kouheiのへそ曲がり日記

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羨望入りの憧憬

2012-01-15 08:05:57 | 日記
小学校時代の同級生A、中学時代のK、高校の時のTそして大学時代のN・・・彼らは僕に対して異常な感情をもっていた。
僕の一挙手一投足が彼らの神経を、まるで鑢のように逆なでした。
そして僕が失敗をしたり、先生に怒られたりすると、心の底から嬉しがり、愉快で愉快でたまらないという表情をした。

単にお前のことを嫌ってたんだろうと思う人もいるかもしれないが、誕生日にはお誕生会に招待してくれたりしたのだ。

1年くらい前のことであるが、僕は知り合いの精神科医に訊いてみた、「彼らは何なんですか?」と。
先生曰く「それは憧れでしょうね、ただ・・・その憧れには強烈な羨望が入り混じっている、まさにコンプレックスだね」。

そう言われて、僕は長年のモヤモヤというか疑問が氷解したように思った。

なるほど羨望入りの憧憬ね・・・はぁ・・・コンプレックス人間て鬱陶しい。
いつも他人を気にし、自分が他人から遅れていないかどうか始終気にしている小心者。
僕のように前衛芸術を愛するような者は、彼らの臆病さを内心嘲笑しているようにみえたのだろうな。

・・・と、僕の分析はこのへんで停止していたのだが、最近あることに気がついた。

とくに大学時代のNであるが、彼のことを思い返すと、彼は自分のことを倫理的に正しい存在だと確信していたのだ。
常識では考えられないような「おべっか使い」であったが、彼はそういう自分自身を意識の潜在的側面において軽蔑していたのではなく――僕はそう思い込んでいたのだが――必死にしんどい思いをして汗水たらして(冷や汗というべきか)、道徳的に正しい行いを励行していると自己認識していたのだ。

だから僕のように前衛芸術を愛するような者は、暢気な極楽トンボに見えたのであろう。
「ホントあいつは気楽でいいよな」という羨望入りの憧憬、それがNの正体だったのだ。

ちなみにNは40単位以上をカンニングして取得し、先生方や大学院の先輩方から「真面目だ」というもっぱらの評判を手中に収め卒業していきました。
その数年後、学生時代の虚言と悪事がばれ、教授から破門の宣告を受け、先輩からは絶交されたけれど。

人生において嫌な奴と出会うのは避けられないことなのだ。
これを仏教では「怨憎会苦(おんぞうえく)」と呼んでいます(合掌)
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