衣裏珠の八葉蓮華 ≪創価学会 仏壇≫

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濁点のあるなし「本物には、にこりがある」日本語の楽しさ、面白さ・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-30 | 産経抄(コラム)

 「にこり それはまるて、急須ていれたような こたわったあし…」。車内で、風変わりなコピーが目に留まった。「本物には、にごりがある」と結ばれる。にごりのうま味を売り物にする、ペットボトル入りのお茶の宣伝だった。  

 「白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき」。江戸時代中期に老中の松平定信が主導した寛政の改革は、四角四面にすぎた。狂歌のなかで、音を上げた庶民が、以前の田沼意次による腐敗政治の方がましだった、とため息をついている。しかし多くの場合、にごりは嫌われる。  

 「お茶をにごす」も、「いいかげんに、その場しのぎでごまかす」といった意味だ。そんなにごりのマイナスイメージを、コピーは見事に逆転させた。言葉のにごりの素(もと)である、濁点がなくなったら、こんなに締まりのない文章になりますよ、と言っている。  

 戦国時代最大のライバル同士、武田信玄と上杉謙信の間で、俳句の贈答があったそうだ。「杉枯れて、竹、たぐひなき朝かな」。信玄が謙信に送った一句だ。杉が上杉家、竹が武田家を指していることは、言うまでもない。すると謙信は、濁点を付けたり取ったりして、送り返した。「杉枯れで、武田首なき朝かな」。  

 国文学者の池田弥三郎が『日本故事物語』のなかで、「誰かの創作だが」とことわって紹介している。日本語は、濁点のあるなしで正反対の意味になることがある。「世の中は、すむとにごるで大違い」とあって、「はけに毛があり。はげに毛がなし」と続けたり、「福にとくあり。ふぐに毒あり」と続けたりする。  

 美しい日本語を子供たちに伝えていくのは、何より大切なことだ。加えてその楽しさ、面白さも、大いに知ってもらいたい。

産経抄 産経新聞 6/29
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解散はそう遠くない「ギャンブル」一気に解散・総選挙に持ち込む・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-29 | 産経抄(コラム)

 かつて、インドの蔵相が「インドの財政はモンスーン・ギャンブルである」と議会で述べたという。モンスーンは、アラビア海からこの国に雨をもたらす季節風であり、雨期のことも指す。その勢い次第でインドの経済、特に農業が左右されるという意味だ。  

 倉嶋厚氏の『季節おもしろ事典』にあるこの話を去年の今ごろ、小欄に書いた。すると今年、モンスーンの到来が遅れ降水量が少ないという。6月前半は例年の約45%減で作物への影響は必至だ。雨ごいの写真が地方紙に載るようにまでなったそうだ。  

 工業化の著しいインドでも農業は国民総生産の約2割を占める。少雨で不作となれば世界の新興国として成長してきた国全体の経済や財政の足を引っ張ることにもなりそうだ。「モンスーン・ギャンブル」からの脱却はそう簡単にいかない、ということかもしれない。  

 このギャンブルはインド経済の構造的問題だが、こちら日本では、政治のギャンブルが口にされ始めている。麻生首相がここにきて「解散はそう遠くない」と語る。突然のように今週にも党役員人事を行う動きが出てきた。それは首相の「かけ」だというのである。  

 自民党三役らを新鮮な顔に差し替え、一気に解散・総選挙に持ち込む。たしかに支持率低下や党内の反乱で苦境に立つ首相にとって、起死回生とも言える勝負手かもしれない。「簡単に政権を放り投げた前の2人の首相よりマシ」と妙に支持する声があるのも事実だ。  

 だが「かけ」に失敗すれば、臓器移植法の改正や北朝鮮への対応は置き去りにされる。政治の極度の混乱で、外国からの信頼もガタ落ちする。野党も含めいつになったら「ギャンブル」や「かけひき」の政治にサヨナラできるのかと思う。

産経抄 産経新聞 6/28
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ポップの王様「僕はピーターパン」ファンの胸に生き続けていく・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-28 | 産経抄(コラム)

 米国の「大富豪」たちのスケールの大きさを示す話は枚挙にいとまがないほどだ。中でも新聞王と言われたウィリアム・ハーストの「城」の豪華さは今も語り草となっている。1920年代、カリフォルニア州サンシメオンに造った私邸である。  

 私邸といっても大農場付きで数十の大広間があり、約50人の使用人がいた。招かれた人たちは引き込み線を使い専用列車で直接、邸内に入り、派手なもてなしを受ける。敷地内でピクニックが開かれることもあったという。まさにアメリカン・ドリームの世界だった。  

 急死したマイケル・ジャクソンさんの私邸、ネバーランドもサンシメオンからそう遠くないサンタバーバラにある。広大な敷地の中には遊園地が付設され、その中をトロッコ風の列車が走る。こちらも歌手・ジャクソンさんが一代で造り上げた夢の世界といえる。  

 ネバーランドとは英国の劇作家、J・M・バリーが生み出した「永遠の少年」ピーターパンの島にちなんだ名前だそうだ。ジャクソンさん自身「僕はピーターパン」と、公言していたという。ハーストの城が大人の社交場だったのに対し、子供たちの城を目指したのだ。  

 だが、その城が「ポップの王様」と言われた大歌手のつまずきとなった。ネバーランド内での少年へのせい的ぎゃく待疑惑で起訴された。無罪となったものの莫大(ばくだい)な訴訟費用がかかった。豪邸の維持費も加わり、その身売り説が何度も流れるなど経済的には苦しかったようだ。  

 ハーストは晩年、自らの「新聞王国」が衰退する憂き目にあった。ジャクソンさんもまた、米国といえども夢を貫くことの難しさを教えてくれた気がする。もっともその歌はファンの胸に生き続けていくだろうし、それは救いである。

産経抄 産経新聞 6/27
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「トリックスター」したたかに立ち回っているようで、どこかあやうい・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-27 | 産経抄(コラム)

 文化人類学でよく使われる言葉のひとつに、「トリックスター」がある。「道化」や「いたずら者」といった日本語があてられる。この言葉を広めた山口昌男さんによると、アフリカの神話に登場するトリックスターは、ずば抜けた知力の持ち主として語られることが多い。  

 突拍子もない行動をとることで、自分よりはるかに大きく、獰猛(どうもう)なライオンやハイエナを翻弄(ほんろう)する。もっとも、自分の仕掛けたわなに引っかかることもある(『道化の民俗学』)。  

 東国原英夫・宮崎県知事は、本気で国政へ転身するつもりなのか。「党総裁候補にするなら」。総選挙への出馬を要請した自民党の古賀誠選挙対策委員長に対して、突きつけた条件は、思いもかけないものだった。支持率アップのためになりふりかまわない、党の足元につけ込んだととられても仕方がない。   

 出馬をことわる方便との見方もあったが、意欲は十分ありそうだ。「ばかにされた」と党内からの反発の声は収まらない。県庁に寄せられた県民の意見も、80%が反対だという。「トリックスター」のように、したたかに立ち回っているようで、どこかあやうい。  

 それは、橋下徹・大阪府知事にもあてはまる。自治体の首長でグループを作り、総選挙で支持する政党を表明するとぶち上げた。「先走ってはいけない」と、“盟友”の中田宏・横浜市長は、知事の前のめり姿勢を懸念する。  

 と、ここまで書いたところで、地元紙「宮崎日日新聞」が、すでに、東国原=トリックスター説を打ち出していることを知った。「道化」にとどまらず、社会に大きく貢献する「文化英雄」の役割を果たすこともある、と山口さんはいう。有権者にとって悩ましいのは、見分けがつかないことだ。

産経抄 産経新聞 6/26
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食べ物を粗末にする行為「ばちがあたる」言葉と心が消えようとしている・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-26 | 産経抄(コラム)

 幸田文に、「みずばち」と題した短いエッセーがある。東京・向島の生家には、水道が引かれていなかった。ポンプでくんだ水は、夏は冷たく、冬はあたたかい。洗濯のすすぎに使ってから、井戸端を洗い、ぞうきんをすすぎ、道路にまいた。  

 いいかげんに流すと、父親の露伴から叱責(しっせき)が飛んできた。「いまに水罰があたって、水に不自由する」。コンビニの棚に並ぶ弁当やおにぎりは、販売期限が近づくと、捨てられる。最大手のセブン-イレブン・ジャパンの場合、1店舗あたり年間約530万円分にのぼった。  

 そのすべてが、加盟店の負担になる。店としては、値引きしてでも、売り切りたいと考えるのは当然だ。ところが「定価販売」にこだわる本部は、まかりならぬ、という。公正取引委員会は、店側の言い分に軍配を上げた。セブン側は、売れ残って廃棄する食品の仕入れ原価を、15%負担することで、事態の収拾を図ろうとしている。  

 しかし、これだけでは廃棄をなくすことにつながらない。食料自給率が40%しかなく、世界でもっとも多くの食料を輸入している国が、一方で年間2000万トンもの食品を廃棄している。この矛盾は、何度も指摘されてきた。  

 文によれば、東京の町なかに引っ越してからは、水罰の言葉を耳にすることはなくなった。洗濯や食器洗いで、水道を流しっ放しにするぜいたくにも慣れた。文は自責の念を込めていう。「言葉が消えたとき心も消え、言葉と心が消えたあと、じわじわと大水罰があたりはじめる」。  

 かつての日本人は幸田家に限らず、「ばちがあたる」という言葉で、食べ物を粗末にする行為を戒めてきた。便利さと引き換えに、その言葉と心が消えようとしている。

産経抄 産経新聞 6/25
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軽くなった総裁のイス「誰でもいい」何より見苦しい・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-25 | 産経抄(コラム)

 政治家は言葉を商売道具にしているだけあって、永田町居住者の造語能力はなかなか隅に置けない。近ごろ自民党の若手や中堅議員の間ではやり始めているのが、若者言葉で東京・秋葉原を指す「AKIBA」ならぬ「ABA」だそうな。  

 ABAといっても1970年代から80年代にかけて一世を風靡(ふうび)した北欧のポップス・グループではない(しかもBが1字足りないが)。「Anybody But Aso」という横文字の頭文字をとったもので、意味は「麻生太郎以外なら誰でもいい」。  

 盟友だった鳩山邦夫前総務相に後ろ足で砂をかけられて出ていかれた麻生首相を支持する奇特な人は17・5%(産経・FNN合同世論調査)と有権者の5人に1人もいなくなった。いま選挙をすれば、結果は火を見るより明らかだ。よほど知名度があるか、しっかりとした後援会を持っている議員以外の自民党候補者は震えあがっている。  

 世論調査でも「首相にふさわしい政治家」として舛添要一厚労相の名前が、麻生首相はもとより小泉純一郎元首相も抜いてトップにあげられるようになった。陣笠(じんがさ)議員の面々が「ABA」という心境になるのもわからないでもない。  

 人気者の東国原英夫知事も「自民党総裁のイスが衆院選出馬の条件」と言ったそうだが、総裁のイスも軽くなった。イスの主は3年前から毎年代わっている。選挙目当てでまた主を代えれば4年連続となり、責任政党のやることではない。  

 会期末まであと1カ月以上ある。国民的関心を集めている臓器移植法改正案や北朝鮮船舶の検査を可能とする特別措置法案の成立を図るのが宰相たる者の務めだろう。「追い込まれ解散」でもいいではないか。ジタバタするのは何より見苦しい。

産経抄 産経新聞 6/24
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「冤罪事件」なぜ真実がねじ曲げられたのか・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-24 | 産経抄(コラム)

 栃木県足利市で女児がさつ害された足利事件で、冤罪(えんざい)が濃厚となった菅家利和さん(62)の再審開始が、きょう決まる見通しだ。ぜひ、コメントを聞きたかった人物がいる。戦後まもなくの冤罪事件「松川事件」の元被告、佐藤一さんだ。  

 もっとも、先週19日の各紙に、心筋梗塞(こうそく)のために87歳の生涯を終えたとの訃報(ふほう)が載っていた。佐藤さんは、昭和24年に東北線で列車が転覆し、3人がし亡した事件で逮捕され、1、2審でし刑判決を受けた。その後アリバイを証明するメモが見つかり、38年に最高裁で無罪が確定する。  

 「なぜ真実がねじ曲げられたのか」。佐藤さんは、し刑におびえながら拘置所で、考え続けたという。社会に復帰すると、松川事件の約1カ月前に起きた「下山事件」の真実の追究にのめり込む。下山定則・初代国鉄総裁が、出勤途中で行方不明となり、翌日、轢し(れきし)体として発見された事件である。  

 自さつ説、他さつ説が入り乱れ、いまなお戦後史最大の謎のひとつとされている。当初他さつと考えていた佐藤さんは、関係者から話を聞き、資料を掘り起こしていくうちに、自さつ説に転じていく。きのう取り上げた名刑事・平塚八兵衛もこの事件を手がけており、自さつ説をとる。  

 ドラマ『刑事一代』の原作を読むと、佐藤さんとも接触があったようだ。一方、朝日新聞は他さつ説を主張した。その中心となった記者、矢田喜美雄の記事や、松本清張らが唱えた「アメリカ謀略説」を、佐藤さんは厳しく批判した。  

 ところで、先ほど「各紙」の「訃報」と書いたが、朝日にだけ載っていなかったことを、知人からのメールで知った。朝日の批判者だからか、と占領史の研究家である知人はいぶかっていたが、きのうの朝刊に載っていた。

産経抄 産経新聞 6/23
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科学捜査の技術が進む一方で、犯罪の動機、手口も大きく変わった・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-23 | 産経抄(コラム)

 きのう、おとといの2夜、テレビ朝日系で放映されたドラマ『刑事一代』で、伝説の名刑事といわれた、平塚八兵衛さんを渡辺謙さんが演じていた。身長は20センチ以上も違う。  

 それでも、夜回り取材で何度も顔を合わせていた先輩記者に聞くと、違和感はなかったようだ。何より、原田美枝子さんの和服姿が、つね夫人にそっくりなことに驚いていた。  

 ドラマの原作は、小紙OBの佐々木嘉信さんが、警視庁を退職したばかりの八兵衛さんの自宅に通い、聞き書きした連載記事(現在は新潮文庫)だ。「帝銀」「吉展ちゃん」から「3億円」まで、八兵衛さんが手がけた事件は、殺人事件だけでも124件にのぼる。  

 佐々木さんのどんな質問にも、数種類の色鉛筆で書き込みがある手帳を見ながら、間髪を入れず答えを返してきたという。在職中は帰宅すると、夏ならふんどし一本で、その日の聞き込みの内容を整理する姿が見られた。たまの休日でも、呼び出しがあると、誰よりも早く現場に到着しようとした。  

 ドラマでは、八兵衛さんが上司に、平気で突っかかっていくシーンが何度も出てくる。ホシ取りのために、誰よりも努力しているという自負があったからだろう。警察大学校の教授が、昭和34年に出した『13人の名刑事』というインタビュー集にも、八兵衛さんは登場している。  

 八兵衛さんはまったくの下戸だったが、大酒飲みで、裸踊りが得意という刑事もいる。それで広げた人脈が、いざというときの情報源となった。熱心な仏教信者で、取り調べでも信仰の話を欠かさなかった刑事もいる。個性豊かな面々だ。科学捜査の技術が進む一方で、犯罪の動機、手口も大きく変わった。平成の「名刑事」たちの物語も聞きたい。

産経抄 産経新聞 6/22
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「地球の入り」月の地平線に沈んでいく地球が青く美しく輝いている小さな星・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-21 | 産経抄(コラム)

 月を回っていた探査衛星「かぐや」が月面に落下した。といっても事故が起きたのではない。2年前の9月に打ち上げられて以来、月の内部構造などの観測を続けてきた。しかし、予定の「仕事」を終え、地球からの操作で落下させたのだという。  

 専門的には月の詳細な地形図を作るなど、大きな成果を挙げた。だが一般の人の記憶に生々しいのは、一昨年11月に送信してきた「地球の入り」の写真だろう。月の地平線に沈んでいく地球が青く美しく輝いている。地球も小さな星であることを再認識させた情景だった。  

 もうひとつびっくりしたのは地球の南半球が上に、北半球が下に写っていたことだ。物理学上は何の不思議もないらしい。だが、いつも北が上になった地球儀や地図を見慣れている日本人など北半球の人は、思わず「なぜだ」と叫びたくなったかもしれない。  

 どちらが上か下かはともかく、地球は南北を軸に自転している。しかもその軸が23・5度ばかり傾いているから公転によって四季が生まれる。その四季も、北半球と南半球とでは反対になる。明日、北半球は「夏至」でも、南半球では「冬至」といった具合である。  

 むろん誰でも知っていることである。だが人口の圧倒的多数を占めている「北半球人」はついついそのことを忘れがちだ。新型インフルエンザについても、ウイルスが弱い夏になるからもう心配ないと考え、これから冬に向かう南半球のことはあまり頭になかった。  

 WHOが「世界的大流行」を宣言したのは、その南半球を考えてのことだ。そこで力を蓄えたウイルスが北半球の秋から冬に「北上」する可能性がある。「かぐや」の写真とインフルエンザが地球規模で考えることの大切さを教えてくれた。

産経抄 産経新聞 6/20
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眠ってる「命の大切さ」A案と呼ばれた臓器移植法改正案を可決・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-20 | 産経抄(コラム)

 「命の大切さ」。小さいときから、この言葉を何度も聞かされてきた。●んだら、終わりだからだ。万葉学者の中西進さんによると、古代人はそうは思わなかった。肉体が滅びるとの認識はあったものの、霊魂としての「いのち」、つまり「たま(魂)」は、永遠に続くものだった(『ひらがなでよめばわかる日本語』新潮文庫)。  

 「たま・たましい」は、「こころ」のなかにあるとも考えていた。では「こころ」がどこにあるのか。中西さんは、「万葉集」にある歌で説明する。「村肝(むらぎも)の 情(こころ)くだけて かくばかり わが恋ふらくを 知らずかあるらむ」。  

 「むらぎも」とは、「たくさんの内臓」の意味。「こころ」は、内臓のなかにあった。わたしたちもどこか、古代人の●生観を引きずっているのかもしれない。臓器移植法が施行されてから、10年以上たつというのに、脳●移植は81例しかない。  

 それでいて、内閣府の意識調査では、4割以上の人が「脳●後に臓器を提供したい」と答えている。臓器不足、ドナー不足は、年々深刻になるばかり。海外に渡って移植を受ける日本人患者が後を絶たないことにも、批判の声が高まっている。まさに政治の出番だった。  

 きのうの衆院本会議は、4つの案のうち、「脳●を一律に人の●」と位置づける、A案と呼ばれた臓器移植法改正案を可決した。年齢制限も撤廃されるから、乳幼児への臓器提供を含めて、移植医療の進展が期待できる。  

 議員一人一人が思い悩んだ末の結論を評価したい。その一方で、小紙大阪版のコラム「風」で知った、先天性の心臓病を抱える10歳の女の子の言葉が、耳から離れない。「誰かが●んで、私は生きていいの?」。「命の大切さ」をかみしめる。

産経抄 産経新聞 6/19
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アフマディネジャド大統領の「圧勝」民衆のエネルギーが歴史を作ってきた・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-19 | 産経抄(コラム)

 1977年6月ごろ、ペルシャ湾最奥の地、バンダルシャプールでは、石油化学コンビナートの建設が急ピッチで進んでいた。日本人職員の士気を高めようと、日の丸を揚げると、10分もたたないうちに、旗を降ろせと、電話がかかってくる。  

 「サイトのなかにSAVAKがまぎれ込んでいて、眼を光らせているとしか考えられない」。イラン・ジャパン石油化学(IJPC)事業に集まった男たちの苦闘を描いた『バンダルの塔』のなかで、作者の高杉良さんが、主人公に語らせている。SAVAKと呼ばれた秘密警察は、パーレビ国王を批判する者を容赦なく捕らえて、拷問にかけたといわれる。  

 そのイランで、大統領選でのアフマディネジャド大統領の「圧勝」に抗議する大規模なデモが、首都テヘランで続いている。改革派のムサビ元首相を支持してデモに参加した人たちに、銃を向けているのが、大統領を支える民兵組織「バシジ」だ。  

 大統領への投票を有権者に強要するなど、選挙の不正にかかわった疑惑もある。デモ参加者とバシジの対立は、新たな流血を生み出す危険をはらんでいる。専門家の多くは、騒乱拡大の可能性は小さい、とみているようだが、果たしてそうか。  

 盤石と見られていたパーレビ王朝が崩壊したのは、冒頭の日の丸騒動から、わずか1年数カ月後のことである。前回の大統領選でも直前まで、アフマディネジャド氏の存在が、国際社会で話題になることはほとんどなかった。  

 すでに外国人記者の閉め出しが始まっており、この国の行方を占うことは、困難を極める。ただ、イランという国は、欧米メディアの希望的観測を打ち砕くような、民衆のエネルギーが歴史を作ってきた。今回も油断がならない。

産経抄 産経新聞 6/18
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電話で依頼「政治案件」捜査もいよいよ佳境・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-18 | 産経抄(コラム)

 昭和の時代には想像さえできなかったが、仕事も遊びも今やパソコンや携帯電話のメール抜きには考えられない。頭同様、指の動きも鈍く、携帯メールが大の苦手な小欄もパソコンに電源を入れ、メールをチェックしないと朝が始まらなくなって何年もたつ。  

 そんな時代だからこそ、封筒に入った直筆の手紙をもらうとお小言であってもうれしい。手紙は、便箋(びんせん)や切手選びから始まって、時候の挨拶(あいさつ)はこれで良かったか、漢字は間違っていないか、相手に失礼はないか、といろいろ気を使い、はなはだ非効率なのだが、人の情けがもっとも良く伝わる手段だ。  

 書簡のやりとりは、教養のやりとりでもある。更迭された鳩山邦夫前総務相は、麻生太郎首相から、日本郵政の西川善文社長の辞任を前提に後任人事を相談する手紙をもらっていたと暴露したが、なんとも後味が悪い。  

 「かんぽの宿」の一括売却など一連の日本郵政問題で鳩山氏は鋭い指摘をし、行動にも移してきた。大河ドラマばりに「正義」の旗を掲げるのもいいだろう。だが、裏切られたとはいえ、かつての盟友からの私信を勝手に公表するとは「友愛」の看板が泣く。  

 日本郵政をめぐる不祥事の一つである障害者団体向け割引制度悪用事件の捜査もいよいよ佳境に入ってきた。焦点は逮捕された厚労省女性局長のかつての上司に証明書発行を依頼した国会議員にまで捜査が及ぶかどうかだ。  

 報道によると、某議員は電話で依頼したそうだ。本人は否定するだろうし、首相と違って手紙という“証拠”は残してはいまい。総選挙を目前にして「国策捜査だ」という雑音が再び聞こえてきそうだが、厚労省という伏魔殿と国会議員の不適切な関係に検察は徹底的にメスを入れてほしい。

産経抄 産経新聞 6/17
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郵便制度の悪用「官僚のあり方」福祉の理想と現実のギャップ・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-17 | 産経抄(コラム)

 よくもまあ次から次へと…。厚生労働省で発覚する不祥事のニュースを聞くたびに、こうぼやきたくなる。障害者団体に適用される郵便制度を悪用した今回の偽造事件は、「女性キャリアのエース」といわれる雇用均等・児童家庭局長の村木厚子容疑者(53)の逮捕にまで発展した。  

 官僚のあり方があらためて問われるなか、「厚生官僚の鑑(かがみ)」と慕われた人物のことが思いだされる。元環境庁企画調整局長の山内豊徳さん。平成2年12月、水俣病訴訟問題の最中に自宅で、53年の生涯の幕を自ら下ろした。  

 旧環境庁に転出する前は、旧厚生省で、主に福祉畑を歩いてきた。課長時代、ある福祉団体が年賀の当せんはがきを集めていると知ると、自分の年賀状にその旨を印刷して、知人からはがきをかき集めた。付け届けのお返し分を、相手の名前で福祉団体にこっそり寄付していたことも、後でわかる。  

 エリート官僚らしくないエピソードを挙げたら、きりがない。東大時代は小説家志望だった山内さんは、仕事の合間に論文やエッセーを書き続けた。三回忌にあたり刊行された遺稿集『福祉の国のアリス』には、こんな記述がある。  

 「身体障害者に愛の手を、といった呼びかけにも、かなり押しつけがましいところがある。人のこころは分からない、という言葉があるのに、たまたま障害を持つ人については、なぜ、『ともに』とか『愛の手』が安易に語られるのだろうか」。福祉の理想と現実のギャップに悩み続けた生涯だった。  

 通夜の席で、官僚出身の森山真弓元法相は、棺に向かって「官僚に徹しきれなかったのね」とつぶやいたという。村木容疑者は、「官僚に徹しきった」がゆえに、事件に関与したのか。そこが知りたい。

産経抄 産経新聞 6/14
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郵政人事「空振り騒ぎ」総選挙前に党内に波風を立てたくない・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-15 | 産経抄(コラム)

 「大工調べ」は、江戸っ子の「啖呵(たんか)」がたっぷりと楽しめる落語である。大工の与太郎が店賃のカタに、道具箱を大家に持っていかれる。怒った棟梁(とうりょう)の政五郎が大家の家にねじ込み、延々と啖呵を切って抗議する。最大の聞かせどころである。  

 「べらぼうめ。手前なんぞに頭下げるようなお兄(あに)ぃさんと、お兄ぃさんの出来がちいっとばかり違うんでぇ」といった調子だ。演芸評論家の矢野誠一氏は文春文庫『落語讀本』の中で、この噺(はなし)に関し「喧嘩(けんか)に欠かせない啖呵などは、やはり江戸弁の方がいい」と書いている。  

 江戸っ子政治家である鳩山邦夫氏も啖呵が得意、もしくはお好きなようだ。最近でも、麻生首相の高級ホテルのバー通いをマスコミが批判すると「喫茶店に毛のはえた程度だ」と真っ向から反論する。啖呵を切るたび、喝采(かっさい)を浴びたり、手厳しく批判されたりした。  

 日本郵政をめぐっても、「かんぽの宿」売却問題以来「正義」という啖呵を切り続けた。マスコミの前で「日本郵政はめちゃくちゃだ」と語り西川善文社長に辞任を求めた。返す刀で首相にも「正義か不正義かの戦いだ」と決断を迫り、それなりに世論の支持も得た。  

 だが、結果的にはそれも空振りに終わったみたいだ。総選挙前に党内に波風を立てたくない麻生首相に身をかわされた形である。「喧嘩ばかりするのではなく、日本郵政と協調して改革を進めるべきだ」と、鳩山流の政治手法への批判も根強いようだ。  

 総務相を辞任した後にも、明治新政府と決別した西郷隆盛を例に「私も躊躇(ちゅうちょ)しませんでした」と、胸を張った。それなら離党して麻生政権と一戦を交えるのかと思ったが、当面とどまるという。国民にとって空しさだけ残る「騒ぎ」では困るのだ。

産経抄 産経新聞 6/14
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太宰治「十五年間」いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-06-14 | 産経抄(コラム)

 61年前の昭和23年6月13日、玉川上水に身を投げた太宰治はそれまで疎開を除く約7年間、東京の三鷹に居を構えていた。といっても借家暮らしだったが、その斜め向かいには、阿南惟幾(これちか)陸軍大将の屋敷があった。終戦時に自決した陸軍大臣である。  

 太宰の妻、津島美知子さんの『回想の太宰治』によれば、楚々(そそ)とした阿南夫人は「借家族の間では評判のよい方(かた)」だったという。陸相の自決のとき「下の令息はまだご幼少だった」とも書いている。両家の間に、多少とも交流があったことをうかがわせている。  

 偶然とはいえ、何とも意外な「隣組」という気がする。片や「一● 以て大罪を謝し奉る」という壮絶な遺書を書き、自らの●で戦争続行論を抑えた硬骨の帝国軍人である。これに対し一方は、無頼派などと呼ばれ、愛人と「情●」した「柔な文人」と見られてきたからだ。  

 ともに自●の道を選んだこと以外に共通点などなさそうにみえる。しかし先日、本紙オピニオン面に載った「話の肖像画」で、長部日出雄さんの太宰論を読んで、案外そうではないと思えてきた。あまり知られていない太宰の一面が語られていた。  

 太宰は戦後すぐ『十五年間』というエッセー風の一文を書いている。その中で「いまこそ何を措(お)いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳!」と述べた。長部氏はこれについて「太宰は戦後、日本人の軽薄さがもろに出たと感じた」ためと指摘していた。  

 長部氏によれば、もともと太宰には天皇崇拝の念が強かったという。それが戦後、インテリが急に「天皇制打倒」と合唱するのを見て、本心を述べ始めたというのだ。あの太宰もまた、隣家の軍人と同様に国家のあり方を真っ正面から考えていたのだ。

産経抄 産経新聞 6/13
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