「佐々木政談」もしくは「佐々木裁き」という落語がある。南町奉行の佐々木信濃守がお忍びで町へ出かけると、子供たちが裁判ごっこに興じている。観察していると、奉行役で佐々木信濃守を名乗る四郎吉という子供の「裁き」がなかなか立派だ。
そこでホンモノの信濃守は四郎吉と親を奉行所へ呼び、その「知恵」を試してみる。「父と母とどちらが好きか」と問うと、前にある饅頭(まんじゅう)をふたつに割り「どちらが美味(おい)しいか」と逆に尋ねる。ここでもみごとな受け答えで、感心した信濃守は四郎吉を家来に取り立てる。
明日から始まる日本の裁判員制度では、クジで選ばれた一般国民が裁判に参加する。だが、裁判ごっことは違い、こちらは真剣勝負だ。プロの裁判官も加わるとはいえ、「素人」の裁判員が●人や強盗など重要事件の判決まで下さなければならないからである。
当然、裁判員に選ばれた人の心理的負担は大きい。昨秋、裁判員候補が決まった後も辞退希望者が続出したらしい。各種世論調査でも「やりたくない」という人が多い。それだけに、スタート直前になっても「中止」や「先送り」を求める声が収まらなかった。
裁判員のご苦労はわかる。しかし忘れてならないのは、この制度が生まれた背景である。世間知らずとは言わないまでも、司法一筋の裁判官だけでは時として、国民の感覚とはズレた判決が下される。そんな今の裁判制度への批判や不満からだったはずだ。
佐々木信濃守が四郎吉に見いだしたように、国民の間の埋もれた「常識」や「叡智(えいち)」を引き出し、裁判に生かすことができるか。そのことがこの制度の成否のカギを握っている気がする。できないのなら、規定の3年を待たずとも見直すべきだろう。
産経抄 産経新聞 5/20
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge