kouheiのへそ曲がり日記

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口元チェック

2012-03-16 09:50:11 | 日記
大阪府立和泉高等学校の中原校長によってなされた、教職員が君が代を唄ったかどうか口元をチェックしたという事件が物議をかもしている。
僕はこのことをテレビの報道で見知ったとき、とても気分が悪く、気持ち悪くなってしまった。
唄ったかどうか口元をチェックするなんて・・・とてもじゃないが正気の沙汰とは思えなかった。
それほどこの事件は常軌を逸したものだと言わざるをえない。

だがこの気持ち悪さは、容易には言葉にできない暗黙知の領域に関することなので、まったく名状しがたいのである。
テレビの討論番組で「なぜ人を殺してはいけないのか」という少年の発言に、知識人たちが絶句して説明できなかったということがあったが、それに似ている。

なぜ名状しがたいのかについては意識の構造を把握してもらう必要がある。

まず、意識の根本には潜在意識がある。
そしてそれは構造的に社会的拘束を受けている。

つぎに、その潜在意識の上に暗黙知によって構成されている実践的意識が積み重なっている。
普段我々はこの実践的意識によって、ことさら意識しなくても、毎日のなすべきことのいろいろをこなしている。

さらに、こういう実践的意識の上部構造として、学校・企業等々の理念だとか、政党のマニフェストなどといった言説的意識がそびえたっているのである。
日本のような本音と建前の乖離が著しい文化においては、しばしば実践的意識と言説的意識はバッティングする。

中原校長のブログや橋下市長のツイッタ―などを読ませてもらったが、彼らの自己正当化の理論は一見筋がとおっている。
だが気持ち悪い。
おそらく彼らの理論は言説的意識のレヴェルで展開されており、それが僕の実践的意識における暗黙知と背反しているからであろう。

高校の卒業式で教師が国歌を唄っているかどうか口元をチェックするなんて・・・うまく説明できないが気持ち悪い。
僕には考えも及ばないことだ。
オムツを締めた大学生、毛深い乙女、箸が転げても笑いが止まらない80歳のおじいちゃん・・・(嘆)

・・・だが僕は中原校長や橋下市長を攻撃する気はない。
なぜなら中原氏を選任したのは橋下氏であり、橋下氏を選んだのは大阪の有権者なのだから。
このままいくと大阪の教育はめちゃくちゃになるだろうが、それを府民・市民が選んだのであるから仕方がない。

当時もっとも民主的と謳われた憲法をもつワイマール共和国からナチスドイツは生まれた。
民主主義とファシズムは対立しているのではなく、民主主義のなかには絶えずファシズムを生み出すような一定の圧力が作用しているのである。
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