衣裏珠の八葉蓮華 ≪創価学会 仏壇≫

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脱小沢「青おに」だれかが、ぎせいに、身がわりに、大暴れするぼくを殴れ・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-31 | 産経抄(コラム)

 9月の民主党代表選は「赤と黒」の戦いだと、先日書いた。小沢一郎前幹事長出馬のニュースを聞いて、とうとう小沢氏は「青おに」になれなかったな、との思いも強くする。  

 浜田廣介の名作童話『泣いた赤おに』に出てくるあの「青おに」である。村人と友達になりたいという「赤おに」に、親友の「青おに」が知恵を授ける。村で大暴れするぼくを殴れ。そうすれば、きみは村人の信頼を得られる、と。  

 「きみにすまない」という「赤おに」を諭す、「青おに」のセリフがすばらしい。「なにか、ひとつの、めぼしいことをやりとげるには…だれかが、ぎせいに、身がわりに、なるのでなくちゃ、できないさ。」。今でもこの童話が、道徳の授業で使われる所以(ゆえん)だ。  

 6月の政変で勝利した菅直人首相は、「脱小沢」を打ち出し、世論の支持を得た。小沢氏が今回の代表選でもそれを受け入れ、敵役を演じれば、民主党政権は安泰だったはずだ。もっともそれが、日本にとって望ましいかどうかは別問題。首相は就任以来、日韓併合をめぐる「菅談話」などろくなことをしていない。  

 そもそも「ぎせい」という言葉が、小沢氏の辞書になかった。今の政治経済のありようにご不満のようだが、出馬の本当の理由は、自らの政治生命を守るため、との見方がもっぱらだ。首相になれば、政治とカネの問題での訴追がなくなるとの指摘もある。とすれば、まったくの「私闘」といえる。  

 ともかく「赤おに」と「青おに」の血みどろの戦いは、村人=国民にとっては大迷惑だ。この間に円高株安が進み、日本の国際的な地位の低下も続く。どちらが勝っても、もう「おに」はこりごりということではないか。

産経抄 産経新聞 8/27

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戦没者に感謝の意を示す「終戦の日」近隣諸国と波風を立てない・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-18 | 産経抄(コラム)

 映画にもなった水上勉氏の『五番町夕霧楼』の結末は哀しくも美しい。京都の遊郭に売られた夕子が恋人を失い、病を得て、丹後半島の生まれ故郷で自ら命を絶つ。それが墓地の中の「一本の老朽した百日紅(さるすべり)の根もと」だったのである。  

 水上氏は生前、好きな花樹を聞かれると「百日紅」と答えていたのだという。菱山忠三郎氏の『花木ウォッチング100』によれば、映画化した田坂具隆監督は京都で選んだ百日紅をわざわざ現地に運ばせ移植した。その上でラストシーンを撮ったそうだ。  

 サルスベリと呼ばれるのは、木肌がツルツルして猿も滑りそうだから、百日紅は花期が長いからである。この炎暑をものともせず咲き続けるところは、ちょっと神秘的にさえ見える。水上氏も薄幸の女性を上からやさしく覆ってくれるようなイメージを持ったのだろう。  

 そういえば東京・九段の靖国神社の大鳥居近くでもこの時期、3本のサルスベリが花を咲かせる。地下鉄の九段下駅から階段や坂道を上った所でやさしく迎えてくれる。毎年8月15日、うだるような暑さの中、参拝者たちがホッと一息つき励まされる瞬間である。  

 その靖国神社が明日、65回目の「終戦の日」を迎える。民主党中心の政権になってから初めてである。だが、菅直人首相をはじめ閣僚は誰ひとりとして参拝しないのだという。「A級戦犯が合祀(ごうし)されるなど、閣僚が参拝するには問題が多い」からだそうだ。  

 むろん中国や韓国の反発を恐れてのことだろう。どうやら参拝によって多くの遺族らを励まし、戦没者に感謝の意を示すことよりも、近隣諸国と波風を立てないことの方が大切らしい。サルスベリと比べ、何という冷たさなのだろう。

産経抄 産経新聞 8/14

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子供への移植を海外に頼ってきたが、提供者を増やすために改正・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-17 | 産経抄(コラム)

 心臓の移植を受けた40代の女性が手術後、食べ物の好みが変わり、性格が男っぽくなった。心臓を提供したドナーの家族を捜し出すと、バイク事故で脳シになった18歳の若者の嗜好(しこう)と一致していることがわかる。  

 いわゆる「記憶する心臓」の事例が、アメリカで報告されている。似たような話が、二千数百年前の中国でもあったことを、加藤徹さんの『怪力乱神』(中央公論新社)で教えられた。  

 魯(ろ)の公扈(こうこ)と趙(ちょう)の斉嬰(さいえい)の2人が病気になり、名医の扁鵲(へんじゃく)の治療を受けた。扁鵲は、2人の心臓を交換するとちょうどいいと考え、手術を行う。斉嬰の心臓を移植された公扈は、斉嬰の家に、公扈の心臓を移植された斉嬰は、公扈の家に帰った。驚いた両家の家族は、扁鵲の説明を聞いて、ようやく納得したという。  

 臓器提供者を増やすために改正された、臓器移植法が施行された。日本は子供への移植を海外に頼ってきたが、家族の同意によって15歳未満の子供からの臓器提供が可能になった。それに伴い、18歳未満のドナーから提供された心臓を、同じ18歳未満の、移植を希望する患者に優先的に提供するルールを設けることになった。  

 海外のデータによれば、子供から子供への移植の方が生存率が高いのが、大きな理由だ。子供の心臓を提供する親の心情を考慮に入れるべきだ、との声も専門家の間で上がったらしい。  

 「記憶する心臓」に、医学的根拠はない。ただ脳の機能が知られるようになるまで、心臓に心が宿っていると、人は信じてきた。「胸の内」といった言葉はその名残といえる。特別な臓器だからこそ、同じ年ごろの子供のために役立てたい。そんな親の気持ちは、わかりすぎるほどわかる。

産経抄 産経新聞 8/13

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連日熱戦が続いている「甲子園」まんがや書道、俳句・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-14 | 産経抄(コラム)

 甲子園では、連日熱戦が続いている。最近では、まんがや書道などの大会でも、「甲子園」の呼称を使うようになった。正岡子規や高浜虚子らを輩出している松山市で、平成10年から開催されている「俳句甲子園」も、そのひとつだ。  

 競技は両チームが赤、白に分かれ、剣道の団体戦のように、先鋒(せんぽう)、次鋒、中堅、副将、大将の5人が対戦する。互いの句が示された後、作品をめぐって討論を行うのがこの大会の特徴だ。創作力と鑑賞力の2つの観点から、13人の審査員が評価して、赤、白どちらかの旗を挙げる。  

 8日行われた決勝戦に進出したのは、東京の開成高校Aチームと沖縄県立首里高校だった。この日の兼題は、「白」である。取材した小紙松山支局の黒河仁朗(きみお)記者によれば、作品の見事さもさることながら、相手の作品をけなすことなく、ユーモアあふれる討論のやりとりに感心したという。  

 勝負の分かれ目は、開成の2勝1敗で迎えた副将戦だった。開成の句は、「陶枕(とうちん)の全(まった)き白に小さき罅(ひび)」。「陶枕」の意味がわからないという首里側に対して開成の主将は、「ここに取りいでましたるは…」と、陶磁製の枕を取り出して爆笑を誘った。  

 開成の優勝が決まった後、審査員の一人、俳人の中原道夫さんは句を絶賛して、自分の陶枕を差し上げると申し出た。すると作者が「かたじけない」と応じて、また会場を沸かす。大将戦は、首里の「白地図に国境引くや沖縄忌」に軍配が上がった。  

 生涯で2万を超える俳句を詠んだ子規は、ちゃめっ気たっぷりの人柄で、友人たちとの句会を何より好んだという。審査員にぴったりだ。野球好きでもあったから、本物の甲子園も堪能しただろうし。

産経抄 産経新聞 8/10

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「無縁社会」生死がわからない高齢者の数がどれほどになるのか・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-10 | 産経抄(コラム)

 町はずれの古びた家に1人で住むおじいさんは、先が長くなさそうだ。人間のシに興味を持った小学6年生の3人組が、夏休みに「見張り」を始める。ところが、おじいさんはなぜか元気になっていき、やがて子供たちとの間に友情が芽生える。  

 平成4年に刊行された『夏の庭』は、100万部を超えるベストセラーとなり、映画や舞台にもなった。しかし現実には、赤の他人の小学生からはもちろん、子や孫、兄弟姉妹からの「見張り」もない高齢者も少なくない。役所の記録に名前を残すだけという、そんな人たちの存在がクローズアップされている。  

 きっかけは、東京都足立区で、111歳の男性とみられる白骨遺体が見つかった事件だった。全国の自治体が100歳以上の男女の所在を確認すると、不明の報告が相次いだ。100歳の枠をはずせば、所在、生シがわからない高齢者の数がどれほどになるのか、想像もつかない。  

 どうやら日本は「長寿大国」の代わりに、「無縁社会」の看板を出す時期が来たようだ。『夏の庭』の著者、湯本香樹実(かずみ)さんは7歳のときに、母方の祖父を亡くした。酒好きで、身の回りに頓着しない生前の祖父を、どこかうとんじていたという。  

 20年以上たって、祖父の記憶がどんどん蘇(よみがえ)ってくるようになり、処女作となったこの作品を書き上げた。湯本さんは、さまざまなことをおじいさんから学び、そのシを見届けた3人組の1人に、こう言わせる。  

 「オレたち、あの世に知り合いがいるんだ」。この世に「知り合い」を遺(のこ)さず、所在不明のまま亡くなった人は、今ごろ困っているに違いない。お盆の季節だというのに、帰るべき家がどこにも見つからないのだから。

産経抄 産経新聞 8/5

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山の怖さ「登山ブーム」救助されて当たり前という風潮をなくすために・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-08 | 産経抄(コラム)

 「現場に生存者がいました。4人の生存者がいたもようです」。昭和60年8月13日、フジテレビの「ニュースレポート11・30」の冒頭、露木茂アナウンサーの声は震えていた。画面には、担架で運ばれる川上慶子さんらの姿が映し出されている。  

 日航ジャンボ機が墜落した、御巣鷹の尾根からの、スクープ映像だった。乗客乗員524人全員が絶望視されていただけに、どれほど多くの人が感動の涙を流したことか。御巣鷹山には小欄の同僚も、背広、革靴のいでたちでよじ登った。  

 記者が困難を乗り越えて現場をめざすのは、本能のようなものだ。埼玉県秩父市のヘリコプター墜落現場に向かった日本テレビの記者、カメラマンの心情も十分理解できる。ただ、現地にくわしいガイドと別れて、山に戻った判断はどうだったか。  

 先月25日に女性が滝つぼで滑落シし、救助に向かったヘリの事故に続いて、2人が遭難シする最悪の事態となった。山の怖さを改めて思い知らされる。警察庁によると、山岳遭難は過去10年間増え続け、昨年は1676件だった。無謀な登山も目立つ。  

 先月はじめには、軽装で富士山に登った登山客から「寒くて動けない」との119番通報が入り、保護した救助隊員から、一喝されるケースもあった。救助ヘリの出動も増えているが、なかには、タクシー代わりに呼びつける不心得者もいるそうだ。  

 山岳遭難にくわしい羽根田治さんは、救助されて当たり前という風潮をなくすために、警察や消防のヘリコプターによる救助費用を有料化して自己負担させよと、『ウェッジ』8月号の特集記事で主張している。登山ブームを牽引(けんいん)する中高年層の自覚を促す、有力な案だと思う。

産経抄 産経新聞 8/3

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縁は異なもの、味なもの「おかしい」異様な出来事が続く・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-07 | 産経抄(コラム)

 2カ月ほど前の大阪版「夕焼けエッセー」欄で、京都府木津川市に住む68歳の男性が、小学4年生の夏休みの思い出を綴(つづ)っていた。遊び疲れて家に帰ると、おっちゃんが縁側で待ちかまえている。「さぁ、一番やるか」。へぼ将棋の始まりだった。  

 縁側に腰掛けて、スイカにかぶりついた少年時代が、よみがえってくるようだ。もちろん縁側は、子供たちの独占物ではない。お年寄りが庭を眺めたり、孫の子守をしたりしながら、一日を過ごす場所でもあった。通りがかりの近所の人とのおしゃべりも楽しみだった。  

 「縁は異なもの、味なもの」という言葉がある。男女の縁の不思議さ面白さだけでなく、縁側にもあてはまると、建築家の清家清は指摘する(『やすらぎの住居学』情報センター出版局)。いったい室内なのか外部空間なのか判然としないところが、「異」であり「味」だというのだ。  

 そんな縁側も見かけなくなって久しい。人と人との縁も薄れてしまった。大阪市西区のマンションでは、23歳の母親が3歳と1歳の幼い姉弟を置き去りにして餓シさせる事件があった。激しい泣き声を聞いた住民が、児童相談所や警察に通報したにもかかわらず、扉が開けられることはなかった。  

 東京都足立区の民家では、生きていれば111歳になる男性の遺体が見つかった。約30年前にシ亡していた疑いがある。高さ2メートルのコンクリート塀の外では、近所の住民が「おかしい」とうわさしていた。  

 縁側は、自然か人工物か判然としないという意味で、農山村の暮らしに密着した「里山」に似ている。里山の荒廃が、山の獣を人里に呼び寄せているように、縁側のない世の中で、異様な出来事が続く。

産経抄 産経新聞 8/2

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政権交代後の「おごり」消費税発言のせいにした方が楽・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-05 | 産経抄(コラム)

 明治28年、日清戦争に勝った日本は清国から台湾の割譲を受けた。このことが決まった下関講和会議の席で、清の李鴻章全権は日本の伊藤博文に捨てぜりふのように「忠告」したそうだ。「貴国は台湾で阿片(あへん)に手を焼くよ」と。  

 事実、台湾統治を始めた日本の総督府は、土着の武装集団の抵抗とともに、阿片吸引という悪習への対策に追われた。それならば昨年の総選挙で政権を明け渡した自民党も、民主党に「消費税では手を焼くよ」と忠告すべきだったかもしれない。敗者として懐の広さがあったらだが。  

 自民党も選挙のたびに消費税導入や税率アップで何度か泣かされた。民主党もまた菅直人首相の「唐突な」消費税発言で参院選に大敗した。少なくとも首相自身を含め民主党はそう総括しているからだ。だが本当に消費税のせいだけだったのだろうか。  

 確かにあの発言以来内閣支持率は下がった。しかしそれは、首相交代による「ご祝儀」支持率が元に戻ったとの見方もできる。世論調査では消費税論議自体には賛成も多い。普天間問題の迷走や「政治とカネ」が敗因に加わっていないのはどう見てもおかしい。  

 一方でハタと膝(ひざ)を打つニュースもあった。厚生労働省が職員に行ったアンケートで、大臣ら政務三役に「おごりを感じる」人が48%もいたというのだ。「脱官僚」への腹いせもあるだろうが、国民が政権交代後の民主党に感じていることを代弁したと言っていい。  

 敗因の一部は間違いなく「おごり」などの政治姿勢にあった。そのことを認めるのは民主党の人たちにとって苦痛だろう。消費税発言のせいにした方が楽だ。だがそこに反省がない限り、民主党にも日本の政治にも明日はない。

産経抄 産経新聞 7/31

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参院議員の任期満了の前日、執行命令書に署名し、立ち会った・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-04 | 産経抄(コラム)

 平成5年3月、後藤田正晴法相が3年4カ月ぶりにシ刑執行に踏み切ったと、当時のメディアは一斉に報じた。法相はシ刑廃止論に同調していると思われていたから、驚きの声が上がった。  

 秘書官によると、前年末の法相就任以来、自宅に関係図書を何冊も持ち帰り、この問題を考え続けていたようだ。その上で下した決断は明快だった。参院法務委員会で、シ刑廃止論者の野党議員の質問にこう答えている。  

 「法相が個人的な思想信条で(執行命令を)しないとなれば、初めから大臣就任が間違いだ」。シ刑に背を向けた過去の大臣への批判でもある。「カミソリ後藤田」の面目躍如たるものがあった。  

 ただ法務省はシ刑執行の事実を表向きには明らかにできない。後藤田もあくまで「一般論」と、ことわらなければならなかった。シ刑囚の名前と犯罪事実を公表するようになったのは、鳩山邦夫法相からだ。「シ刑の自動化」発言では批判を浴びたが、情報公開の道を開いたことは評価していい。  

 千葉景子法相が28日朝、2シ刑囚のシ刑執行を発表した記者会見には、驚いた。失礼ながら、参院選落選を受けての引退会見かと早とちりしたせいもあるが、まさか拘置所で刑の執行に立ち会ったとは。千葉氏は筋金入りのシ刑廃止論者だ。昨年9月の法相就任以来、一度もシ刑を執行しなかったというのに、参院議員の任期満了の前日、執行命令書に署名した理由は何か、理解に苦しむ。  

 「法相が執行しなくては、法秩序、国家の基本がゆるがせになる」と後藤田は答弁を続けた。国家の基本に対するこのような覚悟が感じられないから、千葉法相の振るまいが、どうしても「パフォーマンス」に見えてしまう。

経抄 産経新聞 7/30

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相手と「し合う」関係を重んじる日本人の美徳・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-03 | 八葉蓮華

 「幸せ」を昔は「仕合わせ」と書く人が多かった、と以前に書いた。相手と「し合う」関係を重んじるのは、日本人の美徳のひとつだ。もっとも民主党政権になって、中国、韓国の主張に「合わせすぎる」外交が目立つ。  

 平成22年版防衛白書の閣議了承を先送りした政府の決定も不可解だ。すでに4年前の白書から、韓国が不法占拠を続ける竹島については、「領土問題が未解決のまま存在」と明記している。韓国側の反発は織り込み済みのはずではないか。  

 日韓併合100年を迎える8月29日を、ことさら意識する理由がわからない。雑誌『正論』9月号で、小紙ソウル支局長の黒田勝弘記者が書いている「左翼学者たちが画策する『菅談話』を許すな」を読んで、やっと合点がいった。  

 日本ではほとんど話題にならない「併合100年」を、韓国メディアは年初から盛り上げてきた。お先棒をかついでいるのが、例によって日本の左翼文化人たちだ。日本に新たな謝罪を求めて、5月に日韓で発表された「知識人共同声明」の日本側の署名者には、和田春樹さんらおなじみの名前が並んでいる。  

 彼らが狙っているのが、戦後50周年の「村山談話」にならったそれ以上の「菅談話」だと、黒田記者はみている。今回の日本政府の「配慮」は、韓国側の期待をさらに高めたに違いない。  

 菅直人首相は、北方領土の早期解決を訴える元居住者3世の子供たちにも、会おうとしなかった。国家主権や領土に対して冷淡な姿勢が目立つだけに、後々まで厄災を及ぼす談話を発表しないか、心配だ。「合う」「合わせる」には、戦うという意味もある。相手国のいいなりになるだけでは、「仕合わせ」にはならない。

経抄 産経新聞 7/29

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「ねじれ国会」多様化の時代なんやから、ややこしいのに慣れんと・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-01 | 産経抄(コラム)

 亡くなった森毅(つよし)さん(82)のあだ名「一刀斎」の由来は、細長い顔が、剣豪作家の五味康祐に似ていたからという。五味には、戦国時代に活躍した伊藤一刀斎の子孫が、プロ野球で活躍する作品がある。あるいは、論評の切れ味の鋭さから、付けられたのかもしれない。  

 ただ森さん自身は、自分は「多刀流」なのになあ、との感想を漏らしている。本職は、「関数空間の解析の位相的研究」を専攻する数学者だったが、何より「一途(いちず)になる」のが苦手だった。  

 京大教授在任中からテレビ番組に出演して、時事問題をユーモアたっぷりに論じて人気を博す。旧制三高時代は歌舞伎や宝塚に熱中する軟派だったから、何の抵抗もなかった。  

 京大に全共闘の嵐が吹き荒れたころ、森さんは「一匹コウモリ」を決め込んだ。つまり当局系、全共闘系、民青系すべてに顔を突っ込んだ。その過労で入院すると、各派の幹部が時間をずらして見舞いに来て、「ここへ来ると、全体の状況がよくわかります」と言ったという。  

 そんな経験から、現在の「ねじれ国会」にも楽観的だった。「多様化の時代なんやから、ややこしいのに慣れんと」と語っている。ただ、今の政界に、森さんのような行動力を伴った知恵者がいないのが、最大の問題といえる。  

 昨年2月に自宅でオムレツを調理中、服に火が移って大やけどを負い、ずっと入院中だった。フライパンを揺らしたり、傾けたりと、大層骨が折れる料理を、80歳を超えた老数学者がなぜ、との問いかけは森さんに失礼だろう。「老人の自立とは、自由を獲得すること」とも述べていた。ご本人としては、著作の題にもした「ま、しゃあないか」というところか。

産経抄 産経新聞 7/27

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