昭和22年5月3日の東京地方は気温8度で、季節はずれの冷たい雨が降っていた。だが、皇居前広場で開かれた新憲法施行の記念式典には約1万人が集まった。昭和天皇も出席され、「憲政の神様」と言われた尾崎行雄が祝辞を述べたという。
この時期、政府は国民の間に新憲法を浸透させるのに懸命だった。「記念週間」が設けられ、東京では花電車も走った。実際、この憲法が国民にかなりの期待感をもって受け止められたことは、前後に生まれた人に「憲一さん」や「憲子さん」らが多いことからも推測できる。
しかしその一方で、この日の雨のような冷たい視線を向けていた人がいたことも、忘れてはならない。作家の永井荷風もそうだった。日記『断腸亭日乗』の5月3日の項にこう記している。「雨。米人の作りし日本新憲法今日より実施の由。笑ふべし」。
新憲法の草案は日本側のものがGHQによって却下された後、法律の素人であるGHQ民政局の米国人らが作り直した。そのことは今でこそ、かなり知られてきた。だが、当時の国民がどれだけ知っていたかは疑問だ。何しろ国会での審議も重要部分は非公開だったのである。
昨日の本紙「昭和正論座」でも、林修三氏の昭和50年の「正論」が、憲法の制定過程調査の重要性を説いていた。進歩派や革新派はそれを避けている。明らかになれば「日本国民の自由な意思で作られた」という憲法の神話を崩すことになるから、と述べている。
それだけに施行の日に「米人の作りし」と見抜いた荷風の眼力や批判精神はすごい。しかし62年前「笑ふべし」と喝破された憲法の呪縛(じゅばく)から抜け出せない人が、いまだに多いことはどうだろう。こちらは「笑ふべし」ではすまされない。
産経抄 産経新聞 5/3
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