今日が人生最後で最良の日!

「キセモノtom」の勝手な思い込み日記。
毎日の生活で自分の足跡を残して人生を終わりたい.
毎日、毎日、今を大事に。

平穏死と胃ろう

2013年03月15日 | 日記
今日 読んだ本
胃ろうという選択、しない選択
「平穏死」から考える胃ろうの功と罪   長尾和宏

お袋は施設にいたときに 食事が大変だった。
ヘルパーさんが それこそマンツーマンで1時間かけて口をあけたすきにスプーンを入れる。
そして 体調を崩し系列の病院に移ったとき「胃ろう」になった。

まだそのころは意識があったが、あとは時間の経過とともにほとんど寝たきりになった。
胃ろうは それこそ、なければ死んでしまう 延命治療になった。

四谷のおばさんは 脳梗塞で倒れ、その後 半年経ってから 家に帰ってきた。
だけど 誤嚥がもとで肺炎になり、救急病院へ。
その後 急性期病院から回復期病院に移るとき 胃ろうをした。
そして今は療養病院にいる。

意識もしっかりしているし、見る限りでは元気そうだ。
おじさんが家に連れて帰りたくなるのも無理がない。

この本を読んで 思い当たる部分が多々ある。

胃ろうとは病院にとっての追い出し作戦だった。

療養病院、もしくは施設では 胃ろう患者は手のかからない楽な患者。
だけど急性期、回復期の病院では保険点数を稼げない長期入院の邪魔な患者は
胃ろうをして次のところを紹介する。

本当に胃ろうとは必要なのか?
ここ20年ぐらいで急激に患者数が増えているらしい。
もちろん 嚥下障害だけなら効果的な栄養摂取で、生活水準も維持できる。
だけど 医者の都合で、家族の都合で、本人の知らないところで施された胃ろうは、、、

この本を読んでいろんなことを考えた。

自分は胃ろうをするような状況になったらそれを受け入れるのか?
それとも 「リビング ウィル」を表明して 尊厳死を選ぶのか?

そう思うと 毎日が無駄にできない。
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