衣裏珠の八葉蓮華 ≪創価学会 仏壇≫

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「日本人の苦手な習慣」徹底した議論の末に結論を出す・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-30 | 産経抄(コラム)
「日本人の苦手な習慣」徹底した議論の末に結論を出す・・・  産経抄 八葉蓮華
 陳腐だと叱(しか)られるかもしれないが、裁判員制度のこととなると、どうしても米映画『十二人の怒れる男』を思い出す。殺人容疑の少年をめぐり、陪審員に選ばれた人たちが密室状態で有罪か無罪かの議論をする。異色の裁判映画だった。▼日本の裁判員制度でもそうするらしいが、互いに見ず知らずの陪審員たちは番号で呼ばれる。有罪で早く片づけたい他の陪審員に対しヘンリー・フォンダの「8番」だけが無罪の可能性にこだわる。息詰まるような議論を経て、とうとう12人全員一致で無罪の評決を出すのだ。 ▼その結論より印象に残っているのがラストシーンである。議論で最も激しく対立した「3番」と「8番」とが、すべて終わり裁判所を出たところで初めて名乗り合い、握手して左右に別れる。戦後の日本ではなじみの薄い陪審制度とはそんなものかと思った記憶がある。 ▼この陪審制度にならった日本の裁判員制度が半年ほどでスタートする。全国で30万人近い裁判員候補には早ければ昨日あたり、通知が届いているはずだ。その中から来年の裁判員が選ばれる。「裁判員になれば仕事ができなくなる」と戸惑っている人も多いだろう。 ▼そうでなくとも、制度に対する理解度はまだまだのようだ。そもそも「素人」が凶悪事件を公正に裁けるのか。刑がこれまでより重くなるのか、軽くなるのか。それもやってみないとわからない。これほどベールに包まれたままの新制度というのも珍しい。 ▼ただ、現代人にとって、見知らぬ者同士がコミュニケーションを図る機会にはなるのかもしれない。徹底した議論の末に結論を出すという、日本人の苦手な習慣が身につく可能性だってある。「3番」と「8番」のドラマを少し期待してみたい。

産経抄 産経新聞 11/30

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いつ降りかかってくるかわからない理不尽な悪意・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-29 | 産経抄(コラム)
いつ降りかかってくるかわからない理不尽な悪意・・・  産経抄 八葉蓮華
 世界は悪意に満ちている。インドの商都・ムンバイで起きた同時多発テロでは、日本人ビジネスマンらなんの落ち度もない多くの人々が凶弾に倒れた。絶望的になるのは、残虐な殺人犯たちが「正義の戦い」を自分たちはやっているのだと信じて疑わないことだ。 ▼いくら人殺しは良くない、テロは憎しみを増幅させるだけだ、と異教徒のわれわれが説いても狂信者の耳には届くまい。平和なこの国にできるのは、いつ降りかかってくるかわからない理不尽な悪意からわが身を守ることくらいしかない。 ▼残念ながら北朝鮮も「話せばわかる」相手ではない。たいした理由もなく、韓国と北朝鮮を結ぶ京義線の直通貨物列車の運行を打ち切った。来月8日から核問題に関する6カ国協議が再開されるが、譲歩するそぶりさえみせていない。 ▼にもかかわらず、北に甘く日本に厳しい米国のヒル国務次官補は、北朝鮮の核申告に対する検証手続きを曖昧(あいまい)なままで決着させようとしているようだ。このままでは、北の核兵器「保有」を黙認させられ、カネも重油もふんだくられかねない。 ▼なぜ金正日総書記は核兵器を持ちたがるのか。航空自衛隊の田母神俊雄・前幕僚長は、1発でも米国に届く核ミサイルを北朝鮮が開発すれば、「(米が)武力で制圧するのは、絶対できなくなるから」と小紙のインタビューに明快に答えている。 ▼「核兵器を持たない国は持った国の意思に従属させられる」という田母神氏の指摘は一面の真理を突いている。むしろこちらで論文を書いてもらいたかったが、悪意ある隣人が核兵器保有を黙認されればどうなるか。日米同盟の根幹を揺るがしかねないヒル氏の功名心にかられた暴走を外務省は全力で止めてほしい。

産経抄 産経新聞 11/29

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大規模なテロが発生 「非暴力」の思想を見直す機運・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-28 | 産経抄(コラム)
大規模なテロが発生 「非暴力」の思想を見直す機運・・・  産経抄 八葉蓮華
 インドが英国から独立を果たした1947年8月15日、盛大に行われた式典に、「独立運動の父」マハトマ・ガンジーの姿はなかった。パキスタンとの分離に最後まで反対していたガンジーは、たった一人で、ヒンズーとイスラムの和解を訴え続けた。狂信的なヒンズー教徒の凶弾に倒れたのは、それから半年後だ。 ▼南アフリカで人種差別反対闘争を指導してきたガンジーは、46歳で故国に帰ってきた。まもなく、アヒンサ(不殺生)の思想に基づいた不服従運動を始めるが、英国は当初、それほど“危険人物”とみなしていなかった。あのチャーチルでさえ、腰衣だけを身にまとったガンジーを、「半裸体の乞食(こじき)僧」とあざ笑っていたという。 ▼その後の活躍は、読者の多くが子供のころ親しんだ、偉人伝でおなじみだろう。英国から流入する布地を燃やして、自分たちで糸車を回して、布を織ろうと呼びかけた。投獄と釈放が繰り返され、英国への憎しみが暴力に転じると、断食でいさめた。 ▼ガンジーが活動拠点にしたのが、西部の商都ボンベイだ。今はムンバイと名前を変えたが、ガンジー博物館があり、ひ孫らが暮らす。26日の夜、大規模なテロが発生したのは、そんなガンジーゆかりの土地だった。ホテルや病院、駅などが同時に爆弾や銃撃で攻撃され、流血に染まった。 ▼独立後のインドは、政情不安に悩みながらも、「世界最大の民主主義国家」の地位を守り、驚異的な経済成長を遂げてきた。一方で、対パキスタン戦争、宗教間対立、核兵器開発と、「力の論理」に頼る国造りでもあった。 ▼没後60年を迎え、ガンジーの「非暴力」の思想を見直す機運が高まりつつあった。それをあざ笑う、テロリストの跳梁(ちょうりょう)を許してはならない。

産経抄 産経新聞 11/28

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多くの魚が、将来日本人の口に入らなくなる・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-27 | 産経抄(コラム)
多くの魚が、将来日本人の口に入らなくなる・・・  産経抄 八葉蓮華
東京・六本木の寿司(すし)屋で、山口瞳が三島由紀夫とばったり会ったときのことだ。自決から3年ほど前だった。三島は何度もトロを注文していた。というより、トロしか口にしなかった。 ▼山口によれば、仕入れ値の高いものばかりを食べられると、店はかえってもうからない。目玉商品が売り切れてしまえば、店じまいだ。トロを握る職人の、「ちょっと困ったような表情も忘れることが出来ない」と、エッセーに書いていた。 ▼日本人とマグロの付き合いは長い。「万葉集」や「日本書紀」にも記述がある。寿司ネタになったのは、江戸後期になってからだ。冷凍技術の発達によって、今や世界中の海で取れたマグロが、日本に入ってくる。特に最高級の「クロマグロ」は、その8割近くを消費してきた。 ▼一方で、「魚離れ」も同時に進んでいる。アジやサバ、各地で親しまれてきた「雑魚」を食卓に載せる家庭が減ってきた。丸ごと調理したり、食べるとき骨を除く手間が嫌われているらしい。世界の海を、寿司屋のネタ入れケースにたとえれば、日本人は三島と同じようなマグロの食べ方をしていたことになる。 ▼もっとも、そんな贅沢(ぜいたく)は許されなくなった。乱獲によって個体数が激減した、東大西洋のクロマグロの漁獲枠を、現行から約2割減らすことが決まった。山口は世事に疎い三島を、寿司屋のマナーを知らなかっただけ、とかばった。しかし、日本の消費者は、「知らない」ではすみそうにない。 ▼欧米や中国で魚の需要が拡大し、輸入価格が上がっているのに、国内の漁業は、燃料費の高騰や水揚げ減少にあえいでいる。マグロに限らず多くの魚が、将来日本人の口に入らなくなる可能性さえ、一部の専門家は指摘している。

産経抄 産経新聞 11/27

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「話しあい」というものはそもそも出来ないものだ・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-26 | 産経抄(コラム)
「話しあい」というものはそもそも出来ないものだ・・・  産経抄 八葉蓮華
6年前に世を去った山本夏彦翁は、「話しあい」というものはそもそも出来ないものだ、それを出来るように言いふらして信じさせたのは教育である、と喝破した。元厚生次官ら連続殺傷事件容疑者の理解不能な言い草を聞いていると残念ながら反論のしようがない。 ▼まともに「話しあい」ができないのは政治の世界も同じだ。麻生太郎首相は、記者相手に「やっぱりこの人の話、アブねぇなぁと思うんじゃないか」と党首会談で第2次補正予算案審議に応じる意向を示した民主党の小沢一郎代表を「信用できない」とこきおろした。 ▼昨年秋、自民党との大連立失敗の責任をとって党首を辞めると大見えを切ったのに、居座ったことが頭をよぎったのだろうが、政治家の言葉とも思えない。「信用できない」人や組織、国と渡りあえずして政治家は務まらないはずだ。 ▼小沢氏もあえて首相に反論せず、黙っていれば男があがったろうが、まだまだお若い。珍しく日曜朝のNHK番組に緊急出演し、「チンピラのいいがかりみたいな話」とまくしたて、一国の首相を不良少年扱いにした。 ▼子供のケンカ並みだが、ご両人の言葉の汚さには怒りよりも哀(かな)しさを感じる。政治家には教養が必要だ、とお説教を垂れるつもりはないが、首相や小沢氏の大好きなマンガには心に響くセリフが星の数ほどちりばめられているのに。 ▼米大統領選で、オバマ氏の演説に多くの人々が涙したが、この国では政治家の話を聞いて泣いている人を見たことがない(選挙で落選したときは別だが)。言葉は政治家にとって最大の武器のはずだが、使用を自粛しているのだろう。「問答は有用だ」と夏彦翁をうならせる政治家を待望するのは無理な相談とはわかっているのだが。

産経抄 産経新聞 11/26

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自分の身を自分で守ろうとする人が増える・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-25 | 産経抄(コラム)
自分の身を自分で守ろうとする人が増える・・・  産経抄 八葉蓮華
APEC首脳会議が開かれた南米ペルーの首都、リマを十数年前訪れたとき、一番驚いたのが、住民が檻(おり)の中で暮らしていたことだ。お金持ちが住んでいそうな住宅は、例外なく鉄格子に囲まれていた。 ▼その背景には、郊外の貧民街で暮らす人たちと、一握りの富裕層との、格差なんてなまやさしい言葉では不十分なほどの隔たりがある。政情の不安も相まって、極度に治安が悪化していた。そのときは、日本とは無縁の風景だと、思っていたのだが。 ▼元厚生次官やその妻が連続して襲われた事件で、どうしてもわからないのが、容疑者とみられる男(46)の犯行の動機だ。少年時代にペットが保健所で殺処分されたことに対する「仇(あだ)討ち」だと、警視庁に出頭する前に一部の報道機関に、メールで知らせていた。 ▼警視庁への供述とも一致しているというが、小欄はとてもまじめに受け取る気になれない。今年は無差別に人を襲う凶悪な犯罪が次々と起こった。「誰でもいいから、殺したかった」。キーワードになったのが、容疑者の身勝手極まる言葉だ。今回の事件をみていると、動機はなんでもよかったのではないか、とまで思えてくる。 ▼常識では考えられない事件がこのまま続くようなら、自分の身を自分で守ろうとする人が増えることだろう。米国では、部外者の侵入を防ぐために、近隣地区を高いフェンスで取り囲み、守衛の常駐するゲート(出入り口)は、住民と訪問者しか通さない住宅地が、5万カ所以上もあるそうだ。 ▼「ゲーテッド・コミュニティー」と呼ばれている。日本でも、「ゲーテッド型」を売り物にするマンションが登場している。社会全体で犯罪と立ち向かう、そんな気概が失われる兆候でなければいいが。

産経抄 産経新聞 11/25

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歪んだエゴチズム(自己顕示)の背景・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-24 | 産経抄(コラム)
歪んだエゴチズム(自己顕示)の背景・・・  産経抄 八葉蓮華
皇居の桜田門といえば、幕末にその近くで大老・井伊直弼が暗殺されたことで知られる。今はその門の向かい側に、東京の治安を預かる警視庁の本部がある。だから警察関係者やマスコミの間で「桜田門」と言えば、警視庁のことを指している。 ▼その「桜田門」の玄関口に一昨日の夜、46歳の男が車で乗りつけた。「おれが事務次官を殺した」と。車の中には血の付いた2本のナイフをはじめ、犯行に使ったらしいスニーカーや、段ボール箱まで「証拠品」一式をそろえていた。警視庁中が大騒ぎになったという。 ▼言うまでもなく元厚生次官らの連続殺傷事件である。だが、こんな用意周到な犯人の「自首」というのはあまり聞いたことがない。難航を覚悟していた捜査陣もさぞや、驚いたことだろう。それにしても、なぜ出頭してきたのが、警視庁だったのだろう。 ▼さいたま市の自宅近くの交番でもいいし、捜査本部が置かれている警察署でもよかったはずだ。それをわざわざ都心の「桜田門」まで出てきた。全国の警察機構の象徴的存在である警視庁に自首することで、より注目を浴びたかったのではないか。そんな気さえする。 ▼男は「ペットを保健所に殺されて恨みに思った」と語ったともいう。しかし、それがなぜ元厚生次官を狙うことになったのか。これもよくわからない。もし歪(ゆが)んだエゴチズム(自己顕示)で、官僚トップを選んだというのであれば、たまったものではないが。 ▼大正10年の原敬首相暗殺事件では、18歳の鉄道員の単独犯行として処理された。しかしそれから何十年もたって猪瀬直樹氏がこれを否定、背景に原と守旧派の対立があったことを明らかにしている。後世に悔いを残さぬためにも徹底して調べることだ。

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私が日本を捨てたのではない。捨てられたのだ・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-23 | 産経抄(コラム)
私が日本を捨てたのではない。捨てられたのだ・・・  産経抄 八葉蓮華
「私が日本を捨てたのではない。捨てられたのだ」。「パリで最も有名な日本人画家」だった藤田嗣治(つぐはる)は晩年、君代夫人に何度も愚痴(ぐち)をこぼした。1949年に日本を離れてから、1度も帰国していない。 ▼55年にフランス国籍を取得、4年後にカトリックの洗礼を受けて、レオナール・フジタとなった。戦争中日本に戻っていたとき、軍の要請で戦争記録画を多数描いたことで、戦後「戦争協力者」として非難され、深い心の傷を負った。ただ、フランスへの帰化を決意したのは、それだけが理由ではないらしい。 ▼戦前からすでに、エコール・ド・パリ(パリ派)の代表的な画家として、名声を得ていたにもかかわらず、日本画壇の評価は低かった。おかっぱ頭にちょびひげという独特のスタイルや、5回の結婚に対する偏見も強かった。 ▼大宅賞を受賞した『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(近藤史人著)などによって、その実像が伝えられ、大規模な展覧会が日本で開催されるようになったのは、最近のことだ。今、上野の森美術館では、没後40年を記念して「レオナール・フジタ展」が開かれている。 ▼初期から晩年までの作品約230点のなかには、「すばらしき乳白色」と絶賛された裸婦像や長く幻の大作とされてきた「構図」「争闘」なども含まれている。小欄のお気に入りは、猫やライオン、馬など動物を描いた作品だ。躍動感あふれる筆致は、国宝の「鳥獣戯画」を思わせる。藤田が日本画の伝統技法を駆使していたことは、専門家たちの常識だ。 ▼君代夫人によると、藤田がパリ郊外のアトリエで、繰り返し聴いていたのは、広沢虎造の浪曲「森の石松」だった。食事も和食ばかり。やはり藤田が日本を捨てたことはなかった。

産経抄 産経新聞 11/23

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子供たちが夢いっぱいに仕事を手伝えたころ・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-22 | 産経抄(コラム)
子供たちが夢いっぱいに仕事を手伝えたころ・・・  産経抄 八葉蓮華
ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』でもおなじみの煙突掃除屋は、暖炉を使う欧米では欠かせない職業だ。特にドイツで黒い服を着た職人が屋根に上って働く姿は風物詩でもあった。そのドイツの煙突掃除の世界が様変わりしそうだという。 ▼これまでの「煙突掃除法」では、国内は業界によって8000近い「煙突掃除区」に分けられていた。各家庭が掃除をする場合はその地区の職人に頼まなければならなかった。この結果「屋根の上」は事実上、従来の職人に独占され、外国人などは締め出されてきたそうだ。 ▼しかしそれでは競争原理が働かない。自然と職人のサービスも悪くなり、国内でも批判が高まっていた。そこへ、職業の「門戸開放」を求める他のEU諸国からの圧力も加わった。とうとうドイツの議会が法律を改正、外国人も参入できるようになった。 ▼ポーランドの職人たちなど早速「安い賃金で」と進出を狙っているそうだ。そんな外国の職人やドイツの国民にとっては結構な話に違いない。これも近代化なのだろう。その一方で、独占により培われてきた伝統の「職人技」が薄れはしないか、他国のこととはいえ気になる。 ▼もっともそれよりずっと前、煙突掃除は子供たちの仕事でもあったそうだ。大人たちが「煙突が汚いとサンタクロースが来てくれないよ」と手伝わせたという。サンタが煙突を伝ってくる「伝説」も、そのために生まれたという話を聞いたことがある。 ▼今やすっかりプロの仕事になってしまった。子供に屋根の上の危険な仕事をさせることなど考えられない時代だろう。それでも、子供たちが夢いっぱいに仕事を手伝えたころには、小学生の暴力やイジメなどまったく問題にならなかった気がする。

産経抄 産経新聞 11/22

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テロや凶悪犯罪を恐れるな、いっしょに戦おう・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-21 | 産経抄(コラム)
テロや凶悪犯罪を恐れるな、いっしょに戦おう・・・  産経抄 八葉蓮華
昭和46(1971)年は、警視庁にとって悪夢のような年だった。内では警察官の不祥事が相次ぎ、外では過激派による爆弾闘争がエスカレートしていた。12月18日には、警視庁立て直しに奔走していた土田国保警務部長の自宅で、妻の民子さんが開けた小包が爆発する。 ▼民子さんは即死、四男が重傷を負った。事件の翌日、記者会見を開いた土田さんは、事件をものともせずに、首都の治安につくす決意を淡々と述べた。ただ一度だけ、声のトーンを上げて、犯人に言い放った。「君らは卑怯(ひきょう)だ」。記者席からすすり泣く声が漏れた。 ▼元厚生事務次官宅を次々に襲うという、前代未聞の犯行の残虐さが次第に明らかになってきた。土田邸爆破事件では、逮捕された人たちが1審、2審とも無罪となり、検察は上告を断念する結果となった。警察には、同じ轍(てつ)を踏まないように奮起を促したい。 ▼その一方で、今こそ、土田さんのような、リーダーが現れてほしいと、願ってやまない。テロや凶悪犯罪を恐れるな、いっしょに戦おうと、社会に呼びかけてほしいからだ。麻生太郎首相はじめ、政治家の口から次々と憤りの声が上がってはいるものの、心に響くものがない。 ▼それどころか、厚労省の仕事を評価しないマスコミに、責任の一端があるかのような、筋違いの発言まで飛び出した。土田さんが警視総監になって3カ月後の50年5月、警視庁は連続企業爆破事件で一斉検挙に踏み切り、小紙がそれをスクープした。 ▼前日土田さん宅を訪ねた記者に、うそをついてでも、記事を差し止めるべきだったと、後日警察幹部から批判が出たという。しかし、権力の都合で報道が左右されるべきではない。土田さんのそんな信念は揺るがなかった。

産経抄 産経新聞 11/21

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「いいことをやっている」 相手を許すということを知りません・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-20 | 産経抄(コラム)
「いいことをやっている」 相手を許すということを知りません・・・  産経抄 八葉蓮華
キリシタン殉教者の列福式が24日、日本では初めて、長崎市で行われる。その実現のために奔走し、参列を楽しみにしていた結城了悟(りょうご)神父が今月17日、86歳で亡くなった。結城神父の最後の著作となったのが、曽野綾子さんとの対談集『愛のために死ねますか』(中経出版)だ。 ▼対談のテーマである「愛」の対極は「憎しみ」だ。「テロリズム」がそれを世界にばらまいている。結城神父はいう。「テロリストたちは…いいことをやっていると、自分たちは思っています。だから、相手を許すということを知りません。現代という時代のいちばんの不幸は、そこにあります」。 ▼元厚生事務次官宅を次々に襲い、2人の命を奪い、1人に重傷を負わせた犯人の動機は何なのか。両次官は、年金関連ポストを務めた共通点があった。年金をめぐっては、ここ数年、さまざまな不祥事が発覚してきた。憤りの声が上がるのは当然だが、それが万が一でも、連続テロというゆがんだ形で現れたとしたら、民主主義は成り立たない。 ▼昭和53年に日本に帰化する前、結城神父の名前は、ディエゴ・パチェコだった。少年時代、生まれ故郷のスペインは、内戦のまっただ中。主義主張が違うというだけで、家が焼かれ、大勢の人が殺された。 ▼犠牲者の一人の先輩神父から、生前受け取った手紙がきっかけとなり、神父は宣教師として、終戦直後の日本の土を踏んだ。広島の病院で、原爆症の患者を献身的に看護する人たちと出会い、日本人になろうと思い始めたという。 ▼そんな日本の社会が大きく変わってしまった。「『愛』の意味が希薄になり、間違った方向へと向かうと、人も、世の中も、おかしな時代になる」。結城神父の警鐘に、耳を傾けたい。

産経抄 産経新聞 11/20

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『新たな改革の時代』を切り開かねばならない・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-19 | 産経抄(コラム)
『新たな改革の時代』を切り開かねばならない・・・  産経抄 八葉蓮華
「2人は会談後、『新たな改革の時代』を切り開かねばならないとの声明を発表、党派に縛られた『あしき習慣』の変革をうたい、超党派の協力を誓った」。賢明な読者はおわかりだろうが、この記事は、月曜の麻生太郎首相と小沢一郎代表との党首会談を報じたものではない。 ▼同じ日に米シカゴで開かれたオバマ次期米大統領と敗れた共和党のマケイン上院議員との会談に関するものだ。声明は「あらゆる党派の米国民が指導者の結束を望み、必要としている」と強調、金融危機や安全保障など重要政策に超党派で取り組むと約束している。 ▼両陣営は、激しい中傷合戦を繰り広げていたが、戦い終わればノーサイド。敗軍の将・マケイン氏が、私情よりも国家を優先してオバマ氏の本拠地を訪ねて新政権に協力を約束した姿は、感動的ですらある。 ▼それにひきかえ日本は、とは書きたくなかった。日本と米国は歴史も国情も違う。政治制度だって大統領制と議院内閣制では大きく異なり、一長一短がある。しかし、麻生・小沢会談の結末は、感動とはほど遠いものだった。 ▼小沢氏が「早く第2次補正予算案を国会に出せ」と迫ったのは正論だが、関係ない新テロ法改正案の採決をホゴにしたのは筋が通らない。首相も「永田町のあしき習慣をともに打ち破ろう」と持ちかける大胆さに欠けていた。 ▼会談後の双方の会見も相手を非難するだけでみっともなかった。党首は、政敵をこきおろすだけが商売ではない。議会人なら密室の場ではなく、国会で徹底的に論議を尽くすのが筋だ。そのために党首討論があるのに今国会は一度も開かれていない。どちらがこの国の指導者としてふさわしいか、一刻も早く正々堂々と言論でやりあってほしい。

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つかんでみせるよ でかい夢・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-18 | 産経抄(コラム)
つかんでみせるよ でかい夢・・・  産経抄 八葉蓮華
このほど漫談ライブCDの売り上げが100万枚を超えた、綾小路きみまろさん(57)に、数年前インタビューしたことがある。そのとき、鹿児島から上京後、しばらく小紙を配達していたことを教えてくれた。 ▼配達先の病院に入院していたキャバレーの営業部長と知り合ったことが、芸能界に進むきっかけになったという。当時から、目立った存在だったのか、販売局で確かめると、きみまろさんのことを覚えている幹部がいた。 ▼楽天イーグルスの野村克也監督も小学校時代、小紙を配っている。いや、そんな例は小紙に限らない。功成り名を遂げた人のなかに、新聞配達の経験者を探すのは、それほど難しくない。大阪府富田林市で、父親と同じ新聞販売店に勤め始めたばかりの16歳の少年の人生にも、無限の可能性があった。 ▼初給料で祖父に小遣いを渡し、最新のゲーム機を買って友達と遊ぶのを楽しみにしていた。16日未明、眠い目をこすり、バイクを走らせる少年の心は弾んでいたはずだ。その後ろから、酔っぱらい運転の車が突っ込んできた。41歳の男は少年を救護するどころか、6キロも引きずって逃げた。 ▼先月、大阪・梅田の路上で起きた、卑劣な事件の記憶も新しいというのに。昭和40(1965)年、山田太郎さんが歌って大ヒットした、「新聞少年」の歌詞はこう結ばれる。「つかんでみせるよ でかい夢」。少年は、どんな将来を夢見ていたのだろう。 ▼事件を伝える社会面はまた、野球の「関西独立リーグ」のドラフト会議で「神戸9クルーズ」に指名された、同じ16歳の吉田えりさんを取り上げている。得意のナックルで、夢へ一歩近づいた吉田さんの笑顔がまぶしい。だから余計に、少年がかわいそうでならない。

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ジャガイモの出番がやってきた・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-17 | 産経抄(コラム)
ジャガイモの出番がやってきた・・・  産経抄 八葉蓮華
独身男性が恋人に、一番作ってもらいたい料理は何か。「肉じゃが」だといわれているけれど、本当は違う。最近見たテレビのトーク番組で、お笑いタレントが力説していた。 ▼それほど身近な食材の、重要性に着目した国連は、今年を「国際イモ年」として、啓発活動に力を入れているという。民族学者の山本紀夫さんによると、栽培面積で全作物中、世界第4位を占めるジャガイモは、紀元前5000年ごろ、南米アンデス山脈で栽培が始まった(『ジャガイモのきた道』岩波新書)。 ▼インカ帝国を征服したスペイン人によって、16世紀の後半に、ヨーロッパに伝えられる。イギリスを旅行して、とまどうことのひとつは、日本でいうフライドポテトの呼び方だ。あちらではチップスという。白身魚のフライと組み合わせた「フィッシュ・アンド・チップス」は、産業革命時の労働者の食欲を満たし、この国の名物料理となった。 ▼一方隣国のアイルランドでは、1845年から数年続いた疫病による不作が大飢饉(ききん)を引き起こし、アメリカなどへの、大量の移民を生み出した。日本でも江戸時代の中ごろから、広まっている。 ▼今、先進諸国は金融危機への対応に追われているが、アジア、アフリカの貧困層はそれどころではない。一日一日の食べ物にも事欠くありさまだ。ジャガイモは、やせた土地でも収穫でき、栄養価も高いことから、長い歴史の中で、戦争や飢饉など食糧危機が起こるたびに注目を浴びてきた。その出番が再びやってきたといえる。 ▼山本さんはまた、食料自給率の高い10カ国のうち、6カ国でジャガイモの生産量が大きいことを指摘する。自給率の低さへの懸念が広がる日本こそ、イモのすごさを見直すべきではないか。

産経抄 産経新聞 11/17

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「防人の島」韓国からの観光客であふれている・・・  産経抄 八葉蓮華

2008-11-16 | 産経抄(コラム)
「防人の島」韓国からの観光客であふれている・・・  産経抄 八葉蓮華
後の作家、司馬遼太郎さんが京都の新日本新聞に入社したのは昭和21年のことである。今は跡形もない小さな新聞社だった。同僚に青木幸次郎という対馬出身の背の高い記者がいた。相当に個性的で司馬さんにとって気になる存在だったようだ。 ▼その青木記者がある日、編集局の真ん中で仁王立ちになり新聞を読みながら叫んだ。「対馬は朝鮮領だと李承晩大統領はいっているよ」「おれの故郷(くに)もあぶないわい」。司馬さんが30年ほど後に「街道をゆく」シリーズの『壱岐・対馬の道』に書いている話である。 ▼いつごろのことか司馬さんの記憶も定かでなく、どの新聞かも確認できない。李承晩が韓国大統領となる前だったかもしれない。それでも李承晩政権はこの後、日本を頭越しにして米国に「対馬は韓国領だ」と「返還」を求めたこともあり、発言は事実だろう。 ▼司馬さんはそこから国境の島・対馬を中心に日韓関係史を描くのだが、おもしろいのは李承晩発言への反応だ。青木記者は「声明をまったくユーモアでとらえていて、真にはうけていなかった」という。「たれもが対馬十万石の地が朝鮮領であるなどとは思っていなかった」からだ。 ▼だが今、対馬の現状は「ユーモア」だけではすまされないようだ。韓国の国会では「対馬返還決議案」が提出された。本紙が伝えるように島の不動産が韓国資本によって買収され、韓国からの観光客であふれている。合法的に「韓国領」となる不安を持つ人も多い。 ▼日本の国会にもようやく、対馬を守るための立法化の動きが出てきた。背景には島の経済低迷による人口減もある。韓国化を警戒するのはむろん必要だが、もっと大事なのは日本人自身がこの「防人(さきもり)の島」に関心を寄せることだ。

産経抄 産経新聞 11/16

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