ。  

 真言宗は空海-弘法大師、天台宗は最澄-伝教大師によって伝えられた。ともに中国に留学した仲間であり、ライバルでもあった。その2人の間に晩年、教えや修行のやり方をめぐって確執が生じた。以来、両者の間の正式な交流は途絶えたままになっていたという。  

 とはいえこの間、対立してきたわけでもない。交流開始は遅きに失したとも言える。だが、空海と最澄という2人の巨人の確執を、こんなに長く引きずってきたというのは驚きだ。宗教の問題とはそんなスケールで考えるべきなのかもしれない。

産経抄 産経新聞 5/30
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中傷ヤジ合戦「党首討論」国民の目の精度も、上がっている・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-30 | 産経抄(コラム)

 最近、テニスの国際大会で新兵器が大活躍している。「ホーク・アイ(タカの目)」と呼ばれるシステムだ。コートを取り囲んだ10台のカメラが、ボールの行方を追跡し、スピードや角度などのデータを集積して、弾んだ地点を正確に割り出す。  

 ライン際の判定をめぐって、選手と審判の間で頻繁に起こっていたトラブルもこれで解消される。大型モニターに、コンピューターグラフィックスで加工された映像も流れるから、観客にもわかりやすい、と好評だ。こんなシステムを、国会にも導入してほしい。  

 麻生太郎首相と民主党の鳩山由紀夫代表による、初めての党首討論を“観戦”しながら、思った。どちらが優勢だったのか。きのうの各紙を見ると、コメントを寄せた識者の判定は人によってばらばらだ。さもあらん。  

 具体的な政策をめぐる丁々発止のやりとりはほとんどなく、中傷合戦に終始していた。テレビ中継を見ていた多くの人にとっては、判定のしようがなかったのではないか。ウィンブルドンでは考えられない、ヤジの激しさだけが目立った。もうひとつ気になったのは、「国民目線」や「上から目線」といった言葉だ。  

 目線とは本来、映画や演劇で役者が目を向ける方向のことをいう。いわば業界用語である。なぜか5、6年前ごろから、一部の政治家が盛んに口にするようになった。正しい日本語ではないと、とがめるつもりはない。流行語ではなく、磨きぬいた自分の言葉で、経綸(けいりん)を論じてほしいのだ。  

 とはいえ、党首討論はまだ第1セットを終えたにすぎない。第2、第3セットでは、気迫あふれるボールが飛び交う名勝負を期待したい。「タカの目」ならぬ「国民の目」の精度も、上がっていることをお忘れなく。

産経抄 産経新聞 5/29
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郵便割引制度を悪用「冒涜」美しい羽を汚す、みにくい心・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-29 | 産経抄(コラム)

 平成17年に80歳で世を去った、小倉昌男元ヤマト運輸社長の生涯は、いくつもの「怒り」に彩られている。昭和51年に、日本初の宅配サービスである「宅急便」を生み出した。全国に配送網を開こうとした矢先、行政官庁の壁が目の前に立ちはだかる。  

 小倉はひるむどころか、闘志を燃やした。路線免許を出し渋った旧運輸省(現国土交通省)には、行政訴訟を起こした。クレジットカードの配達サービスに待ったをかける旧郵政省(現総務省)とも、激しい論争を繰り広げる。  

 経営の一線を退いてから、障害者の自立を手助けしようと思い立ったのも、「怒り」がきっかけだった。共同作業所で働く障害者の月給が、多くの場合1万円程度だと知ったからだ。給料10万円を目標に、私財をなげうって福祉財団を設立した。  

 そんな小倉が、今回の郵便法違反事件を知ったら、大いに憤慨したことだろう。舞台となったのは、民営化前の郵政省時代から、因縁浅からぬ日本郵便の郵便事業会社である。障害者団体に適用される郵便割引制度を悪用して、大量のダイレクトメールを低料金で発送し、正規料金との差額を免れる手口だった。  

 障害者の支援事業に対する冒涜(ぼうとく)ともいえる。事件の容疑者が、国会議員の名前をかたって、厚生労働省に圧力をかけた疑いも出てきた。小倉は、どんなに官僚の壁が厚くても、一切政治家の助けを借りないことを、信条としていた。  

 小倉が手がけた事業のひとつが、障害者と健常者がともに働く手作りパンのチェーン店だ。アンデルセンの「みにくいアヒルの子」にちなんで、「スワンベーカリー」と名付けた。小倉は、自立をめざす障害者を白鳥にたとえ、その美しい羽を汚す、みにくい心と戦い続けた。

産経抄 産経新聞 5/28
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「冷静な対応」日本、アジア、地球の安全を第一に考えるのが政治家の使命・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-28 | 産経抄(コラム)

 「冷静な対応」日本、アジア、地球の安全を第一に考えるのが政治家の使命・・・ 産経抄 八葉蓮華  雑誌「正論」の良きライバルだった「諸君!」が40年の歴史に幕を閉じた。哀惜日々募るが、数ある名論文の中で最もセンセーショナルな話題を呼んだのは、清水幾太郎氏の「核の選択-日本よ国家たれ」だったのではなかろうか。  

 掲載されたのは、米ソ冷戦まっただ中の昭和55年7月号だから30年近くも昔の話である。非武装中立を大まじめに語る「進歩的知識人」がもてはやされた時代に、核武装論をぶちあげたのだから衝撃波はすごかった。  

 清水氏は社会学者で、終戦直後から六○年安保闘争までラジカルな「左」だった。それが急旋回し、核武装にまで行き着いたのだから世間はビックリした。進歩的知識人はもとより、週刊誌も彼を「変節漢だ」とたたきまくった。  

 いま読み返せば、多少アジ演説っぽいものの、自分の国は自分で守ろう、そのためには核兵器を持つのも選択肢だというごく当たり前の論理を展開しているにすぎない。それでも今以上に世間の「核アレルギー」が強い中、よくぞ書いてくれたものだ。  

 北朝鮮の2度にわたる核実験強行で、30年の時間を経て核武装論は市民権を得つつある。一方、「北の行動にも一理ある」という珍説はさすがに見かけなくなったが、したり顔で「冷静な対応を」という進歩的知識人の残党は健在だ。  

 「冷静な対応」論は、もっともらしいが、非武装中立論と同じで何の役にも立たない。むろん、核武装のマイナス面も考えねばならないが、国会で大いに論議すべき課題だ。選挙ではなく、日本の安全を第一に考えるのが政治家の使命である。ちなみに、近くにいた若い記者2人に「清水幾太郎って知ってるか」と聞くと、両人ともかぶりを振った。昭和はますます遠くなりにけり、か。

産経抄 産経新聞 5/27
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「骨と皮ばかりでいばっているもの」絲の切れた凧・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-27 | 産経抄(コラム)

 「『お日さまの中であたたまりなさい』/といって、ぼくらはその人をまねいてあげた/それなのに/『おふろにはいりなさい』/とすすめると、その人は/『わたしの●にぎわが近づいた』/というんだ」。  

 西アフリカ・ナイジェリアのヨルバ族に伝わるなぞなぞだという。『なぞなぞの本』(福音館日曜日文庫)で見つけた。答えは「塩」だが、北朝鮮のことも思い浮かぶ。イソップ童話「北風と太陽」にちなんだ「太陽政策」によって、韓国からのさまざまな援助は、ちゃっかり受け取った。  

 ところが、日本と米国、中国、ロシアも加わって、ひと風呂浴びながら、国の行く末を話し合おうと誘っても、本当は居心地がいいはずなのに、いやだ、と飛び出してしまった。いっしょの湯につかったら、たちまち国家体制が壊れてしまう、といわんばかりに。  

 その北朝鮮がきのう、2006年10月9日に続く、地下核実験を強行した。さらに先月に続いて、ミサイルも発射している。韓国の盧武鉉前大統領には、金大中元大統領から引き継いだ太陽政策が、完全に破綻(はたん)したことを見届けてもらいたかった。  

 前回の核実験の直後にソウルで行われた日韓首脳会談で、核の問題を取り上げようとした当時の安倍晋三首相に対して、むしろ靖国問題などに固執したという。日本として今こそ連携を強めたい韓国では、前大統領の自殺が保守派と進歩派の対立に火を付け、混乱が続いている。  

 北朝鮮の魂胆は例によって、米国を交渉の場に引きずりだすことのようだ。国際社会は今度こそ、脅しによって何ら事態が好転しないことを、この国に思い知らせなければならない。こんななぞなぞもある。「骨と皮ばかりでいばっているもの」。答えは…。

産経抄 産経新聞 5/26
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幼い形のままゆっくり成熟するイメージ「ネオテニー」日本人の振るまい・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-26 | 産経抄(コラム)

 週末、東京・上野の森美術館で開かれている「ネオテニー・ジャパン」展に行ってきた。展示されているのは、精神科医の高橋龍太郎さん(62)が収集した、日本の現代美術の作品だ。  

 平成8年に描かれた会田誠さんの「紐育(にゅうようく)空爆之図」には驚いた。5年後の9・11テロを予言したかのようだ。「これが美術品?」と首をひねることもある。小欄に見る目がないだけだろう。  

 高橋さんが、展覧会のテーマとした「ネオテニー」(幼形成熟)とは、動物学で使われる用語だ。人類と類人猿を比べると、平面的な顔、少ない体毛、大きな脳容量など、胎児のときはよく似ているのに、人類だけが、胎児のときの特徴を失わないまま大人になる、というのだ。  

 幼さ、かわいさといえば、日本の漫画やアニメだけでなく、現代美術にとってもキーワードだ。高橋さんによれば、日本の美術界は明治の文明開化以来、西欧文化に習って大人になろうと急ぎすぎた。日本独自のものを生み出し、世界に認められるまでには、百有余年の時間が必要だった。幼い形のままゆっくり成熟するイメージを、日本の現代美術に重ね合わせている。  

 ところで、日本の悪口が大好きなニューヨーク・タイムズがまた22日付の電子版で、マスク姿が目立つ地下鉄車内の写真を付けて、新型インフルエンザで混乱する日本をからかっている。日本人は外国発の感染症に対して、「パラノイア(偏執狂)」だそうだ。  

 政府やメディアは騒ぎすぎだ。それに踊らされる国民も幼すぎる。そんな声は国内からも、聞こえてくる。日本人の振るまいをそれほど、卑下することもあるまい。現代美術のように、マスク姿が「クール」(かっこいい)と、称賛される日も来るかもしれない。

産経抄 産経新聞 5/25
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「余生も他人の荷物となる」人間という生き物は繊細で複雑にできている・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-26 | 産経抄(コラム)

 このところなぜか土曜日に大きなニュースが飛び込んでくる。政府が「北朝鮮が飛翔(ひしょう)体を発射」と早とちりしたのも、新型インフルエンザの国内初感染が確認されたのも、民主党代表選が行われたのも土曜日だった。そしてきのうは韓国の盧武鉉前大統領が岩壁から飛び降りた。

  前大統領を取材した経験のある記者に聞くと「心臓に毛が生えたような人柄で、●●するなんて信じられない」という。そんな人物が「余生も他人の荷物となる」と遺書を残すのだから人間という生き物は繊細で複雑にできている。

  在任中は、国内の不満をそらそうとしてか、過去の謝罪と賠償を要求するなど北朝鮮に優しく日本に厳しい大統領だったが、●●に鞭(むち)打つのは小欄の好むところではない。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 日本で首相経験者が●●したのは、A級戦犯に指定され、収監直前に服毒●した近衛文麿元首相以来、60年以上いない。しかし、11年連続で●●者が年間3万人を超えているのは尋常ではない。NHK朝の連続ドラマで人気になった埼玉県川越市の人口が10年でゼロになる計算だ。  

 政府もようやく対策に本腰を入れだしたが、不況による生活苦という目に見える原因だけでなく、心の問題と密接にからんでいるだけに難しい課題だ。それでもすぐにできる対策がある。飛び込み●●を人身事故と言い換えるのをやめることだ。  

 「人身事故のため遅れます」という駅のアナウンスや表示にわれわれはすっかり不感症になっている。「飛び込みで…」とはっきり知らせることで、悲惨な鉄道●●が頻繁に起こっていることが明確にわかり、身近な問題としてとらえる人が増えるのではないか。第一、●●は断じて事故ではないはずだ。

産経抄 産経新聞 5/24
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民主党、自民党「傀儡」中枢は日本の官僚らが占め・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-24 | 産経抄(コラム)

 傀儡(かいらい)は「くぐつ」とも読む。どちらにせよ、操り人形のことである。起源は古いようだが、江戸時代、傀儡師と呼ばれる芸人が首からつるした箱の上で人形を操って見せたのだそうだ。転じて「人に操られその意のままに動く者」という意味になった。  

 近代になると「傀儡政権」という言葉も生まれた。『広辞苑』には、その例としてわざわざ「かつての満州国」などが示してある。言うまでもなく、日本の関東軍が満州(現中国東北部)を支配した後、その地に昭和7(1932)年、建国が宣言された国である。  

 立国に携わった日本人の中には「理想の国」の夢を求めた人も多かった。しかし政治の中枢は日本の官僚らが占め、関東軍の介入も多く、国際的には「日本の傀儡」と見られた。このことから満州国は国際社会から認知されず、逆に日本を孤立に導いていった。  

 「傀儡」というのは、政治の場ではそれほど重い意味を持っている。それなのに先日の民主党代表選で、鳩山由紀夫氏の口から軽い調子でこの言葉が出たのには驚いた。出馬にさいしての記者会見で、「小沢氏の傀儡と呼ばれるつもりは一切ありません」と語ったのだ。  

 辞任した小沢一郎前代表は、後任を鳩山氏にすべく動いたといわれる。鳩山代表が実現した後は選挙担当の代表代行に就任した。党内での2人の力関係は、これまでと変わらないとの見方もある。鳩山氏の発言は事前にそのことを強く意識したのだろう。  

 だが考えてみれば「私は誰それの操り人形だ」と、認める人などいない。野党の党首ならともかく、首相を目指すのであれば、行動でその「疑い」を晴らすしかない。この世界で「傀儡」と断定されることは、政治生命を失うに等しいからである。

産経抄 産経新聞 5/23
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認可待たずの勇み足「開発競争」水着に関係なく、世界記録を出す・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-23 | 産経抄(コラム)

 入江陵介選手(近大)が日豪対抗男子二百メートル背泳ぎで出した記録が、幻の世界新になってしまう可能性が出てきた。日本記録が世界記録を上回るねじれ現象は、61年前にも起きている。  

 昭和23(1948)年にロンドンで開催された戦後初めてのオリンピックに、日本は参加を許されなかった。日本水泳連盟は、あえて五輪と同じ日程で、全日本選手権を開く。この大会で古橋広之進さんは、千五百メートル自由形と四百メートル自由形で、五輪の優勝者に“圧勝”した。  

 タイムも世界記録を大幅に短縮したが、日本が国際水泳連盟(FINA)から除名されていたため、公認記録とはならなかった。FINA復帰を果たした翌年、ロサンゼルスで行われた全米選手権に出場した古橋さんは、四百、八百、千五百、八百リレーのすべてを制し、今度こそ正真正銘の世界新を打ち立てる。  

 「フジヤマのトビウオ」のニックネームが付けられたのも、このときだ。レースを終えた古橋さんは、地元のスポーツ団体の博物館館長から、水着の寄贈を求められる。今も大切に保存されているその水着は、水を吸いやすく、ぬれると強度が低下するスフ(人絹)素材のため、下にふんどしを締めてからでないと、とてもはけない代物だった。  

 それに比べて入江選手の水着は、空気も水も通さないラバー素材が使われ、先月の日本選手権でも記録ラッシュを生んだすぐれものだ。FINAがなぜ認可しないのか、理解に苦しむ。水着の開発競争のきっかけを作った英スピード社のレーザー・レーサーには甘くて、日本製品には厳しい。そんな印象もぬぐえない。  

 「水着に関係なく、世界記録を出す」と言い切る入江選手と日本のハイテク水着、どちらも頑張れと言いたい。

産経抄 産経新聞 5/22
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「正徳利用厚生惟和」人民の生活を厚かにすること・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-22 | 産経抄(コラム)

 厚生労働省の「厚生」という言葉が、中国の古典『書経』にある「正徳利用厚生惟和」に由来していることは、よく知られている。昭和13(1938)年に旧内務省から独立した際、保健社会省として発足するはずが、漢籍にくわしい人の意見が通ったらしい。  

 平成13(2001)年の中央省庁再編にともない、労働省との統合が決まったときも、名称でもめた。当初の「労働福祉省」に異論が続出して、「社会省」が浮上し、結局「厚生労働省」に落ち着いた経緯がある。その厚生労働省に、分割案が出ている。  

 麻生太郎首相は、厚労省を「社会保障省」と「国民生活省」に再編する案に乗り気だという。厚労省が管轄する範囲があまりにも広すぎて、機動的に政策展開できない、という理屈はわかる。だからといって、分割して名前を変えたら、行き詰まっている年金や医療、介護、少子化の問題に突破口が開かれる、というものでもあるまい。  

 省庁再編の旗振り役だった故橋本龍太郎元首相は、かつてこう語ったことがある。「結局は組織を動かすのは人、人の意識が変わらなければ、統廃合だけで、すべてが解決するわけではない」。「統廃合」を「分割再編」と、言い換えてもそのまま通用する。  

 「厚生」という言葉がなくなるとすれば、それも寂しい。平凡社の『中国古典文学大系』の口語訳によれば、中国古代の聖人禹(う)が帝舜(しゅん)に進言した、政治家の務めのひとつだ。  

 「君主自身の徳で感化させて人民の徳を正すこと、物資の流通をよくして人民の使用に便利にすること、および人民の生活を厚(ゆた)かにすることの三つの事業がよく調和していなければなりません」。今こそ国政に携わる人たちに、かみしめてほしい言葉ではないか。

産経抄 産経新聞 5/21
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「素人」の裁判員が●人や強盗など重要事件の判決まで下さなければならない・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-21 | 産経抄(コラム)

 「佐々木政談」もしくは「佐々木裁き」という落語がある。南町奉行の佐々木信濃守がお忍びで町へ出かけると、子供たちが裁判ごっこに興じている。観察していると、奉行役で佐々木信濃守を名乗る四郎吉という子供の「裁き」がなかなか立派だ。  

 そこでホンモノの信濃守は四郎吉と親を奉行所へ呼び、その「知恵」を試してみる。「父と母とどちらが好きか」と問うと、前にある饅頭(まんじゅう)をふたつに割り「どちらが美味(おい)しいか」と逆に尋ねる。ここでもみごとな受け答えで、感心した信濃守は四郎吉を家来に取り立てる。  

 明日から始まる日本の裁判員制度では、クジで選ばれた一般国民が裁判に参加する。だが、裁判ごっことは違い、こちらは真剣勝負だ。プロの裁判官も加わるとはいえ、「素人」の裁判員が●人や強盗など重要事件の判決まで下さなければならないからである。  

 当然、裁判員に選ばれた人の心理的負担は大きい。昨秋、裁判員候補が決まった後も辞退希望者が続出したらしい。各種世論調査でも「やりたくない」という人が多い。それだけに、スタート直前になっても「中止」や「先送り」を求める声が収まらなかった。  

 裁判員のご苦労はわかる。しかし忘れてならないのは、この制度が生まれた背景である。世間知らずとは言わないまでも、司法一筋の裁判官だけでは時として、国民の感覚とはズレた判決が下される。そんな今の裁判制度への批判や不満からだったはずだ。  

 佐々木信濃守が四郎吉に見いだしたように、国民の間の埋もれた「常識」や「叡智(えいち)」を引き出し、裁判に生かすことができるか。そのことがこの制度の成否のカギを握っている気がする。できないのなら、規定の3年を待たずとも見直すべきだろう。

産経抄 産経新聞 5/20
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「ええかげん」人込みではマスクをつけ、手洗いを励行する・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-20 | 産経抄(コラム)

 社会学者の高田公理(まさとし)さんは、子供のころ銭湯に行って、湯船に水を足そうとすると、「ちょうど、ええかげんや。水、入れたら、あかん」とよく小言をいわれたそうだ。そうかと思えば、宿題を忘れて、学校に行くと、先生から「ええかげんなことばっかりして」と怒られる。  

 「ええかげん」は、一方で「良いこと」、他方で「悪いこと」になる。日本人がこのあいまいさを失い、あまりに厳格であったり、窮屈であったりすると、かえって、人間や社会をだめにしてしまうのではないか、と高田さんはいう(『にっぽんの知恵』講談社現代新書)。  

 新型インフルエンザの流行が、兵庫県や大阪府を中心に、ますます拡大している。国内での感染者数が、すでに1000人を超えた可能性を指摘する専門家もいる。このまま患者が増え続ければ、医療機関がパンク状態になる恐れも出てきた。  

 大阪、兵庫の両府県では、公立の学校が一斉に休校となった。保育所や高齢者通所施設の臨時休業も相次いでいる。小さな子供やお年寄りの預け先を失って、働きに出られなくなった人たちの悩みは深刻だ。今回のインフルエンザウイルスは「弱毒性」で、毎年冬に流行する季節性のインフルエンザなみであることがわかっている。  

 もっとも、糖尿病など持病のある人が感染すると、重症化する場合もあるという。それと同じように、行政が感染拡大を恐れるあまり、住民に対して、事実上の“引きこもり”を要請する状態が長く続けば、そのひずみは、社会で弱い立場にある人たちの暮らしを蝕(むしば)んでいく。  

 人込みではマスクをつけ、手洗いを励行することは当然だ。その上で社会全体では、「ちょうど、ええかげん」の対策でいいのではないか。

産経抄 産経新聞 5/19
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「ピースボート」自衛隊を含めた安全保障の問題をまじめに論じ合ってほしい・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-19 | 産経抄(コラム)

 いささか旧聞に属するけれど、アフリカ・ソマリア沖に展開中の海上自衛隊の護衛艦が、民間国際交流団体「ピースボート」の旅客船を護衛した話題を取り上げたい。ネットの世界でも、論議が盛り上がっている。  

 ピースボートは、社民党の辻元清美衆院議員が、早稲田大学在学中の昭和58年、客船をチャーターしてグアムなどへのクルーズを実現したのが始まりだ。その後も、反戦の主張を掲げて世界各地への旅を続けてきた。平成4年暮れには、辻元さんを含めたメンバー約70人が、カンボジアを訪れている。  

 わが国初の本格的な国連平和維持活動(PKO)に参加していた自衛隊施設大隊を見学するためだ。隊を取材中だったカメラマンの宮嶋茂樹さんによると、基地内で勝手気ままに振る舞う人たちに、声をからして対応する広報担当者は、幼稚園の先生のようだった(『ああ、堂々の自衛隊』クレスト社)。  

 「従軍慰安婦を派遣するというウワサがある」「隊内でコンドームを配っているとか」「帝国時代の軍人を尊敬している人がたくさんいるのか」。対話集会でのメンバーの質問は、泥まみれになって道路の補修などに取り組む隊員たちへの悪意に満ちていたそうだ。  

 今回の海自の派遣にも反対していた。その海自に、海賊から守ってもらったことを批判するつもりはない。せめてこれを機会に船内で、自衛隊を含めた安全保障の問題をまじめに論じ合ってほしいと願うばかりだ。  

 ところで、今のところ小紙しか、ピースボート護衛の事実を伝えていない。辻元さんが、設立を思い立ったのは、侵略を進出と変えたと報じた、例の教科書問題だったそうだ。誤報だったと認めたのも、読者のご存じの通り、小紙だけである。

産経抄 産経新聞 5/18
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「愛のある政治」日本の世襲政治の根深さが浮き彫り・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-18 | 産経抄(コラム)

 吉田茂元首相が戦後政界に長く「君臨」するきっかけは昭和21年、当時の鳩山一郎自由党総裁がGHQに追放されたことだ。鳩山が外相の吉田に総理・総裁への就任を要請したのだ。吉田は「長くやろうという気はなかった」と『回想十年』に書いている。  

 だが吉田政権は予想を裏切る形で長期にわたった。5年後に追放解除となった鳩山は吉田に政権移譲を求め断られる。その後、2人の確執が続き、29年11月、鳩山が岸信介、三木武吉らとともに日本民主党を結成、ようやく政権奪還を果たすことになる。  

 その鳩山の孫である鳩山由紀夫氏が民主党の代表に選ばれた。総選挙で自民党の麻生太郎首相と「政権交代」をかけ争うことになる。麻生首相はむろん吉田の孫だ。政治ドラマ的には申し分のない「因縁の対決」というわけだが、そんなことを楽しんでいるわけにいかない。  

 第一、あれから半世紀以上たつのに、なぜ二大政党のトップが「吉田家」と「鳩山家」の出身なのかということである。はからずも日本の世襲政治の根深さが浮き彫りになったといえる。仮に「世襲」是認の立場に立っても、祖父の世代とはあまりに迫力が違う。  

 外交官出身の吉田は徹底した自由主義者で日米関係を重視、経済優先・軽武装の立場をとり、憲法改正を拒否した。これに対し生粋の政党人の鳩山一郎は憲法改正による再軍備をとなえた。つまり日本の将来の路線をめぐっての命がけの政治闘争だったのである。  

 時代は変わったとはいえ、その孫たちからは国の将来を語る情熱が伝わってこない。鳩山代表の「愛のある政治」も内政にはともかく、それで複雑で厳しい国際情勢に対応できるとは思えない。祖父たちの厳しさに学ぶことは多いだろう。

産経抄 産経新聞 5/17
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戦国武将ブーム「萌えー」武将たちの生き方の背景・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-05-17 | 産経抄(コラム)

 司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズ『肥薩の道』に、鹿児島のある町を訪ねたときの驚きが記してある。この町が経験した各戦役の記念碑が林立していたことだ。それも大東亜戦争や日清・日露にとどまらず、戊辰戦争や関ケ原の役のものまであった。  

 司馬さんは「日本戦史そのものがこの郷に集約されている観があった」と書く。この町に限らず、戦争で亡くなった人を手厚く祭ることは日本のよき風習だった。明治時代にはそのための招魂社が造られ、それが靖国神社や全国にある護国神社につながっている。  

 だがその中の宮城県護国神社に「異変」が起きているという。県出身の戦没者ら約5万6000柱の英霊が祭られているが、2年ほど前から訪れる若い女性が急に増えた。しかもイラスト入りで「政宗さまに会いに来ました!!」と書いた絵馬まで奉納されだした。  

 今、若い女性を中心に戦国武将ブームだという。ゲーム機の影響もあるらしく、全国の城の入場者も増え続けているそうだ。宮城県護国神社が武将の一人、伊達政宗ゆかりの仙台城趾(じようし)に建てられていることもあり、政宗を祭っていると勘違いしているのかもしれない。  

 戦国武将からであれ、城からであれ、若い人が歴史に関心を持つことには何の異論もない。戦国時代というのは、誰もが入りやすい歴史である。今はやりの「萌えー(かわいい、カッコいい)」だけでなく、武将たちの生き方の背景にあるものをつかめばいい。  

 それでも戦国武将には関心があっても、護国神社の歴史は知らないというのではバランスを欠く。これも戦没者への敬意をなくさせた戦後教育のツケだろう。司馬さんが訪れた町でも、記念碑の意味を知る人は少なくなっているという。

産経抄 産経新聞 5/16
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