平成17年に80歳で世を去った、小倉昌男元ヤマト運輸社長の生涯は、いくつもの「怒り」に彩られている。昭和51年に、日本初の宅配サービスである「宅急便」を生み出した。全国に配送網を開こうとした矢先、行政官庁の壁が目の前に立ちはだかる。
小倉はひるむどころか、闘志を燃やした。路線免許を出し渋った旧運輸省(現国土交通省)には、行政訴訟を起こした。クレジットカードの配達サービスに待ったをかける旧郵政省(現総務省)とも、激しい論争を繰り広げる。
経営の一線を退いてから、障害者の自立を手助けしようと思い立ったのも、「怒り」がきっかけだった。共同作業所で働く障害者の月給が、多くの場合1万円程度だと知ったからだ。給料10万円を目標に、私財をなげうって福祉財団を設立した。
そんな小倉が、今回の郵便法違反事件を知ったら、大いに憤慨したことだろう。舞台となったのは、民営化前の郵政省時代から、因縁浅からぬ日本郵便の郵便事業会社である。障害者団体に適用される郵便割引制度を悪用して、大量のダイレクトメールを低料金で発送し、正規料金との差額を免れる手口だった。
障害者の支援事業に対する冒涜(ぼうとく)ともいえる。事件の容疑者が、国会議員の名前をかたって、厚生労働省に圧力をかけた疑いも出てきた。小倉は、どんなに官僚の壁が厚くても、一切政治家の助けを借りないことを、信条としていた。
小倉が手がけた事業のひとつが、障害者と健常者がともに働く手作りパンのチェーン店だ。アンデルセンの「みにくいアヒルの子」にちなんで、「スワンベーカリー」と名付けた。小倉は、自立をめざす障害者を白鳥にたとえ、その美しい羽を汚す、みにくい心と戦い続けた。
産経抄 産経新聞 5/28
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