傀儡(かいらい)は「くぐつ」とも読む。どちらにせよ、操り人形のことである。起源は古いようだが、江戸時代、傀儡師と呼ばれる芸人が首からつるした箱の上で人形を操って見せたのだそうだ。転じて「人に操られその意のままに動く者」という意味になった。
近代になると「傀儡政権」という言葉も生まれた。『広辞苑』には、その例としてわざわざ「かつての満州国」などが示してある。言うまでもなく、日本の関東軍が満州(現中国東北部)を支配した後、その地に昭和7(1932)年、建国が宣言された国である。
立国に携わった日本人の中には「理想の国」の夢を求めた人も多かった。しかし政治の中枢は日本の官僚らが占め、関東軍の介入も多く、国際的には「日本の傀儡」と見られた。このことから満州国は国際社会から認知されず、逆に日本を孤立に導いていった。
「傀儡」というのは、政治の場ではそれほど重い意味を持っている。それなのに先日の民主党代表選で、鳩山由紀夫氏の口から軽い調子でこの言葉が出たのには驚いた。出馬にさいしての記者会見で、「小沢氏の傀儡と呼ばれるつもりは一切ありません」と語ったのだ。
辞任した小沢一郎前代表は、後任を鳩山氏にすべく動いたといわれる。鳩山代表が実現した後は選挙担当の代表代行に就任した。党内での2人の力関係は、これまでと変わらないとの見方もある。鳩山氏の発言は事前にそのことを強く意識したのだろう。
だが考えてみれば「私は誰それの操り人形だ」と、認める人などいない。野党の党首ならともかく、首相を目指すのであれば、行動でその「疑い」を晴らすしかない。この世界で「傀儡」と断定されることは、政治生命を失うに等しいからである。
産経抄 産経新聞 5/23
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